92人が本棚に入れています
本棚に追加
だい10わ
私はその日、辛抱強く待った。
できることなら、一刻も早く情報を集めて、推理を進めていきたいという気持ちがあったのだが、その情報を集めるためにも、十分休憩やお昼休憩といった中途半端な時間では歯痒いと思ったのだ。
チャイムに邪魔をされて、捜査を中断されたくなかったので、私は今日の放課後まで待っていた。
思う所はあったものの、佐藤くんとは全く会話をせず、尊とは適当に距離を置きつつ、過ごしていた。
今は、佐藤くんや尊と、会話をして変な知識を入れたくなかった。
その理由としてはミスリードを避けるためだ。
今、私は尊たちに対し、疑心暗鬼になっている。そんな状態で情報を彼女たちから取得すると、変な色眼鏡で見てしまうと思ったのだ。
だから、私は放課後になると、すぐさま教室から出て、二年四組の教室まで行った。
以前、浮気の調査依頼をしてきた合原さんがいる教室だが、ここに燐花もいる。
燐花が下校するまえに捕まえ、じっくりと話をしてみたかった。
ずっと疎遠になっていた友人に声をかけるのは、とても神経を使うものだが、そこで怯みたくなかった。
今朝聞いていた、佐藤くんと高橋くんの友情のきっかけを、素敵な話だと私は思っていた。
羨ましいと思ったのだ。
私たちは、クラスが変わっただけのことであっさりと疎遠になったのに、佐藤くんと高橋くんは、二年生になってクラスが分かれても、疎遠になるどころか、最近もっと仲良くなったような気がするとさえ言っていた。
男子の友情と女子の友情は、違うのかもしれない。
でも、私はそれに憧れた。
だから、疎遠になっていた燐花と、放課後に話すことで、また友達としてやり直せるのではないかと思った。
私の部屋に飾られた写真のように、また三人で遊園地に行って遊べたらいいなと、望んでいた。
「燐花」
私は、四組の教室に入ると、真っ直ぐに矢部燐花に声をかけた。
四組の生徒たちがぞろぞろと教室から出ていく最中、燐花も今仲良くしているらしいグループの女子と帰ろうとしているところだった。
「あら、この子、探偵部じゃん」
燐花の友達が物珍しそうに声をあげる。
たった一人の珍妙な探偵部の部員である私は、それなりに有名だ。
「……真理……」
燐花は、少し驚いたような顔をして私を見つめていた。
だが、その表情もすぐに冷たいものに切り替わった。
「なにかよう? もう帰るとこなんだけど」
「話しがしたいの。時間、貰えないかな」
「……」
私が真剣な目をして、燐花に訴えかけると、彼女はきょろきょろと教室の外を確認した。
「尊はいないの?」
「え、うん。私だけ」
「じゃあ、なに。探偵ごっこの相手?」
燐花の言葉には棘があった。
冷ややかな目は、私の顔から背けられている。
疎遠になったとはいえ、ここまで私たちの関係が冷え切ってしまうものなのか……。
私は、少し胸が苦しくなった。
だが、燐花からすれば、仲良かった三人組が、二対一で別れてしまって、自分は独りぼっちになったようなものだっただろう。
それは私や尊に対しての気持ちを、凍らせるのには十分な理由になったかもしれない。
「……燐花と、話したいって思ったんだ」
この言葉はウソじゃない。二年生になってから、燐花と疎遠になる毎日の中で、何かきっかけがないものかと思っていたことだ。
だけど、そのきっかけはやってこないままだった。
友情を取り戻すのに、きっかけを求めて動かなかった私が悪い。
本当に必要だったのはきっかけなんかじゃなく、しっかりと燐花に向き合って、会話をしようと歩み寄ることだった。
でも、それはできなかった。
私は尊と同じクラスになって、尊と話すことが多くなった。
一学期の頃に、尊にも燐花と遊ばないかと提案したが、尊が渋い顔をした。
「あの子はもう、別の友達と遊んでるから、声をかけたら迷惑だよ」
そんな風に言って、私もなんとなく、燐花には声をかけにくくなったのだ。
実際、廊下なんかで見かけても、燐花は私たちを無視したし、いつも同じクラスの女友達と一緒にいた。
なんだか、声をかけにくい雰囲気が出来上がっていたのだ。
その雰囲気を言い訳にして、私は燐花のことをほったらかしにしたのだ。
そのことを思うと、私はなんだか傷跡が抉られるような、じくじくとした痛みを感じてしまう。
