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だい5わ
自宅に帰ってから、私は部屋で腕組みして考え事をしていた。
「……情報が足りない」
今回の依頼を解決するためにも、情報が必要なのは間違いない。
佐藤くんが、私を好きになったその理由を見つけること。それは個人的にも興味津々だから、私は積極的になっていた。
はっきり言って、自分が誰かから好かれるなんて想像したこともなかった。
私に魅力を感じてくれたその理由は、自分にとっても知っておいて損はないだろう。
こんな打算的な考え方をしているのは、佐藤くんが私のことを好きなんだという事実が小っ恥ずかしいための防御壁とも言える。
「ともかく、一度彼としっかりと話さなくちゃね。私もあんまり佐藤くんのこと詳しく知らないし」
――もし、付き合うことになるのなら――。
相手のことを知っておいた方がいいと考えながら、私はちょっとだけ頬を赤くした。
付き合う……? それって何をするんだ?
だって、私たち、まだ中学生だぞ。
色々と男女の経験をするのは早いのではないか?
――なんて思っても、私は知ってる。
これまでの恋愛調査の依頼を通して、同年代の少年少女が、どのくらいまで進んでいるのかとか。
……まぁ、うん。そういう行為まで至っているカップルもいるのを知ってるし、それは少数派という感じでもない。
経験をする年齢なのかもしれないけれど……。
……や、やめよう。
なんか生々しいことを想像してしまった。
あんまり、そういうことは考えてない。恋愛はよく分からない。
人を好きになる気持ちというのが、アニメのキャラを好きになる気持ちとどう違うのかさえ、私には分からない。
私は意を決して、スマホを手に取ると、メール画面を開いた。
依頼主である佐藤くんのメールを開き、それに返信を行う。
『土曜日、会えますか』
短い、たった十文字のメールだったが、私はそれを送信した。
すると、一分もしないうちに、スマホが震え、メール着信を報せた。
佐藤くんからの返事もまた、短いものだった。
『OK』
私はその二文字だけの返信に、重いため息を吐き出す。
なんだか、妙に緊張していた。
そして、更に返信する。
『じゃあ、午前九時、駅で』
『OK』
短い返事なうえ、先ほどと同じ文面に私は佐藤くんという人間が本当に掴みきれなかった。
私はなんだか一人で勝手に盛り上がっているみたいで、ちょっと悔しい気持ちになった。
本当は、佐藤くんを誘うこのメールだって、それなりに考えて考えた結果できた十文字のメールだったんだ。
それを二文字で返してきやがってこんちくしょう。
仮にも私のことを好きなら、それっぽいリアクションをしてほしいものだ。そういうところから今回の謎のヒントにつながるかもしれないっていうのに。
私は深いため息を吐き出し、土曜日のことをあんまり考えすぎないようにしようと、ベッドに身を投げ出して、目を閉じた。
――土曜日の朝。
私は八時半に家を出て、駅への道を歩んでいた。
十二月中頃の朝は恐ろしく寒い。なぜわざわざ朝に待ち合わせをしたのかは、まさにこれが理由だ。
こんな寒い冬の土曜日、朝から出かけようという同学年の生徒は少ない。
そうだ、私は一応、他人の目を気にしたのだ。
友達である尊にすら、佐藤くんとのことはまだ話してない。
「あ」
私は思わず口を開けた。
駅に着くと、そこには佐藤くんが待っていた。
学生服ではない佐藤くんの姿は、一瞬目を疑ったが、駅の入り口である階段の前で一人きりだったから、私はすぐに気がつけた。
佐藤くんは、群青のコートと黒のジーンズを着込んでいた。
これが佐藤くんの普段着なのかと、ぼんやりと彼を見つめた。
自己主張の少ない彼らしい。
あまり個性を見せつけないその服装は、雑踏に紛れると、見つけられなくなりそうだ。
そして、私はふと思い出した。
今日の自分の服装を。
暖かいコートは赤。ロングスカートはふっくらした生地の白。
なんというか、彼とは真逆の色合いだと思った。
「おはよう」
私はゆっくりと彼に歩み寄りながら挨拶した。
彼は顔をあげると、私の出で立ちを見て、暫し固まっている様子だった。
「おはよう……」
少しの間をもって返された言葉は、学校で会話したときと同じ、感情が浮かびにくい声だった。
「可愛いな」
「は!?」
「……服」
(この速球ストレート野郎めがーっ!)
