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エピローグ
日が暮れていく、秋の海岸線。
静かな波の音、潮の香り、オレンジの夕陽。
──赤いロングヘアーの似合う、美しい君。
返金を済ませ、業務が終了する。
「では」
背を向け、ドアの方へ向かう君。
また、行ってしまう。
待って、ダメだ。
「あ、あの」
「──?」
君は振り向き、大きな瞳で僕の方を見つめる。
「赤い髪で、ショートヘアで……」
「?」
「ヘッドフォンをつけていて、横須賀線で」
「……はい?」
「古文の単語帳を失くした名波なぎささん……ですか?」
「……え」
「横浜の方から乗ってきて、鎌倉駅で降りて……」
「戸塚駅、7時40分発の電車で」
「僕は、僕は……」
「僕は、ずっとあなたが好きでした! ずっとあなたに憧れて、だからいつも同じ車両に乗りたくて、必死に走って!」
「ごめんなさい、こんなこと……気持ち悪いですよね。迷惑ですよね。本当にごめんなさい。でも、だけど……もう後悔したくなくて! もう二度と会えない気がして、だから!」
『やあ』
『キミは知っているかい?』
『人魚はね、王子様のキスで、声を取り戻すんだよ』
『ほら、アタシは喋れるようになる』
「……驚いた。それ、わたしですね」
「あ……」
「確かに、古文の単語帳、失くして困ってました」
「鎌倉の駅員さんに届けたんだけど」
「引っ越したんです。親が離婚しちゃって」
「ああ……、そうだったんですね」
「でも波の音が好きで、また帰ってきちゃった」
「僕も、この穏やかな波の音が好きです」
耳をすませば、聴こえてくる。
穏やかな波の音。寄せては返す渚の夕暮れ。
「ありがとう」
「え?」
「単語帳、駅員さんに届けてくれて」
「あ、いや」
秋の潮風が吹き込む。
もうすぐ夕陽は落ちて、あたりは暗くなる。
「それで、また電話くれるのかな」
「え?」
「だって好きなのでしょう? わたしのこと」
ニッコリと笑う君。
今日は、なんて最高な一日なんだ。
「あ……は、はい! もちろんです」
「楽しみにしてます。なんだか不思議」
「あ、あと!」
「はい?」
僕は手に提げていたビジネスバッグから、大事にしまっていた絵はがきを取りだす。
穏やかな波、コカ・コーラのボトル。
君のうしろで、人魚がはしゃいでいる。
「きれい……」
「これを、あなたに」
「わたしに?」
「本当は、もっと昔に渡すつもりだった」
「あら、そうなんですね」
絵はがきを受け取ってくれた君は、なんだかとても嬉しそう。よかった……やっと渡せた。
「ハムが一個なくて、得したのかも」
「え?」
「なんでもない」
「すみません……」
絵はがきから僕に視線を戻し、またニッコリと笑う君。ああ、なんて美しいんだ。
「それでは、また」
「はい、また」
『またあした』
『そうだね、またあした』
ああ、夢ならば、どうか醒めないで。
日の暮れゆく渚の街が、静かに……。
──波の音に染む。
―了―
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