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お義母さんに背中を押され由紀さんの側にいく。お義母さんは美桜を連れてそっと病室の外へ出た。
「由紀さん?」
「私ね、駄目なの」
何が、とは問い返さず黙ってその先を待つ。由紀さんは深く息を吸ってゆっくり吐き出した。
「美桜の要望が分からない。何で泣いてるのか分からないし、何をしても泣き止まない。マニュアル通りになんて全然いかない。オムツ替えても、おっぱいあげても、抱っこしても、何が不快なのか暑いのか寒いのかすらも分からない。お母さんが抱っこしたら泣き止んで寝るのに、私が抱っこしても泣き止まない、寝ない、……やっと寝たと思ってもすぐ起きるんだよ。どうしたらいいの? 私だって寝たいのに、寝れないし休めないし家事をしようと思っても美桜は泣くし――」
由紀さんは目に涙を浮かべ、今までずっと溜め込んでいたものを爆発させていた。
「私、完璧じゃないと嫌なの。だけど出来ない。家事もホントは苦手。掃除なんて嫌い。上手く出来ないの、分からないの。もう辛いの。苦しいの。美桜が泣く度に母親失格だって言われてる気がして死にたくなる。他のママと比べて、どうして自分はこんなに子育てが出来ないんだろうって、私いつも自分を責めてる。美桜を愛したいのに今はそんな余裕がどこにもなくて泣いてる美桜を嫌いになりそうで怖い。……もう、消えてなくなりたい……」
うわっ、と両手で顔を覆うその指の隙間から透明な雫が流れ落ちる。ずっとその華奢な身体の中で我慢して溜め込んでいたのかと思ったら、どうしようもなく切なくて、どうしようもなく愛おしくなった。
「由紀さん」
ぎゅうと抱き締めると、以前よりも更に細くなっている気がした。
僕は彼女がこうなるまでどうして気付かなかったのだろうか。いや、彼女から目をそらしたのは僕の方かもしれない。情けない姿を見せたくないがために彼女の視線を避け、完璧な彼女を直視しなかった。
「ごめんね、由紀さん。そんなに苦しい思いを抱えてるなんて知らなくて。知ろうともしなくてごめんね。君が僕に打ち明けられなかったのはきっと僕に責任があるんだ。由紀さんの完璧を邪魔しちゃいけないなんて思っていた事を後悔するよ」
「違う、私が母親としても妻としても失格だから――」
「そんな風に自分を責めないで。僕らは夫婦なんだ。楽しい事を半分こするなら、苦しい事も半分こしなきゃね。……あのさ実は僕も君に隠していた事があるんだ。聞いてくれるかい?」
僕は仕事が出来ない事、部下に指示が出来ない事を涙を流す彼女に明かす。
「うそ」
「嘘じゃない。白石にでも聞いてみるといいよ。本当の事だ」
「貴方も苦しんでいたのね」
「君も苦しんでいたんだね」
二人の、ごめんね、と言う声が重なり、ふふ、と笑い合う。久しぶりに顔を合わせて笑い合ったかもしれない。
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