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第四話 人魚
「いったい、君はどこへ行ってしまったんだ」
数カ月間にわたり君を探し回った僕は、ついにへとへとに疲れ果て、君を探すことを諦めた。
「ちょうどいいじゃない、キミももう高校3年生。受験に集中しないと! 知り合いでもない女の子にうつつを抜かしてる場合じゃないぞ」
君はまた、キャッキャとはしゃぎながら、砂のお城を築き上げて遊んでいる。落ち込んでいる僕をよそに、本当に他人事だ。
「だから、他人事だもん」
「でも君のことで苦しんでいる」
「毎日自分のあとに座る変態くんに嫌気が指したとか」
「ねえ、僕は本当に落ち込んでいるんだ」
「ごめんごめん」
君は砂の城のまわりにお堀を作り、波に寄せられてきた水を招き入れる。子供のように嬉しそうな笑顔。しかし、喜んだのも束の間、すぐに引き潮とともにお堀はくずれて、とても残念そうな顔を浮かべる。
──結局、「古文の単語帳」は渡せなかった。
あの日の放課後、
せっせと描いた絵はがきも……。
君を見失ってからすぐ、「単語帳」は鎌倉駅の駅員さんに託した。いつまでも僕が持っていて良いものではない。もちろん、挟んでいた「絵はがき」は抜いた。
渚に静かに寄せる波。
砂浜に置かれたコカ・コーラのボトル。
赤い髪にヘッドフォン、セーラー服の少女。
きれいな絵が描けたと思った。
君に届けたいと、本気で思った。
「泡になったのさ、アタシは」
「泡?」
「キミがキスをしてくれないから」
「待て待て、なんの話だい」
君は立ち上がり、両手についた砂を紺のスカートで払い落とすと、僕の方をじっと見る。いつもとは違い、なんだか真剣な眼差し。それから、ずんずんと歩みを進め、砂浜に座る僕の前でかがみ込み、僕の顔の前に、その綺麗で小さな顔を近づけてくる。
「アタシは実は人魚だったのさ」
「人魚?」
「ほら、髪も赤い」
「ああ、リトル・マーメイド」
君の顔が近い。思わせぶりで、悪戯な表情の君。
臆病者の僕は、恥ずかしくなり、思わず視線を地面にそらす。
君は「アハハ」と大きな声で笑い、立ち上がったあと、再びお城の方へ去っていく。波に打たれた彼女のお城は、いつのまにか何千年も前に滅びた古代の遺跡のような姿になっている。
「でも君はショートヘアじゃないか」
「細かいことは気にしてはいけないよ、キミ」
紺色のスカートから伸びた白く細い足で、古代の遺跡を平らかに戻す君。
「アタシもそろそろ海に帰らなきゃ」
「まさか、君まで行ってしまうのかい」
「キミは勉強に集中しないと。英単語の記憶中に、アタシの笑い声が聴こえたら邪魔だろう?」
「それも悪くない」
「ダメだよ」
波のむこう、深い海を見つめる君。
「その絵はがきは、キミが持っておいてくれたまえ」
「待ってよ」
「いつかまた、アタシを思い出すことがあったら」
「待てってば!」
「アタシの絵も描き入れてよ」
「……え」
「その絵はがきにさ、人魚になったアタシを」
「真っ赤な髪でさ、海をすいすい泳ぐの」
君は僕の方を振り返る。
波のようなサラサラとした笑顔を浮かべているのに、うっすらと頬に伝う涙が見える。
「僕は、君を忘れたりしない」
「忘れるさ、キミは臆病者だから」
「忘れない」
「そっか……」
「うん」
「じゃあ、信じてるよ」
「待ってるよ、アタシを描いてくれる日を」
***
──なんで、忘れていたんだ。
こんなにも大切な思い出を。
所詮は妄想、空想。
……自分勝手な恋心。
だけど、
それでも、
僕は彼女に約束をしたんだ。
あれから僕は絵を描いていない。
受験を終え、大学に入り、アルバイトに励んだ。
就職して、取引先をまわり、仕事に励んだ。
──なんで、絵を描いていない。
約束した。
忘れたりしないと。
誓った。
絵はがきに彼女を描き入れると。
──人魚になった彼女を描くと。
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