二章

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二章

 次に目を覚ましたとき、俺の体はきれいに整えられた純白のベッドの上にあった。  俺は違和を感じた。  それは鏡に見える頭部の包帯ではなく、枕元にある医療機器とも違った。 「おはようございます、才加さん」 「おはようございます」  挨拶だけすませると、若い看護師は部屋から出ていった。 「先生、才加さんが目を覚ましました」  どうやら報告に行ったみたいだ。 「報告ありがとう。すぐ行くよ」  遠くから聞こえる声を軽く聞き流す。  窓を見ると真上まで登った太陽が、その光だけをこの部屋に入れていた。ふとどれほど寝ていたか気になり机にあった自分のスマホを起動させる。どうやら三日ほど寝込んでしまったらしい。そして溜まっていた着信を見る。どうやら内分けは八割が姉貴であった。そして、それに書き消されるように文音からが数件、そしてその他諸々へと続く。高春は文音の番号を入力し、発信する。十回ほどコールを聞いて通話を終了した。もしかしたら講義なのかもしれない。だとしたら悪いことをしたなと思った。だとしても、履歴さえ残しておけば、終わった後にかけてきてくれるだろう。次に姉貴にかけようとしたところで、先程の看護師が入ってきた。  今度は後ろに医師もいる。 「どうだい、からだの調子は」 「はい、大丈夫です」  ただ理由もわからなく感じる違和感以外は……。 「そうか、それはよかった。  そう言えば自己紹介もまだだったね。  私は医師の高科だ。こっちは看護師の松下」  高科は軽い口取りでよろしく、と言う。  それに合わせるように松下が軽く頭を下げる。 「何かあったら頼ってくれ」  そう言い残すと、お大事にと言って部屋を出ていった。  姉貴の応答は思いの外早かった。コールが一回鳴るか鳴らないなという早さで繋がった。 「もしもし、高春?  目が覚めたの!?  大丈夫だった?」  こちらの応答を待つ素振りも見せずにただ一方的に話してくる。答えようにも、うん、と言って頷くのが精一杯だ。  一通り言い終わったのか今度はこちらの返答を待っているみたいだ。 「ご覧の通りだよ」  本当にこの一言に尽きると思う。何があったかなんて知る由もなく、今がどうであるかも掴みきれない。百聞は一見にしかず。今の自分の状況をうまく説明できなかった。先程から感じる妙な違和感も言葉にすることもできず、ただの思い違いをも疑いたくなる。 「それじゃあわかんないよ」  電話越し、互いが得ない状況で「ご覧の通り」。たしかに説明になっていない。やはり応えに不服だったらしく、少し怒ってるようにも聞こえた。  なんなら医師に聞いてカルテでも見せてもらおうかと提案したものの、だからそういう訳じゃ無いと一喝されて終わった。 「そういうことじゃなくて、高春がどう感じているかなんだよ」 「どうって言われてもなぁ。いつも通りな気もするし、何か違和感のあるような気もするし。かと言ってそれが何かも説明できないし」  どうにも思った通りの答えを聞けないと悟ったのか取り敢えず大丈夫そうねと括って話を切り上げていった。  それから一時間ほどが過ぎ、今度は文音から電話がかかってきた。 「もしもし、高春?」 「そうだよ、文音」  通話口の反対側から、文音の安堵の息が漏れる。 「よかった」  その一言だけでどれ程心配をかけていたかが慮れる。 「ごめん、心配かけた」 「ごめんじゃないよぉ……、本当に心配してたんだから……」  文音はわずかながら涙声であった。  そして一拍おいて、気持ちを落ち着かせて、 「とにかく今から向かうから、もう少し待っててね」  走り出す音が聞こえて通話は終了した。  しばらくして扉をノックする音が聞こえる。  どうぞ、と言うと、扉の向こうから文音が現れる。 「ごめん、遅くなって」 「大丈夫だよ、講義だったんだろ」  うん、と小さく首を縦にふる。どこか申し訳なさそうに。 「あっ、あともうひとつ……、ごめん」  どうやら何も持たずにお見舞いに来てしまったことに今気づいたのだろう。高春はそれについて気にしないで、と答えておいた。 「それより文音がお見舞いに来てくれたことが何よりも嬉しいよ」 「ありがとう」  どうやら少しは気を取り戻したらしく、その後はひたすらに質問攻めされた。  しばらくして、ちょうど三時をまわった頃、あるいは質問攻めが一段落した頃、少し暗くなってきた部屋に光を差そうとカーテンを開ける。 