生贄共の涙

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 彼はその後しばらく抜け殻のようになり、私は献身的に彼の世話をした。  そんな私に彼は感謝し、そして、私たちは結婚した。  だけど、やっぱり、彼は彼で。  浮気癖も暴力も変わらなかった。  そして、やっとの思いで離婚した今。  別れられてよかったね。  友達はみんな喜んでくれた。私もそう思う。そう、そのはずなのに。  一人となった私は小さなワンルームに引っ越した。  引っ越しの際にとても懐かしいものを見つけた。それは、あの心霊スポットで見つけた日記だった。  私は静かに表紙を捲る。  優しく面白い人だった。彼といるだけで心が満たされた。  だけど、それははじめだけだった。  彼は日に日に恐ろしい化け物になっていった。暴言、暴力はいつものこと。つらい。なのに、私は彼を拒絶できない。  他人事とは思えなくて、いや、むしろ自分のこととしか思えなくて、思わず笑ってしまった。  そして、彼は来なくなった。だけど、死の間際に彼女が思い出したのは彼だった。  彼が来たのは彼女が死んでから。そして、彼女は泣いた。  なぜだろう。  あの時は、答えを持ち合わせていなかった。  だけど、今ならわかる気がする。  あの日と同じ、秋の夕暮れ。私は車を走らせる。 「こんばんは。失礼します」  私は一礼して、その朽ちた小屋に足を踏み入れる。あれから十年は経っているから、やはり、あの時よりひどい有様になっている。  私は玄関を抜け、廊下を渡り、部屋にたどり着く。障子を開ける。  青白い女がこちらを向いた。  驚きはしたが、怖くはなかった。 「日記を持って行ってしまって、ごめんなさい。お返しします」  彼女はそれには応えず言った。 『答えを、答えを』  私はうなずき、言う。 「久々に彼が来てくれて嬉しかった」  でもそれだけじゃない。 「彼のことが恨めしかった」  まだまだ理由はあって。 「そんな彼のことを好きになってしまった自分が許せなかった」  それは彼女の求めている答えとは違うかもしれない。だけど、こう思ったのだ。 「わからない。きっとあなたもわからないんじゃないかな」  彼女は黙っている。私は続ける。 「ひどい相手なのに、どうして好きになってしまったんだろう」  暴力も暴言も日常茶飯事で。 「また、あの日に戻れるんじゃないかって、どうしてくだらない期待を捨てきれないんだろう」  ありえないってわかってたのに。 「敬意も好意も失ったというのに、どうして離れられないんだろう」  嫌悪すら抱いていたのに。 「ねえ、どうして――」  頬に涙が伝う。 「どうして、彼と別れたことがこんなにも悲しいの?」  彼と離婚出来てよかったのだ。わかっている。わかっているのに、なぜだか涙があふれて仕方ないのだ。 「名前が欲しいね」  私は言う。 「この感情に誰か名前を、答えをくれたらいいのにね」  泣きながら言うと、彼女は頷いた。  彼女はさりげなく私に座るように促した。私はそこに腰を下ろした。  私は自分に起こったことをすべて話した。彼女は黙って頷いてくれた。  朝が近づく。彼女の姿が薄くなっていく。  結局私たちは答えを見つけることができなかった。だけど、それでも、よかった。 「きっと、何度も思い出すと思う。何度も苦しむと思う」  彼女も頷く。 「それでも、嘘でもいいから言っちゃえ!」  私は小屋の中、どこからか射してくる光に向かって叫ぶ。 「あんな奴のことなんて忘れてやるー!」  そういうと、隣で彼女がくすくすと笑い、そして、私を見つめて一つ礼をした。 『ありがとう』  彼女の顔には涙と、そして、笑顔が浮かんでいた。 「ありがとう」  そう返した私も、きっと彼女と同じ顔をしていただろう。  朝が来た。  私は涙をぬぐい、車を走らせる。  今朝の朝日はなんだかとても美しく見えた。
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