博士の右腕

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右腕をなくし未来をなくした俺には、まだまだ長い人生が残されていた。治療が最優先されるが、その先のことを考えなくてはならない。カーテンの向こう側に広がる曇天、気が滅入って仕方なかった。 「俺の人生なんて、何もかも終わりだろうが」 「それはどうだろうか」 誰もいない自室で返答があった。驚くというよりもぼんやりとした気分で、声のあった方へ顔を向ける。どこにでもある新興住宅地の一軒家だ。間取りを工夫したといってもそれほど広い家じゃない。八畳もないような一人部屋に、もう一人自分以外の男がいる。男は俺の学習机の前にある椅子に座っていた。 正確な年齢はわからないが自分の両親よりは若いんだろうと思った。白髪も生えていないし、しわもあるようだけど、まだまだ若々しかった。疲れたサラリーマンって感じでなくて、筋肉のついたけっこうがっしりした体格だった。もしかしたら鍛えているのかもしれない。 「なんだよ。おっさん。泥棒?それとも頭の狂った殺人鬼?どうでもいいけど、でてってくんない?」 俺の言葉にちょっと眉を動かしただけだった。それどころかまるで知り合いの叔父さんか何かのように、親し気に語り掛けてきた。 「今は腕を失って、自分の将来も失ったと思ってるね?よくわかるよ」 気持ち悪いおっさんだった。俺の何が分かるっていうんだよ。一体何しに来たんだ。そもそも知らないおっさんが、部屋にいること自体わけがわかんねーよ。今さらのように怒ってみる。 「け、けーさつ呼ぶけど」 「警察?ああそれもそうだね。君から見れば私は不法侵入者だね」 「俺から見ようが誰から見ようが、立派な不法侵入者だよ」 あっはっはっと大きく笑う知らないおじさんをどうしたら良いものか困った。悪い人ではなさそうだが頭は悪そうだ。おじさんは俺の部屋を見まわして嬉しそうにしていた。変なおじさんだ。 「で、なんか用?」 懸命に強がってみせた声音は思った以上に弱々しい。はっきり言って、自分に起きたことに参っている。オリンピックの出場候補ともあり、それなりに注目を浴びていたためマスコミが騒いでいる。とてもじゃないが家から出る気になれなかった。 「腕がなくなって、辛いだろうね」 「そりゃ辛いよ」 自分のなくなった右腕を隠すように布団をかぶった。 この奇妙なおじさんは椅子から立ち上がると、自分の右腕に左手をあてた。ぽかっと音がしたと思ったら、肩から外したばかりの右腕を差し出してきた。 「じゃあ、私の右腕をあげるよ」 悲鳴をあげなかった俺をほめてほしい。差し出された右腕は本物そっくりの義手だった。
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