「ごめん、みんな。今日は先に帰ってて」
燐花は、周囲の友達にそう言うと申し訳なさそうな顔をした。
周りの友人たちは、快く承諾して、先に教室から出ていく。
結局、四組の教室には、私と燐花だけが残った。
あっという間に夕暮れになる放課後の教室は、短い黄昏の色に染まっていた。
「ごめんね、燐花」
「別に謝られるようなことされてないから」
「……最近はあの子たちと仲いいんだ?」
「うん。クリスマスも集まってパーティーするし、お正月は初詣も一緒に行く約束してる」
「そっか……。良かったね」
完全に、私はもうお呼びじゃないと言われているのが感じ取れた。
「……よく続けられるね、あんた」
「え?」
「探偵部よ。学校中で噂になってるわよ。合原さんの依頼も解決してやったんだって?」
半ば呆れたように、燐花は頬杖をついて、窓の外に視線を向けた。
表情に影が出来て、私からは燐花の顔がはっきりと見えなくなる。
「……好きなんだよね。探偵」
「バカみたい」
ぴしゃりと燐花は否定した。
まぁ、確かにバカな行いだと思う。でも、それは私もとっくに自覚してる。尊からも似たようなことを言われているから、私は愛想笑いで返した。
「あのさ、この際だからハッキリ言っとくよ。あたし、もうアンタたちとは縁を切ってるから、話しかけないで」
「……っ」
「なにが探偵よ。少しは大人になったら? 付き合ってらんない」
「……うん……」
私は、力なく頷いた。
こうなることは分かっていたけれど、はっきりと燐花から宣告されると、心臓に氷柱を突き刺されたような気分だった。
「わ、私のことは、いいんだ。探偵部なんてやってる変人だって自覚してる。元々、私も孤立する覚悟はあったから、燐花が愛想を尽かすのは当然のことだと思う」
「……」
私は、自分でも弱々しいと思える声で、つくり笑顔を浮かべて口を動かしていた。
燐花は、私を見てくれず、沈んでいく夕日をじっと見ている。
「で、でもさ。尊とは仲良かったじゃん。一年の頃から、私も思ってたんだよね。私、二人の邪魔になってるなーって」
自分のような人間と仲良くしてくれる、尊と燐花が、私は好きだった。
私が一人で部活ごっこをしている時も、二人は仲良く一緒に帰ったりしていたのを知っている。
そんな二人が、冷え切ってしまったのが、私は申し訳ないと思っていたのだ。
独りぼっちになるのは私のほうだったのに、燐花が一人になってしまった。
私はあのクラス替え発表の日、自分が消えてしまえばいいのに、くらいに思いつめたのを覚えている。
ピクリ、と燐花が反応した。
「尊と、仲直りはできないかな?」
そう言った瞬間、燐花は椅子から立ち上がり、私に振り向いた。
凄まじい怒りの眼光で、私を睨んでいた。
「っ!」
私は燐花の表情に、言葉を失っていた。
明確に、敵意が噴き出しているのが分かる。
「アンタ、ほんとに探偵やってるのかよッ? なんにも知らないでさ!」
「え……」
怒声が教室に響き、私はたじろいでいた。
「あたしと尊のことも知らないまんま、探偵部の依頼に夢中だったもんね?」
「……ど、どういうこと?」
「絶対に教えてあげない。あんたは一生、バカな探偵ごっこやってれば?」
燐花は、そう吐き捨てると、教室から立ち去って行った。
私は、ぽつんと一人、四組の教室に取り残された。
足が動かなかった。
立っているのも難しくて、よろよろと机にもたれかかった。
心臓に刺さった氷柱が、体中に巡る血液を凍らせていくような感覚だった。
(……なに、してんだ……私……)
友情を取り戻したいなんて、都合のいい話だった。
燐花とは、もう決定的に、致命的に、関係が修復できない怒りで大きな溝ができているのだ。
疎遠なんかじゃなかった。
クラスが分かれたから、話さなくなったのでない。
明確に、燐花は理由があって私たちを避けていたのだ。
自分が孤立することは、怖くなかったのに、自分のせいで尊と燐花が仲たがいをしたのかもしれないと思うと、鋭い痛みが胸を引き裂いた。
「あ……、うぁ……、あぁ……」
気がつけば、私は嗚咽を漏らして泣いていた。
涙がぼろぼろ零れ落ち、眼鏡のレンズを濡らして視界をグニャグニャにしていく。
なにが間違っていたのだろう?
