ハッピーバースデー

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「ハッピーバースデー・トゥー・ユー。ハッピーバースデー・トゥー・ユー」 リビングから、手拍子とともに楽しそうな歌声が聞こえてくる。 その様子を横目で見ながら、私はケーキ用のお皿とフォークを人数分用意していた。 「おめでとう、美奈ちゃん!」 盛大な拍手とともに、輪の中心にいた美奈ちゃんがふ…とロウソクを吹き消した。 「ありがとぉ」と舌足らずにお礼を言う彼女に、再び大きな拍手がわき起こる。 サークル内でも一番人気の美奈ちゃん。彼女の誕生日を祝おうと言い出したのは、隣で一際大きな拍手をしていた田川くんだ。 まあ、美奈ちゃんが入会したときからひそかに狙っていたもんね。そりゃ、はりきりもするわけだ。 (本当はひとりでお祝いしたかったんだろうけど、断られたらカッコつかないから、みんなを巻き込んだんだろうな) ちょっと底意地の悪いことを考えながら、用意したお皿をリビングに持っていく。 みんなに配り終わったところで、インターフォンが響いた。 新たなお客さんは、同じサークルの今井くんだ。 そういえば今日はバイトがあるって言っていたっけ。 「もう、先輩遅〜い」  唇をとがらせる美奈ちゃんを「はいはい」とあしらって、今井くんは鞄を開こうとする。 ふと目があった。 「え?」というように、今井くんがわずかに顔をしかめたような気がした。 パーティーがはじまって一時間。 みんな代わるがわる美奈ちゃんのそばにいっては、他愛のない話をしている。 私は、空いたお皿やグラスを下げようとして、ふと足を止めた。 キッチンの奥から、田上くんと今井くんの話し声が聞こえてきたのだ。 「なんでオーコがここにいるんだよ」 どきっとした。 「オーコ」とは私のことだ。 「大館洋子」だから「オーコ」。 「なんでって、一人くらい女子がいたほうが美奈ちゃんを誘いやすいだろ。それに女子がいたほうが片付けとか楽だし」 「でも、オーコはダメだろう」 「バカ。オレだって最初からあいつに声かけたんじゃねーよ。他の子にも声かけたよ。でも、みんなダメだっていうし、あいつしかいなかったんだよ」  ──どうしよう。  このままキッチンに入るのは気まずい。  でも、この皿をいつまでも持っているわけにはいかない。 「おーい、ビール、もうないんだけど」  助かった! 「私、買ってくるよ。何本あればいい?」 「えー15本くらい?」 15本──なかなかの量だな。 でも、がんばればひとりで持てなくもない。 「わかった、行ってきます」 リビングからの音楽、笑い声、美奈ちゃんの「アイス食べたーい」と舌っ足らずなおねだり──それらが、玄関のドアですべてシャットアウトされた。 街灯がぽつぽつと道を照らす住宅街。 合計15本の缶ビールを両手にぶらさげて、私はちょっとした替え歌を口ずさむ。 「ハッピーバースデー・トゥー・ミー。ハッピーバースデー・トゥー・ミー」 がらん、がらんと缶がぶつかりあう。 「ハッピーバースデー・ディア──私」 そう、今日は美奈ちゃんの誕生日だけじゃない。 私の誕生日でもあるんだ。 どうせ誰も知らないだろうけれど。 2時間前──「ミーティング」という名目で、私たちは田上くんの家に美奈ちゃんを呼びだした。 最初は隣の部屋に隠れていて、彼女がリビングに入ってきて戸惑ったような顔をしたとたん、クラッカーを鳴らして飛び出した。 「誕生日おめでとう!」 あのときの、美奈ちゃんの顔。 大きな目がますますまん丸になって……くしゃくしゃっとした笑顔になったっけ。 (私もあれくらい可愛いかったら、今頃サプライズパーティーを開いてもらえたのかな──なんて) わかってる。 そんなこと考えても意味がない。 ドアの前で、いったんレジ袋を置いて深呼吸をする。 「……よし、大丈夫」 意識して口角をつりあげると、私は勢いよく玄関のドアを開けた。 「ただいまー。ビール買って──」 言葉が、途切れた。 20分ほど前までサークル仲間で賑わっていたはずのリビングが、なぜかもぬけの空になっている。 (まさか……) 心臓が、大きく跳ねあがる。 脳裏をよぎったのは、数時間前の光景。 隣の部屋にスタンバイしていた男子たち。 クラッカーと同時に響いた「ハッピーバースデイ」の声。 (まさか……) 今日はあくまで美奈ちゃんの誕生日で── 私も誕生日だってこと、みんなは知らないはずで── かたん、と物音がした。 驚く私の前で、今度こそ隣の部屋のドアが開いた。 現れたのは──今井くんただひとりだ。 「あれ? オーコ、帰ったんじゃないの?」 「帰ってないよ、ビール買ってきただけ。みんなは?」 「カラオケ行った。美奈が歌いたい歌あるって」 「あ──そうなんだ……」 両手のレジ袋が、それぞれの指に食いこむ。 今更だけど、缶ビール15本はやっぱり重たい。 「これ、どうしよう」 「そのへんに置いておけば」 「それじゃ温くなっちゃうよ」 「いいんじゃない。どうせビールのことなんて忘れてるよ、あいつら」 そうだろうね。 今頃美奈ちゃんの歌声に夢中だよね、きっと。 それでもキッチンの冷蔵庫を開けて、まだ冷たい缶ビールをおさめていく。 1本、2本、3本──袋が軽くなるたびに瞬きが増えるのは、きっと冷蔵庫のあかりがまぶしいせいだ。 「なあ、オーコ、ビールちょうだい」 「何本?」 「ええと──2〜3本?」 ちょうど袋に2本残っている。 それを取り出すと、私はのろのろと立ち上がった。 (これを渡したら帰ろう) 帰って、一人で誕生日を祝うのだ。 ハッピーバースデー・トゥー・ミー──最初からそうすればよかった。 赤くなった指先を握りしめ、冷蔵庫の扉を閉める。 リビングでは、今井くんがあまったバースデーケーキを切り分けていた。 「もったいないよなぁ、これ。お前も食えば?」 「いらない。お腹いっぱいだもん」  それじゃあ、と帰ろうとすると、今井くんは「待てって」と、切り分けたケーキの上にロウソクを一本突き刺した。 「20本足りないけど、これで勘弁な」 はい、と小皿を渡される。 え、なに? どういうこと? 驚いて顔をあげると、今井くんはどこか照れくさそうに笑った。 「誕生日だろ、オーコも」 ハッピーバースデイ。 あたたかな声とともに、小さなロウソクに火が灯る。 ゆらゆらと揺れる炎。 そのオレンジがじわりと滲みはじめたのは──間違いなく、目の前にいる彼のせいだった。
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