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「はい?」
駄目だ。患者に対して本気の「はい?」が出てしまった。幸い、当の患者は腹を立てることもなく、もう一度彼自身の発言を繰り返した。
「ですから、性欲と恋愛感情を無くして欲しいんです」
困った。それが技術的に出来ない訳じゃない。だが、特にこの2つは法律で厳しく規制されている。
一般的に性欲除去は性犯罪者、それも3回目以降で、警察、検察、裁判所全てから許可が降りない限りは違法となる。
というかそもそも違法、と言われなくてもこんなことを言い出す人は少ない。先に精神鑑定をした方がいいか?
「一応色々お聞きしますが...それが犯罪に当たることはご存じですか?」
「...もちろんです」
「なにか過去に犯罪──特に性犯罪──を起こしたことは?」
「一度もありません」
「......一応精神鑑定をしても?」
「別にいいですけど...その前に、こちらを見ていただいてもいいですか?」
男はそう言うと、椅子の後ろに置いていたジュラルミンケースを持ち上げ、ケースを開けた。
そこには、
一面の札束。もちろん全て万札。
「必要であれば、もう1つなら準備出来ますが、どうでしょう?」
負けた。人間、欲には勝てない。
「...分かりました ただ、なぜそのような考えに至ったのか教えて頂いてもよろしいですか?」
「お話するほどのものじゃありませんよ ただ、そんな欲や感情を持っている自分自身が気持ち悪く感じただけです」
「しかしその感情を持つこと自体はなにも悪くありません ...間違った形で行動に移さない限りは」
「怖いんです 今はそんなことしなくても、1ヶ月後、1年後......10年後に、そんなこと、自分がしている訳がない、と心から言いきれないんです」
「...おそらくですが、あなたはあまりご自身に自信を持っておられない ……なにも法を破らなくとも、自己肯定の促進剤なら注射1本で...」
「分かるでしょう?あなたの目の前にいる男が、女性に好かれることがないことくらい...!ただ性欲を満たすだけならAVだって、風俗だってなんだっていいんです …でも...それじゃ虚しいだけなんです」
自殺者と似ている、と思った。
他人が客観的に見れば、解決法が見つかることも、主観的にしか見れなくなって自殺以外に選択肢がないと錯覚する。
彼は今、同じ状態だろう。
確かに、別にモデルになれるほどのイケメンではないが、見たくもないというほどの顔をしているわけでもない。いわば「普通の顔」だ。
「分かりました ただ、性欲除去に関しては、体への負担を減らすため、少しずつ減らしていく形になります それでもかまいませんか?」
「もちろんです …ありがとうございます」
「いえ...では、2本注射を打っていきますね」
1本目。性欲減退剤。
2本目。自己肯定促進剤。
結局、この男からの注文はなにも守らなかったことになる。
「これで大丈夫です とりあえず、1週間ほど様子を見て、しばらくやっていけそうだと思ったらもう大丈夫です もし、また今と同じ状態でしたら、もう一度注射を打ちますから」
「本当に、ありがとうございました ようやく、気が楽になりました」
「いえ、それではお大事に」
自分の嫌な部分を無くせば自分を好きになれるほど、人類は都合よく出来ていない。
嫌いな所に正面から向き合えるだけの気力。
辛い人が、本能的にその気力を求めるようになっていたら、どんなに楽だろうか。
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