私はそんな悪態をつきながらも、口は閉じきって、真っ赤な顔を強ばらせるだけしかできなかった。
どこが可愛いんだ! 普通だぞ! しま○らで買ったマネキンが来てたやつだ!
分かった、佐藤くんは女子のファッションを見る目がないんだ。いや、そもそも女子を見る目がないんだ!
そうじゃないと、私に対して恋に落ちるはずがないっ!
「それで今日はどこに行くんだ?」
「そこのマックよ」
「なんだって?」
「だから、そこのマックで今回の依頼に関する聴取をしたいの」
「……デートじゃなかったのか?」
「ちっ――違うっ!!」
デート? デートって付き合ってからするものだよね?
私たちはまだ付き合ってない。
朴念仁みたいな顔をして、なんでそんなことを言うんだ。この男は!
佐藤くんは相変わらず、表情筋が死んでいるみたいに無表情だ。
そんな顔をして、もしかして今日、デートのつもりでここに呼ばれたと思っていたのだろうか。
本当に、分からない。この佐藤という男子のことが。
私はマックに入り、適当にポテトとコーラを頼んだ。佐藤くんはコーンポタージュスープを頼んだようだ。
空いている席を見付け落ち着くと、私は大きく溜息を吐き出していた。
「やっぱり土曜の朝は空いているね。よかった」
「事情聴取なら、二人きりになれる場所の方がいいんじゃないのか」
「ふ、二人きりは、ちょっとなんか、逆にやり辛いからここでいいの」
なんだか、変に意識させられるから、二人きりになるのはNGだ。
客足はまばらだが、まったくいないというわけでもない。
このくらいの適度な雑音があったほうが、話しも紛れて人に聞かれることもないだろうし。
「えっと、それじゃあ今日は時間もあるから、しっかりと情報を集めさせてもらおうかな」
「何でも聞いてくれ」
そう言うと、彼は熱そうなコーンスープを一口啜った。
「じゃあ、私がいくつか質問するから、嘘偽りなく回答してね」
「ああ」
私はそこでスマホを取り出しメモアプリを立ち上げる。
そこに、今日までに調べておいた、人が恋に落ちる原因をリストアップして記載しておいたのだ。
「えと……、まずひとつめ。一目惚れ。人が誰かを好きになる瞬間の第一位。それは一目惚れよ」
「僕がお前に一目惚れしたというのか?」
「……私を初めて見かけた時……、いつだったの?」
なんだか、自分に惚れたタイミングを探っていくというのは、自意識過剰みたいでむず痒いものがあるが、これが彼の依頼なのだからしょうがない。
佐藤くんは、顎に手を当て深く思案している様子だった。
「……お前を初めて見たのは、二年生になった時、クラスメートの自己紹介の時だな」
「……ふむ。その時に好きになったの?」
「いいや。それはない」
「ハッキリ言うわね」
彼は淀みなく言うので、私が怪訝な顔にさせられてしまった。
そんなにきっぱりと言い切れるものなのだろうか?
