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朝の内に延泊しておいた部屋に戻ると、さっちゃんは、机に座ってタブレットで何かを見ていた。僕の顔を見るなり、
「タクさん~~~。私、お腹、すきましたぁ~~~」
と、見ていたタブレットに覆いかぶさるようにして言った。
「何?何も食べていないの?」
「外に出れないじゃないですかぁ。もし、万が一、誰かに見られたら大変でしょ?」
「ロケの最中だったらホテルの周りには関係者は誰もいないし、コンビニぐらい行っても大丈夫なのに・・・」
そう言いながら、そこまで慎重に行動してくれているさっちゃんに対する信頼度がムクムクと上がっていくのを感じて僕は抱きしめたくなった。
「念のためですよ。ほら、タクさん、もう人気者でしょ?」
僕は、さっちゃんに近づき、さっちゃんの後ろから抱きしめる。さっちゃんは顔を僕の方に向けて僕の頬を撫でた。そして、立ち上がって、僕の体に腕を回した。そして、僕たちはキスをした。
「もう一回?」
唇を離して僕はベットにちらっと視線を泳がせふざけて聞く。
さっちゃんが、
「お腹が空きすぎて・・・」
と僕にふざけてしなだれかかる。
「そうだよね。腹は減っては戦は・・・」
というと、
「えーーー戦って言葉はちょっと・・・。」
とさっちゃんはもぉーとふくれるふりをした。しかし、次の言葉にさっちゃんのふりは長くは続かなかった。
「外に食べに行こうか?」
僕がそういうと、パッとさっちゃんの顔が輝く。
「えっ?いいんですか?」
「うん、大丈夫。事務所の人にも帰ってもらったし、共演者もスタッフを大半が帰ったのを見届けたんだ。」
そう、言うと、さっちゃんは、
「だから遅かったんですね。ロケ、終わってるはずなのに、戻ってこないので、もしかしたらもう戻ってこないと思ったんです。」
と少し切なそうに言った。僕は、どう応えていいかわからなくて
「専属スタイリストと二人で食事したからって何もおかしくないでしょ?それに、荷物だってここに置いてあるのに。」
と少しおどけて言う。
「あっ、そっか。」
気を取り直したようにさっちゃんはまた笑顔になった。
外に出ると、空はすっかり薄暗くなり始めていた。
僕たちは駅前の、個人が経営している風情の居酒屋に入った。僕は中に入る時、一瞬警戒心が湧き上がり店内を見渡したが、夜が早くて客は誰もいなかった。
静かな店内で僕たちは向かい合って座る。
若い女性がお茶とメニューを持ってきた。きっと、相手は気にしていないと思うけど、一瞬、僕たちがどういう関係に見えているのか気になり、僕は、あまり顔をあげずに応対した。
一応帽子は深くかぶっていたけど、正直、こんな田舎町で僕の知名度があると思うほどうぬぼれてはいなかった。どちらかというと、ロケのスタッフとかに見られる方がまずいかと思ったが、大半はちゃんと見送ったし、もし、数人残っていてもどうにでも言い訳はできそうだ。
僕はビールとつまみを、さっちゃんもビールを頼んだのにこの地域の名物だという山菜御前をさっちゃんは頼んでいた。
「私、ご飯とビールって好きなんです。」
そう、注文した後も無邪気にメニューをバラバラ見ているさっちゃんがウフフと笑いながら言った。今日のさっちゃんは、朝からよくウフフと笑っている。今までに見た中で一番ご機嫌だ。段々、その罪悪感も少しもなさそうな笑顔の奥で何を考えているかが気になって、思わず僕は口にした。
「僕たち、どう見えるのかな?」
すると、さっちゃんの顔から例のウフフという表情がさっと消え、少し目を伏し目がちになった。
「それは・・・」
さっちゃんは口ごもる。言いにくそうにしている彼女を見ながら僕は朝からずっと思っていたことを口にしてみた。
「さっちゃんは・・・僕が、家族がいること、気にならないの?」
単刀直入に聞いた僕の顔をさっちゃんはじーっと見つめる。ああ、触れなくてもいいことを聞いてしまったかもしれない。そう、僕は内心焦る。それでも、もう口に出してしまったからには僕はさっちゃんの答えが気になる。どんな答えを言ってほしいのかも僕はわからないけど、さっちゃんの答えにがっかりするかもしれないのだ。
すると、さっちゃんが、小さな声で、しかし、僕の目をしっかり見ながらこう言った。
「タクさんは、タクさんの家族のことは気にならないんですか?」
今度は、僕が黙り込む番だった。
何も答えることができなかった。さっちゃんが答えられないように、僕も答えられない。そんな黙りこくった僕に、さっちゃんが
「だからあ、仕方ないのかなって思います。これってどうしようもない関係でしょ? お互い、どうしようもなく惹かれてしまって止められなかったんですよ。家族がいても、不適切な、リスクのある関係だったとしても。」
そう、必死に言った。
「私、こんな気持ち、初めてなんです。こんなに自分が誰かのことを思って大胆になれるなんて思ってみなかったんです。他の誰かではダメで、タクさんとじゃなきゃ、きっとこんな気持ちにならないんです。もちろん、悪いことなのかもしれない・・・。でも、今、この瞬間だけじゃダメですか?タクさんと私しかいなくて、二人でいる今この瞬間だけ、考えませんか?」
僕は黙ってさっちゃんを見つめた。
その答えは僕の予期せぬ答えだったけど僕はがっかりはしなかった。
逆にさっちゃんの真剣さが伝わって、感動していた。そして申し訳ない気持ちにもなった。
そう・・・もし、本当に、今、この瞬間だけ、考えればいいのなら・・
その白い手を握りしめてその唇に強く唇を重ねて、その、白い肌をむき出しにさせて、柔らかなふくらみに息もできないくらい顔を埋めて、そして一つになりたかった。
僕の中で、一瞬、周りの音も人も消えていた。
裸で絡みあう二人だけがそこにいた。
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