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だい9わ
月曜日の一時間目の授業ほど、気が滅入るものはない。
だが、私はいま滅入るどころか、脳がすこぶる快調に回転していた。
もっとも……、その思考能力が授業には向けられていなかったのだが……。
考えるべきことは、勿論、探偵として受けた依頼だ。
私は授業を真面目に受けて、ノートを取るふりをしながら、シャープペンをカチカチと言わせる。
さて……。私は現在の状況を一度整理する必要が出てきた。
今回は佐藤くんから依頼を受け、その依頼が自分に直接的に関わりのあるものだったから、少し冷静になれていなかった。
探偵はクールでなければならない。
当初は、この問題は、私と佐藤くんの間だけの問題だと思い込んでいたが、妙な因果関係が複数の人物を巻き込み捻じれているように思えた。
まず、今回の主役である佐藤くんのことを整理しよう。
彼はある日、自分が恋に落ちていることに気が付く。
その恋愛対象は、田中真理。つまり、私だった。
佐藤くんは自分自身、その気持ちがどこから発生したものなのか、自覚できていないらしく、探偵部をしている私へと、依頼という形で告白をしてきたのだ。
なぜ、佐藤くんが私に慕情を持ったのか……。それがこの依頼の全てだ。
あくまでも、佐藤くんはそこを重視している。だからこそ、あんな回りくどい、転落死の原因を探してほしいなんて言いまわしで依頼をしてきたのだから。
そんな彼は、一年生の時に孤立したことで、クラスで浮いていた。
そこを、同じクラスメートだった高橋くんに救われて、友達同士になる。
佐藤くんは、なにか悩みを抱えていたが、それは高橋くんにも言えていないという話を、高橋くん本人から聞かされた。
また、佐藤くんは妹がいる。その妹はこの学校の一年生らしい。
次に当たるとしたら、その佐藤妹だろう。彼女から、話しを聞いてみたい。佐藤くんがなにに悩みを持っていたのかを。
家族なら、変り者の佐藤くんのことを色々と把握できていることだろう。
……佐藤くんに関しては、ひとまずそれでいい。
実のところ、今回の依頼とはまた別の話で、私の中に、奇妙な人物関係が浮かび上がっていた。
私は、授業中の教室で、佐藤くんから、視線を移し、友人である尊を盗み見た。
正確には、彼女の鞄を見ていた。
尊の鞄には、可愛らしいパズルのピースを模したキーホルダーが付けられていた。
そこにはSの文字が描かれている。
最初に見た時は、そのSを鈴木尊のイニシャルであるSだと思い込んだ。
しかし――。
私はそっと、自分のスカートのポケットに潜ませている落とし物を指でなぞった。
それもまた、パズルのピースを模したキーホルダーだ。
これは高橋くんが落としていったものだ。その表面にはMと描かれていた。
M、どうして高橋くんがMのキーホルダーを持っているのか。
もし、私がこのピースを片方だけ見ていたら、その意味は分からなかっただろう。
だが、このキーホルダーのピース。凹凸が尊のものと、ぴったり合わさる形状になっているのだ。
つまり、このパズルピースのキーホルダーは、元々、単体のものではなく、ペアではないかと推理できた。
そうなると、Mの意味が直ぐに分かった。
Mは、ミコトのMなんだ。
そして、尊の着けているSのピースは、高橋サトルのSだろう。
恐らく、あの二人は恋人同士の関係にあるのではないか。
二人でペアのキーホルダーを買い、互いのイニシャルを身につけておく。
それは二人だけに分かる、男女の印になるわけだ。
そうなると、疑問が湧いてくる。
まず、尊はどうして私に、高橋くんと付き合っていることを公言していないのか。
これでも尊とは親友のつもりだ。カレシが出来たのなら、教えてくれてもいいだろう。きちんと二人のことを応援してやるくらいの気持ちは持っている。
まぁ恋愛の話は、この多感な時期の私たちには、センシティブな問題だし、誰かと付き合っているなんて報告は、恥ずかしくて出来ないかもしれない。
私だって、佐藤くんのことが満更でもないのでは? なんて言われると、恥ずかしくなってしまうから、気持ちは理解できる。
(でも、尊と高橋くんが恋人関係だとしたら、色々と前提が覆ってくることがあるわ)
私は授業内容はそっちのけで、指でシャープペンを弄びながら、自分の思考の世界に旅立っていく。
くるん、くるん――。
(私が佐藤くんと仲のいい男子を知らないかと訊ねた時、尊は、心当たりがあると言って、高橋くんを紹介してくれた)
事実、高橋くんと佐藤くんとは友人関係にあったので、その情報はウソではない。
ウソではないが、因果関係が奇妙に絡み合うのが偶然性を怪しませていた。
(佐藤くんの友人Sと、私の友人Mが、たまたま恋人同士……。そんな偶然あり得る?)