「今年の四月、という事だろう? あの時期は僕は、そんな気持ちを持っていなかったはずだ」
「へえ、それは大きなヒントね。少なくとも、今年の春ではない……ってことは確定してるんだ」
私も同時に今年の春、二年生になった頃のことを思い返す。
新しいクラスになって、尊と同じクラスになれたことを喜びあっていて、他のクラスメートのことは結構おざなりに見ていた気がする。
もちろん、佐藤くんもその中の一人だったし、彼は自己紹介もあっさりしていたから、ほとんど記憶にない。
そこにはまだ接点はなかった、という考えに間違いはないだろう。
「じゃあ、一目惚れの線はバツだね」
「不思議なものだな」
「なにが?」
滔々と言葉を零した佐藤くんに、私は何気なく質問した。ポテトをひとつつまみ口に運ぶ。
塩味が聞いていて美味しい。
「あの時はお前なんて、なんの感情も動かさない姿だったのに、今のお前は、可愛いと思える」
がちん、と舌を噛んでしまった。
「なっ、なんでそういうこと、ズバズバ言うかなあ!?」
佐藤くんの不意打ち剛速球に、私は顔を真っ赤にして唾を飛ばしかねない勢いだった。
「不思議だ……」
感慨深そうに言う彼だったが、表情はまるで変化しない。本当に私のことを可愛いと思っているのか、このアンドロイドピッチャーは!
キャッチャーの気持ちを少しは考えてほしいものだ。
「もうっ。じゃあ次の質問だからね! ちゃんと答えてよ!」
「ちゃんと答えている」
「はいはい! それじゃあギャップ萌え、これも人が恋に落ちる要因になるらしいけど、どう?」
「ギャップ萌え?」
私の質問に、佐藤くんは首をかしげて見せた。
なんだかその仕草は少し可愛いと思った。これこそ、ギャップ萌えだろう。
いや、私のほうの話はどうでもいいのだ。
彼が、私にギャップ萌えをしたかどうかだ。
「私に対して、ギャップを感じたことはない?」
「田中にか……? 一人探偵部の変人という名札を付けたお前に、ギャップをか?」
「喧嘩売ってのかねぇ……」
私が妙ちくりんな女子生徒だということは、学校内ではそれなりに広まっている。
探偵部なんておかしなことをやっている生徒なんて、一人しかいない。
私は変人。そういう評価を佐藤くんも持っていたということだろう。
そんな私に対するギャップってなんだろう?
少し自分でも考えてみた。
(一人で探偵部やってる変人女子だけど、実は……凄く清楚なお嬢様……ではないしなぁ)
自分でも分析をしてみて思ったが、やっぱり私はギャップを感じるようなものはないようだ。
つまり、私は第一印象の通り、普通に変人なのだ。
……凹みそうになった。
十四という年齢の私たちは、所謂思春期に入りだして、精神がとっても過敏な時期だ。
子供だけど、大人になろうとしている年頃の私達は、奇行に走る者も数名見受けられる。
男子のなかだと、怪我をしているわけでもないのに、眼帯を付けて登校してくるようなヤツがいたりした。
女の子の中にだって、私はおばけが見えるのよ、なんていうスピリチュアルなことを言う子がいるし、そういう中では私はまだまともなはず……だと思う。
「ギャップというわけではないが、お前を見る目が変わったのは確かだな。さっきも言ったが、今はお前の仕草が気になって仕方ない」
「ま、またそういうこと、言う……」
私はコーラのストローに口を付け、恥ずかしさを誤魔化すように中身を啜った。
その様子さえ、佐藤くんはまじまじと見つめてくるので、どんどん胸が熱くなる。恥ずかしくて汗が噴き出していた。
「じゃあ……私にギャップを感じたことはない、ってことでいい?」
「ああ、ない」
複雑な気分だ。ハッキリ言われると、こちらもぐうの音も出なくなる。
「じゃあ、これは? 相手が自分を好きだと知った時……ってこれはないか」
特に意識をしていなかった異性が、自分のことを好きかもしれないと気が付くと、なぜかその人に気持ちが動いていくという情報から訊ねてみたが、これはあり得ない。
なぜなら、私は佐藤くんに対して好意なんて持ってないからだ。
