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私がこうして泣いている理由など、貴方にとってはどうでもいいことなのでしょう。
それは大変悲しく、憎らしいことでございます。
だから、考えてくださいませ。
私の泣いた理由を。
ずっとずっと、お待ちしております。
その答えを。
*
同棲中の彼に久しぶりにデートに誘われた。
近所の心霊スポットに行きたいという。昨日やっていたくだらない心霊番組に感化されたようだ。
馬鹿らしいと思いながらも、久しぶりのデートに何かを期待し、私はその誘いを受けた。
私たちの住む郊外のアパート。そこから車で三十分ほど行ったところに有名な心霊スポットがある。
何やら昭和初期まで土地神信仰があり、五年に一度、若い女性が生贄に捧げられていたとか。生贄は山奥の小屋で一生を過ごす。
これだけで、確かに雰囲気はある。
そして、問題なのは最後の生贄だ。とても美しい女だったという。彼女は生贄の世話係の男と恋に落ちる。
だが、男は次第に女に飽き始める。
やがて、男は女の世話を放棄した。信仰心もさほどなかったらしい。
男は久方ぶりに女のことを思い出す。小屋に行くと、女は死んでいた。
そして、立っていた。人間ではなくなった女が。
彼女は透けた青白い顔で言った。
答えをお待ちしております、と。
というのが昨日ネットで調べた概要だ。
その心霊スポットでは女の「答えを、答えを」という声が聞けるらしい。
私の彼はそれを録音して、SNSに上げたいようだ。
私は車を運転する。彼は後部座席で電話中。相手はきっとあの可愛い女の子。
彼の浮気なんていつものこと。
会社帰り、どんなにくたびれていても、食事を用意する。朝昼晩。一食でも作り損ねると彼の機嫌は悪くなる。だが、彼は朝まで帰ってこない。当然のように。
二人で一緒に眠ろうと買ったダブルサイズのベッドも今や彼の独占状態。私はソファに丸まって寝る。
それでも、別れることができないのだ。
目的地にたどり着く。月明かりしかないような森の中。
夜の秋風が肌寒い。いや、この場所の雰囲気のせいだろうか。
スマホのライトで前を照らす。
平屋建て小屋は思ったよりしっかりと立っていた。だが、這いまわる蔦、あふれかえる雑草、そして、小屋に張り巡らされたお札。やはり、心霊スポットとして名高いだけはある。
彼はスマホを手に意気揚々と足を進める。不法侵入など考えないところが彼らしい。
「あはは、おもしれー」
彼はずかずかと大声を上げ、中に入る。床を踏み抜いても大声で笑い、テーマパークで遊ぶ子供みたいな無邪気さを見せる。
私は妙なことに気づいた。あれだけ、外で鳴いていた虫の音が全く聞こえない。それは彼が騒いでいるかもしれないが、とても不気味に思えた。
玄関、廊下、そして、一部屋。
穴だらけの障子を彼は勢いよく開け放った。
朽ちた畳は踏み抜かれ、食器はガラス片となり散らばる。ちゃぶ台に食器棚といった家具はことごとく残骸となっていた。きっと私たちのような人間が踏み荒していったのだろう。
彼がスマホをかざしながら、部屋をくまなく回っていく。私はそれをぼんやりと眺める。
どうしてこんなくだらないことに付き合っているのだろう。
思わず俯くと足元にノートが落ちていた。和綴じのノート。表紙には年号が書かれている。
私は魅入られたようにそれを開く。それは日記だった。
『今日も彼が来てくれた。嬉しい』
『彼の話はとても面白く、私は満たされる』
『彼の優しい手が私の頭を撫でた時、私は私の思いを自覚した』
微笑ましい話にどこか懐かしさを覚え、そして、苦しさを覚え、私は頁を飛ばす。
『今日も彼が来た』
『嫌なことがあったらしい。私を殴った』
『今日はわき腹を蹴られた。とても、痛い』
『今日も彼が来た。彼は私を獣のように抱いた。苦しかった』
読んでいるうちにそれが誰の日記かわからなくなってきた。まるで私のことのようで。
「つまらないな。帰ろうぜ」
彼の言葉で我に返る。私はとっさにその日記を隠すように鞄に入れた。見られたくなかったのだ。
彼が苛立ち紛れに家の柱を蹴った。軋む。家鳴り。そして、声が聞こえる。
『答えを、答えを』
どこから聞こえてくるのか。部屋全体に鳴り響くような若い女の声。
彼はスマホを落とし、素っ頓狂な声を上げる。
『答えを。貴方が最後に来たあの日、私が泣いた答えを』
白い靄。だんだんと輪郭がはっきりしてくる。半透明の青白い、美しい女。
『答えを、答えを』
彼は半狂乱になってわけのわからない悲鳴を上げ続けている。だが、私はなぜかその女を怖いと思わなかった。
彼女と目が合った。
『答えを』
彼女はきっと日記の書き手。あのネットの知識が正しいならば――。
なんだか申し訳なくなった。私はその答えを持ち合わせていない。
女に背を向け、彼に肩を貸し、私はその場を後にした。
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