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だい7わ
佐藤くんとの思いがけないデートを終え、私はその日一日、妙な胸の高鳴りを誤魔化せないままになっていた。
彼と一緒に入ったおばけやしきは、確かにぞっとしたが、私はそれ以上に佐藤くんに対する気持ちを錯覚しないように努めようとしたため、恐怖とか慕情とか、とにかくドキドキするようなことを精一杯無視してやろうとしたわけだ。
家に帰り着くと、本棚にある高校生探偵漫画を取り出し、必死になって読み耽った。
それから高校生探偵のフィギュアや、イラストを見て、懸命に自分の恋心を確かめた。
(私は、高校生探偵が好き、佐藤くんじゃない!)
そう自分に言い聞かせ、暗示でもかけるように脳裏で繰り返して見せた。
ふと、姿見に映る自分の姿に気が付き、私は鏡の中の自分の顔を、しげしげと眺めた。
「……」
そして、眼鏡をとり、見慣れた自分の素顔をじっと観察してみる。
垢抜けない、平凡な中学生の女の子という自己評価は絶対に間違ってない。
何度確かめても、自分のこの顔が、可愛いなんて思えなかった。
(あいつ……、こんな顔のどこがいいんだろ)
ジェットコースターに乗った時の、彼の言葉が鼓膜に張り付いて離れない。
私の顔を見て、可愛いなんて……。そんなのは絶対に美的感覚が狂っていると言える。
「そ、そうだ。もしかしたら、佐藤くんもプレーリードッグが好きなのかもしれない。だから、私のことを可愛いって言ったんだ」
そんな理屈が出てきたのは、尊の言葉を思い出したためだ。
そしてそれは、自分の精神を安定させるのにとても丁度いい効果を発揮させてくれた。そんな理由でもないと、正常な思考に戻れそうになかったからだ。
「……ほんとに、どうしたら好きになった瞬間なんて分かるんだろう……」
人を好きになったことなんてない。
高校生探偵は、二次元のキャラクターだ。それに対する恋心は、まやかしなのかと聞かれると、今までの私だったら、そんなことはないと断言していただろう。
相手が二次元の、架空の存在だとしても、胸を熱くさせる彼の言動に、私は間違いなく恋をしていたと言い切れる。
しかし三次元の、相手が何を考え、どんな行動をしてくるのか予測不能な男子が、その相手だと考えると、とてつもない奇妙な感覚に襲われる。
高校生探偵は私を裏切るようなことはしない。
なぜなら、彼は私に対して、「可愛い」と言わないから。
でも佐藤くんは、私を可愛いと言ってくる。そんな存在がこの世の中にいることが信じられない。
それが心を揺さぶるんだ。
不安な、嬉しいような、恥ずかしいような、分けの分からない混濁した感情が渦巻くんだ。
「うう、この変な感じ……どうにかならないの?」
どうしようもない暴走機関車みたいな感情の暴れ具合を鎮めたい。どうしたらいいのか誰かに相談したい。
一人でこれを支えるのはあまりにキツイ。
どれだけ大好きな高校生探偵を眺めても、油断すると、すぐに佐藤くんの顔が浮かび上がって来た。
彼の言葉が、表情が、反芻されてしまう。
私は今回の依頼はあまりにも難問だと頭を抱えた。
迷宮入りしてしまうかもしれない。
ミステリーで、トリックが分からないときは情報が足りていないときなんだ。
まだ、この謎に対し、欠けている情報が沢山あるはずだ。
こういう時は、友人に頼るのが一番だ。
私は机に飾っていた、写真立てに眼を向けた。そこには、一年生の時の写真が収められている。
私と、尊ともう一人。矢部燐花が映っている。
写真の中の三人は、楽しそうに笑っている……。
一年生の頃はこの三人で仲良く過ごしていた。
それこそ、遊園地に遊びに行ったのは、この三人でだし、何をするにもいつも一緒に行動をしていたように思う。