燐花と尊の間になにかあったのだ。それを私はまるで気が付いてやれてなかったということだ。
なにが探偵部だ。
大事な友達のことを思いやれないまま、自分が好きなことにしか目を向けていなかった。
大馬鹿野郎じゃないか。
机に寄り掛かっていた私は、そのままずるずるとくずおれ、床に手を付き、嗚咽を止められずに咽び泣いていた。
そんな私の肩を誰かが抱きしめた。背中に温かい重みが感じられて、はっとして顔を向ける。
「さ、佐藤くん……?!」
「……」
いつの間にか、後ろには佐藤くんが居て、泣いている私を後ろから慰めるように抱きしめていた。
私は慌てて、佐藤くんから離れると、眼鏡を取り、涙でぐしゃぐしゃになっている顔を、袖で拭く。
佐藤くんは、ポケットからハンカチを取り出し、私に差し出して来た。
「使ってくれ」
私はそれを受け取れず、自分の顔を覆った。こんな姿を誰かに見られたくなかったのだ。
「ほっといて」
そして、そんな心無い言葉を返してしまう。
佐藤くんの気持ちそのものさえ、今は信じられない状態なのに、こんな姿を見せてしまって、私は完全に混乱していた。
「なんで、ここにいるの」
「声が聞こえた」
「悪いけど……今は一人にして」
視界も思考も、全部めちゃくちゃになっていた。正常に物事を整理できそうにない。
誰もいない場所に行きたかった。
このままだと、佐藤くんに……私は八つ当たりをしてしまいそうだった。
「なにかできることはないか」
相変わらず、感情の乏しい表情だ。冷静で、私なんかより、よっぽど探偵向きだと思った。
だから、私は余計に悔しくなっていく。
「……ほんとに、私のこと、好きなの?」
「ああ……」
「ウソなんじゃないの? なんで私なんかを好きになるの? おかしいじゃない、私、変人で、友達さえ傷つけてたのに気が付いてない、バカなんだよ!」
ああ……だめだ。せき止められなくなる。
だから、佐藤くんには、早くここから立ち去って欲しいのに、彼はじっと私を見つめていた。
こんな汚らしい感情を、見せたくないのに、ぶつけたくないのに、口が勝手に動いてしまう。
「どうせ、私のことからかってるんでしょ? 尊たちに頼まれたの? ドッキリ成功の看板はどこなの?」
「からかってない。本気になっていると、最初に言ったはずだ」
「だったら! 証拠をみせてよ!」
私は、もう抑えきれなくて、感情が激しくあふれ出し、叫んでいた。
なんて子供っぽい……幼い姿をさらしているのだろう。
ここにきて、自分がまだただの十四歳のガキんちょなんだと、自覚させられる。
怒りの矛先を、振り上げたこぶしを、佐藤くんに向けてしまう幼稚さは、かっこ悪くて死にたくなるのに、自分で自分を制御できなかった。
「三十七回」
そんな私に、佐藤くんは静かに述べていた。
何かの数字を――。
私は、なんのことなのか分からず、佐藤くんの顔を見つめた。
「今日、お前がシャーペンを回転させた回数だ」
「……え……」
「証拠にならないかもしれないが……。僕はお前を見ていた」
三十七回……。私が思案するときのクセであるシャーペン回し……。その回数を見ていたと、佐藤くんは言った。
その数字があってるのか、自分でも分からない。
だけど、佐藤くんはただ、素直に私の目を見つめ、そう言った。
そして、ハンカチをもう一度差し出してくる。
「私、そんなに……シャーペン回してた?」
「ああ、そんなだから、テストの平均点が低いんだろうな」
「余計なお世話だ!」
私は怒鳴りつけると、彼のハンカチを奪い取る。そして、汚れた私の顔面を、彼のハンカチで拭った。
ふわっとした柔らかい布地は、ほんのりと温かく、佐藤くんの香りがした気がした。
「田中の言う、ドッキリというのは分からない。ただ、僕の気持ちは、本当だ」
佐藤くんは、相変わらず飄々とそんなことを言う。
「ごめん……。ちょっとキャパオーバーして、狼狽えちゃった」
私は、謝罪して、眼鏡をかけなおす。
「私……。色々と見落としてたんだ」
燐花の言葉を聞いて、分かったことがある。
燐花と尊の間に、なにかあったのだ。そして私はそれを気が付けないでいた。
探偵部にかまけていて、友達に気を配れていなかったからだ。
一体、いつ、その決定的な事件が起こったのだろう?