今だって、ドキドキさせられてはいるが、好きっていうわけではない。恥ずかしいだけなんだ。
「田中が、僕のことを好きということか?」
「だから、それはないって言ってるの!」
「……そうか。確かに、お前が僕に好意を持っているだろうと予測したことはない」
「でしょ、だからこれはなしね」
私は少し捲し立てるようにこの話を切り上げた。
なぜって、このシチュエーションは佐藤くんよりも、むしろ自分側に当てはまるからだ。
佐藤くんが私のことを好きだと言ったせいで、私は彼のことが気になってきている。
まだ、好きじゃないけども。
いや、まだっていうかこれからも好きになるかは分からないけども。
なぜか私は必死に、自分自身に妙な弁明をしていた。
スマホのメモアプリの次の項目を慌てて読み上げる。
「価値観が同じ人に共感し、そこから恋心が生まれる。これは?」
「価値観? 僕と田中が? 同じだと思うか?」
「……私が聞いてるんですけど」
「ないな」
「あ、そう。実は私もそう思ってました。共感したね」
佐藤くんが何を考えているのかもはっきり分からないのに、共感も何もない。
彼だって、変人の私に対して、価値観が同じだなんて思っていないことだろう。
そういう意味では共感しあったが、それは本末転倒だ。
「じゃあ、これはどうかな。不安を感じたり自信を失っている時に助けられると、恋に落ちやすい……」
「……お前に助けられたことはないように思うが」
「私も佐藤くんを救った記憶は持ち合わせておりません」
「…………」
これも違うか、と私は半ばこの事情聴取に意味がないのではと諦めかけていたが、佐藤くんはそこで暫し沈黙した。
表情は変わらないのだが、スープカップを掴んだまま、その中身をじっと見つめている。
何か思い当たる事柄でもあったのだろうか。思案している雰囲気だった。
「なにか、思い当たることあったの?」
「……いや。自信を失っていた時期は、確かにあったと思ってな」
「! ほんと!?」
思いがけない情報だ。恋に落ちた原因には直接的には関係ないかもしれないが、今は些細なことでも情報がほしい。
「それっていつ頃?」
「……去年からだ」
「えっ。去年って……一年生の時からってこと?」
「そうだ。詳しくは言えないが、僕は悩みを抱えていた」
意外だった。感情表現に乏しい優等生の佐藤くんが、自信を失うような事があったのか。
成績はいつも学年トップだし、何かコンプレックスを抱えている様子はないと思い込んでいたが、彼もやはり思春期に入った少年の一人ということだろうか。
その話はもう少し詳しく聞き込みをしたいところだが、流石に内容がデリケートなものなので、彼が語りたくないという以上は踏み込めない。
「でも、一年から抱えていたものと、二年で顔を合わせた私には接点がなさそうだし、無関係かなあ」
私は掴みかけたヒントがそのまま霧のように散っていくのを感じ、少し身体を脱力させた。
「こういうの、吊り橋効果って言うんだって。不安な状況で手を差し伸べられると、相手を好きになりやすいみたいなんだ」
「……面白い話だ」
恋愛指南書なんかに良く書いてある『吊り橋効果』。不安定な吊り橋の上は、落ちてしまうかもしれないという不安が胸をドキドキさせる。
それを恋心に錯覚する、らしい。
思ったよりも人の気持ちと言うのは、適当なのかもしれない。勘違いで恋に落ちてしまったりするのだから、探偵的には美しくない。
思考のロジックこそ、探偵の魅力なんだ。
高校生探偵のカレはそう言っていた。
「田中」
「ん?」
ふと、佐藤くんが改まった様子で、こちらを見つめていた。
私はストローを咥えたまま、間抜けな顔をしていただろう。
「まだ昼前だ。土曜日はまだたっぷりある」
「う、うん」
「ちょっとついてきてほしい」
「え……?」
何かを思いついたのか、佐藤くんはこれまでにないほど、真剣な声で私を真っすぐに見据えていた。
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