私は一年生の時から、探偵部をしていたので、二人とは若干距離を感じていたが、尊と燐花はとても仲が良かったと思う。
しかし、二年生になって、私と尊は同じクラスになったものの、燐花は違うクラスになった。
一学期の初めの頃は、それでも友達だよなんて話していたのに、三人の関係性は徐々に薄らいでいった。
私と尊は同じクラスだという事もあり、関係性が続いたのだが、燐花とは疎遠になっていったのだ。
二年生の冬となった今はもう、まるで連絡を取らない。
燐花は燐花で、あちらのクラスで友人を作ったようだし、そっちのグループで交友を深めているらしい。
女子の間の友情というものは、大体そんなものだ。
自分の身の回りから離れ、疎遠になるとすっかり友情も消滅していってしまう。
私たちは別に喧嘩をしたわけでもないが、次第に学校で見かけても声をかけなくなってしまった。
「考えてみたら、私みたいな探偵オタクと仲良くしてくれるのは、尊だけだなあ」
私は正直なところ、自分が孤立しても構わないという気持ちで探偵部をしている。
孤高の探偵というのも、ハードボイルドでカッコいいと思っていた節もある。
こんな奇妙な私を見捨てずに付き合い続けてくれる尊には、感謝を示すべきかもしれない。
本来なら、尊と燐花が同じクラスになるべきだったのではないかと、考えたこともある。今となっては虚しい考えだけど。
「尊に相談してみよっかな」
今までは佐藤くんのことを、尊には言わなかったが、私はこの渦巻く気持ちを誰かに聞いてほしくて堪らなくなっていた。
きっと尊なら、良い助言をくれることだろう。
あの子は、私よりも恋愛沙汰に対し、経験が豊富だ。
男子に人気だし、男の子が恋に落ちる瞬間のことも、詳しいかもしれない。
私はスマホを取り出し、尊に電話をしようかと思った。
しかし、電話ではこの気持ちのことや、佐藤くんの依頼のことを上手に説明できるとは思えなかった。
その結果、私はチャットアプリで、尊に明日、会えないかと連絡を入れてみた。
暫く返事を待っていると、「いいよ、私の家でもいい?」とチャット画面に表示された。
私は尊に「それでいいよ」と返すと、時間を決めて明日、会う約束を取り付けた。
まさか、この私が友人に恋愛相談することになるとは思わなかった。
多分、明日尊は飛び上がって驚く事だろう。
こんな探偵オタクの私のことを、好きだという男子がいると知って、しかもそれが学年一の学力を持つ佐藤くんと知って……。
プレーリードッグに恋をした彼をなんと評するのか、私は明日が少し楽しみになった。
――翌日、私はお昼過ぎに尊の家に向かっていた。
私の家から自転車を漕いで十五分、集合住宅の中にある鈴木家は、もう何度か足を運んだこともあり、気負いすることもなく、家のチャイムを押せる。
尊のお母さんが出てきて、挨拶すると、彼女が待つ奥の部屋に促された。
「来たよ、尊ー」
「いらっしゃい。お茶とお菓子用意してくるから、ちょっと待ってて」
尊の部屋は私のオタク部屋と違い、女の子の部屋だと言わんばかりにファンシーだ。
ベッドの枕元には沢山のぬいぐるみ、机には小物が並んでいるし、カーテンや布団は、真っ白で綺麗だった。
オタクな私が彼女の部屋で関心を引くのは、本棚にあるバスケマンガだ。
尊は、この男子バスケ部を描いた漫画が大好きだと公言していた。
事実、この漫画は少年誌で連載されているにもかかわらず、女の子のファンのほうが多い。
私はなんとなく、尊の部屋を見回して、自分の部屋と何一つ同じものがないことを思い知らされる。
よくこれで友達やってくれてるなというほど、似通うものが見付けられないから、逆に笑える。
服装やアクセサリーなんかも、しま〇らでマネキン買いする私とは違って凝っているらしい。