二年になった直後は、まだそこまで険悪な様子はなかったはずだ。
私が探偵部の依頼に夢中になっていたと、燐花は言った。
私は、スマホを取り出し、過去の依頼内容をチェックする。
メールで届くようにしている探偵部の依頼に紐づけ、私は過去の調査をしっかりとスマホのデータにファイリングしている。
今年の春ごろ以降に受けた依頼を見ていく。
探偵部に、本気で依頼してくる生徒なんてそうはいない。依頼数もそんなに大量にあるわけではないので、データを見ていけば、ある程度分かってくるものがある。
浮気調査、落とし物探し……。当時からそんなつまらない依頼ばかりで、私はがっかりとしていた。
最近は浮気調査の依頼だって、合原さんの時のように、真実を伝えるのではなく、丸く収まるように適当な仕事をしていた。
夢中になった依頼なんて、そうそうない。
特に二年生になってからなんて……。
依頼リストのデータを眺めながら、私は、はっとした。
「あ……」
思わず声が漏れ出る。
佐藤くんが、小さく首を傾げた。
ひとつ、あったのだ。
二年生になった私が受けた依頼の中で、夢中になっていたものが。
つまらない浮気調査や落とし物探しではなく、大事な家族を捜索してほしいという依頼を受けた。
いなくなってしまったペットの猫を探してほしい――。
この依頼だけは、私は必死になって頑張った。
なにせペットは家族だ。それを見つけ出すというのは、つまらない探偵業にマンネリを感じていた私を燃え上がらせた。
あれは一学期の、六月半ば頃だったか……。
雨の日だったことを覚えている。
私のメールに寄せられた依頼は、いなくなってしまったペットの猫を探してほしいというものだった。
ネコの画像が添付されていた。真っ白なネコで、名前は『みーちゃん』。
「……どうしたんだ?」
佐藤くんが、ぽかんと口を開けて、動かなくなった私を見ている。
「佐藤くん、ネコ飼ってるんだよね」
「そうだ。調べたのか?」
「名前は、みーちゃん」
「その通りだ。白猫だ。 巳年生まれだから『みぃ』と名前を付けられた」
滔々と答えた佐藤くんの言葉に、私は完全にバラバラになっていた、ピースが合わさっていくのを感じていた。
「私、 寅年生まれなんだよね」
「言わなくても分かる。同い年だからな」
佐藤虎。トラという名前は親が付けたのだろう。きっと、ネコの名前も。
寅年生まれだから、トラ。
「妹さんも居るんだっけ?」
「ああ、そこまで調べたのか。流石探偵部だな」
妹は、一つ下の学年。
寅年の次は 卯年……。
ペット探しの依頼をくれた送り主の名前が、書いてあった。
――『うさぎ』より、と。
「佐藤うさぎちゃん、一年何組?」
「二組だが」
「ちょっと来て!」
私は佐藤くんの手を握り、一緒になって、一年二組に駆け出した。
最初のコメントを投稿しよう!