こういうのを、シンクロニシティと言うらしいが、作為的なものを考えてしまう。
私はロマンの女ではなく、ロジックの女を目指している。
この偶然に、なんらかのキッチリした説明がないと、納得できないのだ。
(もし……、佐藤くんの依頼そのものが仕組まれてたとしたら……?)
そう考えると、今回の偶然は、意味のある偶然に変化する。
そうすると、仮説として考えられるのは、尊と高橋くんが共謀して、佐藤くんに私への依頼を出させた、ということになる。
(だとしたら、なんでそんなことを計画したんだろう)
事態は、ひょっとすると私と佐藤くんだけの話ではないのかもしれない。
今回の転落死の原因さえも、用意周到に仕組まれていた可能性さえあるのだ。
なにか、大きな陰謀が渦巻いているなんて考えるのは、私の高校生探偵に憧れる幼稚な妄想だろうか?
尊が仕組んだ悪戯か?
佐藤くんが私のことを好きだというのも、本当はウソで、最後の最後でドッキリ成功なんてプラカードでも出してくるつもりなのか?
私は徐々に疑心暗鬼になっていった。
尊のことも、情報をくれた高橋くんも、佐藤くんの気持ちも全部疑わしくなってくる。
ロジックの問題の中に、有名な論理クイズがあるのを思い出していた。
例えばこんなクイズだ。
ある場所で殺人事件が起こった。
容疑者はA、B、Cの三名。犯人だけが真実を語り、他二人は嘘を吐く。
事情聴取を行うと、Aが「犯人はBだ」と答えた。
犯人は誰でしょう? というものだ。
これは比較的簡単な論理クイズだ。
犯人だけが本当のこと言い、他はウソを吐くのだから、Aの証言をそのルールに当てはめて考えると、誰が犯人かすぐに分かる。
Aが犯人だと仮定すると、Aの証言は真実なので、Bが犯人になる。
そうなると矛盾が発生する。Aが犯人なのに、真実を語った結果Bが犯人になる。
つまり、Aは犯人ではない。Aの証言はウソだ。
そうなると、Bも犯人ではない。Aはウソを吐いているので、「犯人がB」は偽りになる。
結果、AとBはウソを吐いているので、犯人ではないということが成り立つ。
つまり、犯人はCなのだ。
これが論理クイズなんだけど、現実ではそうはいかない。
絶対にウソしか言わない人間なんかいないし、真実しか語らない人間もいない。
今回の事件も、このロジックのように単純ならいいんだけど、そうではない。
みんながみんなウソを吐いているかもしれないからだ。
だから、事件解決には情報と証拠が必要になる。
私は行き止まりにぶち当たったみたいに、思考を止めてしまう。
まだ情報が足りていない。
今のところ、登場人物はみんな疑わしい。
まだ話を聞いていない人物に……できれば、今回の事件に接点がない人物に、この三名の話を聞いて、情報を仕入れたい。
私は、はたと思い至った。
その条件に該当する人物が一人いた。
ずっと疎遠になっていた、一年の時の友人である燐花だ。
彼女に、佐藤くんのこと、尊のこと、高橋くんのことを訊いてみるのはどうだろう?
突拍子もないアイディアとも思われたが、私はさっき高橋くんの語った友情論に惹かれていたところもあった。
男子は、喧嘩をしても翌日にはさっぱり忘れてまた仲良くなってしまうこともあるそうだ。
寧ろ喧嘩を通じてもっと仲良くなることさえあるとか。
女の子はそうはいかない。一度喧嘩をすると、もう一度仲良くやり直しというのが非常に困難だ。
だから、友人関係にぞっとするほど過敏になったりする。
私だって、性別は女だ。しかしながら、高橋くんの言うような友人関係に憧れはある。
例えクラスが分かれても、友情は消えないと言った彼の言葉は、希望の光みたいにも思える。
私は、尊たちにはバレないように、燐花にアプローチすることを決意していた。
佐藤くんの依頼は、本気の依頼なのか?
彼は本当に私に対して、恋に落ちているのか?
ここが疑わしくなったのは、尊と高橋くんの関係性のせいだ。
この二人が、なにやら後ろで糸を引き、佐藤くんを私に接触させたように感じ取れた。
尊が高橋くんとの関係を、私に打ち明けていないのかも気になる。そして、どうしてそこに佐藤くんが絡んで来たのかも奇妙な点だ。
偶然ではない。
そう言い切れる理由は、私が可愛くないからだ。
私に対し、誰かが恋に落ちるなんて初めから信じられない話だった。
私はロマンの女ではない。
特筆してモテ要素もない女の子が、ある日いきなり告白される。
それは恋愛ドラマであって、ミステリーではない。
それはロマンであって、ロジックではない。
くるん、くるんと回していたシャープペンを止める。
私は、それを机に置き、眼鏡を持ち上げた。
面白いじゃない……!
――たった一人の探偵部の名に懸けて、この謎を解いて見せる。
煙の火種……。その正体を暴いてやるわ――!
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