どこかのブランドが好きでよく集めていると言っていた。
彼女の鞄には、なんだか可愛いキーホルダーがぶら下がっている。
ジグソーパズルのピースを模したそのキーホルダーは、表面にアルファベットでSと書いてある。
シンプルながらに、どこか愛らしい。Sは鈴木のSだろう。
ぼんやりと待っていると、尊が紅茶とクッキーを用意して帰って来た。
「ダージリンのいい香りだ」
「これ、ニルギリだけど」
「……ごほん」
知ったかぶりをしてしまった。紅茶の香りなんてよく知らない。
部屋の中心にあるローテーブルにお茶を置き、私たちは向かい合って座った。
私は遠慮なくクッキーに手を伸ばし、一つ頬張る。
サクサクしていて甘味が強く、ニルギリという紅茶は薄味で、バランスがいい。
「んで、なんか話があるんでしょ?」
「うん。と言っても、色々複雑というか、珍妙な話過ぎて、信じてもらえないかもしれないんだけど……」
私はそう切り出して、佐藤くんの依頼と、彼が私に恋に落ちた原因の調査のために、昨日遊園地に行ったことを伝えた。
話を全て聞いてから、尊はぽかんとした表情で、こちらを見ていた。
驚きというか、信じられないというか、そういう表情だった。
無理もない。私だって、最初は冗談か悪戯だと思ったからだ。
「あの佐藤くんが、真理に惚れたっての?」
「……だって……あいつがそう言うんだもん」
「ふうん、ならよかったじゃん。付き合いなよっ♪」
心底嬉しそうに、というか、面白そうに? 尊は佐藤くんと私のことを応援していた。
「いや、付き合うとかそういうのは違うんだって! これは依頼なの! 佐藤くんが、私のことをどうして好きになってしまったのかを調べるために、探偵として請け負ったの!」
「バカだねー! そんなの、探偵オタクのあんたと付き合うための口実、方便でしょ! 頭のいい佐藤くんらしい、面白いアプローチだわ」
「えっ、そ、そうなの?」
尊の言葉に、私は目からうろこが落ちたような気分だった。
私が気になったから、探偵オタクの嗜好に合わせた告白をした、という事なのか。
その推理は、証拠がないものの、否定はできないものだった。
「そ、そうだとしても、なんで私なんかに惚れたのか、おかしいと思うじゃん。……気になるでしょ」
「ふぅん、じゃあ真理もまんざらでもない感じなんだ?」
「違うってば! これは純粋な好奇心なの! どうして、私みたいな変人を好きになったのか……。これってミステリーじゃないっ?」
私はちょっと早口になって、尊の言葉を断ち切った。
別に佐藤くんが気になったからじゃない。私を選んだ理由が謎すぎて、興味が沸いただけなんだから。
「なるほど、前に変なことをあたしに訊ねてきたのは、これが原因だったんだ」
にんまりと笑みを浮かべる尊は、新しい玩具を見付けた悪戯っ子のようだった。
「ねえ、お願い。私、こんなの経験ないんだよ。尊は……告白されたこと何度かあったよね?」
「……まぁ、そうだけど……」
「尊が告白されるのは分かるんだ。可愛いし、スタイルも良い。性格も開けっぴろげだし、打ち解けやすいもん」
尊が告白されたり、ラブレターを貰っているのを、何度か見たことがある。
中学二年生になって、それは徐々に鳴りを潜めていったが、一年の頃の三学期くらいは本当にピークだったように思う。
二年生になってクラスが変わるからなのか、男子が尊に声をかけているのを知っている。
「……でも私は、顔もぱっとしないし、スタイルは幼児体型。性格は知っての通り奇人変人の代表みたいなところあるでしょ」
「うん」
「ちょっとは否定しろよ……」
秒で頷く尊に、私は引きつった笑顔で突っ込む。
「だって、真理が腑に落ちてないのは、自分のその評価を自覚しているから、佐藤くんが好きになった理由が分からないんでしょ。否定してたら話が進まないじゃない」
