涙が涙であるゆえに

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 抱きしめられている今ではわかることはないが、おそらく今母さんは泣いているのだ。  あの日、涙する僕を必死に泣かずに抱きしめてくれていた母さんが。 「涙は水を表すさんずいに、戻るという漢字を書く。つまり、流した水は戻らないの。それが涙だってね。最初は何を言っているのかわからなかった。でもね、今なら少しわかる気がする。こうやって、あの日涙を流した奏太を抱きしめていると……」  僕の背中に回されていた母さんの腕はそっと離れ、僕の目の前には目を真っ赤にして、涙をこれでもかと流していた母さんの表情がそこにはあった。 「涙が出るなら、出せばいい。そして、そのあとは立ち上がるの」 「立ち上がる……?」 「そう。挫けて立ち上がるように、涙を流したら立ち上がるの。だって、泣くって漢字もそうでしょ?」  頭の中で思い浮かべると確かにその通りである。とはえい、だからなんだというのか、今のこの状況と、どういう関係が── 「だから、奏太」  また、母さんによって抱きしめられる。  それは先ほどよりも少しばかり強かった。 「だからね。もうあの日のことを考えるのはやめる」  母さんの腕で少しばかり耳が塞がれ、聞き取りずらかったが、はっきりとその言葉が聞こえた。 「今まで、奏太のことを思って色々気を使っていたけど、全部やめる。このあとどんなことになるかわからないけど、その時はその時。泣けばいいのかなって思う。だからね……。奏太も泣いた理由だとか、涙を流した理由で悩まなくてもいいよ──」  母さんの最後の言葉だけははっきりとわかった。  泣いた理由。涙を流した理由。それらの過去に縛られる必要はない。もういらないのだと。  今まで乗っていた重りが取れる感じがした。  そして、答えなき旅路は終わりを告げたのだった。
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