「そ……、それはその通りです」
「佐藤くんも、どうして真理を好きになったのか分かんないって言ってるけど、昨日は可愛いって言ってくれたんでしょ?」
「うん」
「なら、それでいいんじゃないの? 人が人を好きになる理由なんて、はっきりとは分かんないもんだよ」
気がつけば恋に落ちていた――。
そんな歌を聴いたことがある。確かに恋愛感情というのは、そう言うものかもしれない。
ゆっくりと気持ちが育っていき、相手のことを好きになっていく。
気が付くと、切なさで押しつぶされそうになっている自分に気が付き、それを恋心だと確信する……。
「はぁ……」
私は結局状況を好転させるような妙案が出て来ず、大きなため息を吐き出した。
そんな私を見て、尊はくすりと小さく笑う。
「真理、シェイクスピアしってる?」
「ロミオとジュリエットしか知らない。ロミオよ、どうしてあなたはロミオなの」
「それが有名だけど、そのロミジュリの中に、名言は沢山あるんだよ」
「名言?」
「うん。恋愛は、溜息で出来た煙のようなもの、ってね」
尊はちょっと大人ぶった態度で、紅茶のカップに口を付け、まるで吟じるみたいに教えてくれた。
「溜息で出来た煙?」
「恋をすると、溜息ばかり零れるようになる。いまの真理みたいに」
「わっ、私が恋してるんじゃないよ! 佐藤くんが、私に、恋をしてるの!」
「はいはい」
とんでもない名言を残してくれたものだなシェイクスピア。恋愛が溜息で出来るんなら、月曜日の通学路は、恋愛まみれになってしまう。
これは名言ではなく、迷言ではないかと、私はシェイクスピアに直訴したい。
「そもそも、溜息は悩み事がある時に零れるものだから、恋愛とは結び付かないわ」
「ロマンを語ってるのよ、シェイクスピアは」
「私はロジックを語ってるの!」
つい、自分が恋をしているなんて認めたくないから、そんな言い訳を繰り出してしまった。
だが、自分で吐き出した言葉に、私ははっとした。
「……待てよ? そう言えば、溜息……じゃなくて、佐藤くん何かに悩んでいた時期があったって言ってたっけ」
「へえ、あの佐藤くんが?」
意外そうな顔をした尊だったが、私も同じ反応を昨日した。
「もしかしたら、それが事件を解決する糸口になるかも」
「佐藤くんがなにかに悩みを持ってたことが?」
「うん。悩みは溜息になる。溜息って恋愛なんでしょ? ロマンでは」
ちょっと皮肉なことを言ってみたが、あながちその着眼点は大事な気がした。
恋に落ちた原因。
シェイクスピア風に例えるなら、『溜息で出来た煙の火種』ってとこかな。
佐藤くんは、その悩みに関して語ってくれなかった。
事件を解決するためには、時には依頼主の事情を知っておく必要はあるだろう。
もっと佐藤くんのことを調べる必要があると思った。
考えてみたら、私は彼のことをまだ全然知らない。
「佐藤くんのこと、もっと知る必要があるわね」
「……佐藤くん、正直なところ、謎多き男子だもんね。あんまり自分を語らないし」
「うん……。佐藤くんって、友達とかいないのかな? 男子同士で仲のいい人、心当たりない?」
佐藤くんのことを色々と知っている人から、話を聞ければ、彼のことをもっと理解できる。
彼の一年生のときのこととか、知りたい。
「あんまり誰かと仲良くしているのを見たことないけど……、一人思い当たる人、いるよ」
「えっ……?」
尊のくれた情報に、私は探偵として一気に引き付けられた。
佐藤くんに繋がるその人物のことを聞き出し、私はスマホのメモアプリにしっかりと書き留めたのだった――。
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