「今日は本当にいい天気だね」  そうだな、と答えて俺も少しだけ窓に近づく。  そして、自然と顔を上げるとそこには真っ青な空が……、  そこで俺のなかの何かが繋がる。いや、繋がってしまった。  それは電気回路のスイッチが入ったように、そしてそれが一瞬のうちにショートしたかのように……。  目の前の青があの景色に重なる。  どうやら倒れてしまったらしい。文音がものすごく焦って自分の名前を呼んでいる。そして、その声を聞いた看護師が、医師が現れる。  そんな状況をなぜか俯瞰的に知覚しているようだった。  そして、また青が網膜に焼き付いて、意識が深層へと帰った。  再び目を覚ましたとき、やはり体は整ったベッドの上にあった。日付を確かめるが今回は大して時間が経っていなかった。それでもとっくに日は暮れており、もう深夜と呼べる時間帯だった。面会時間もとっくに終了しており、すなわち周りには誰もいなかった。  何もやることがなく、そもそも消灯時間も過ぎているのでやれることもなく、そのまま再び目を閉じた。  翌朝、俺はカウンセリングを受けた。  どうやら昨日の原因が心理的なものであるというのが医師の見解らしく、カウンセリングを受けることとなった。(これは後ほど分かったことだが実はカウンセラーの乾彩香先生は姉、真由の同級生らしく、近親者を混ぜた医師からの説明の際に二人で話を弾ませていた。)カウンセリングは日常生活についてから始まった。それから段々と事故のあった日時に近づいていく。  特にとりとめもなかった生活から事故に至るまで滞ることもなく淡々と話す。そして、最後に青い光を見たことも話す。 「じゃあ、フラッシュバックの原因はどう思われますか」  ここまでこればもう既に答えの出た問題。少し頭を捻れば出てくる答えであった。  しかし、次に出たのは答えではなく発作であった。  突如椅子から落ち、倒れてうずくまる。  うぅ……、と時折唸り、そして声をかける乾先生も視野に入らない。  結局発作はひとりでに止まるまで誰も止めることはできなかった。 「大丈夫ですか」  心配そうにこちらを見える乾先生が見えた。  取り敢えずはい、と答えた。  発作が少しおさまり、椅子へと座りなおす。 「続けられますか」  無言で首を縦にふる。 「では、少し質問を変えます。  フラッシュバックが起こったときに思い出したものを具体的に教えてください」  少しの沈黙、それは発作への恐れからくるもの。 「青い光を見ました。ちょうど事故が起きたときに工場で見たような」  今度は発作に襲われることなく言い切れた。先ほどの苦痛は何だったのであろうか。  どうやら聞きたいことが終わったようでその日は解放された。  自分に忍んでいる魔の陰の正体を導く材料は揃っていたが、虚像の俺にはそれが叶わなかった。  この一室に合計四人が集う。中央に高春と担当医の高科、俺の側に文音と真由。三人は俺の診断の結果を待つ。  高科は話始める。 「才加さんの検査の結果が出ました」  そう言って高春に一束の紙を渡した。 「才加さんの症状の半分はPTSDです。しかし、もう半分は現在の医学では解明出来ませんでした。  我々の見解としましてはおそらく事故により、思考を司る部分に障害が生じたのだと思います。おそらくカウンセリングの時の発作は『考えてしまったこと』が原因なのだと考えています」  受け取りかたは三者三様であろうが誰からも声は出ない。  五分だろうか、十分だろうか、もしくはそれ以上がたっただろうか、それほどの沈黙を破り、姉貴が口を開ける。 「それって治せるんですか」 「断言はできません……」  再び元の空気に戻る。  しかし、今度は先程とは違い、すぐにその暗鬱な空気は絶ちきられた。 「じゃあ、私が考えるよ。  高春を治す方法を」  さっきの空気を吹き飛ばすような明るい声で文音が続けて言う。 「だって私たちはDQSCのメンバーなんだから」 「私も出来る限り手伝うね」  姉貴も賛同した。 「文音、姉貴、ありがとう……」  しかし、そう言ったのも虚像の俺であった。  家に帰った後もなにもやる気が出ずに、なんとなくテレビをつけた。 「速報です。先日事故によって意識不明の重体に陥った才加高春さんが意識を回復したことが判明しました。しかし病院側によると、後遺症として才加さんは原因不明の病気、不考症を発症したとのことです。不考症とはその名のとおり考えることができなくなる病気とのことで……………」  テレビから流れる音を右から左へと受け流し、頭には何一つ残らない。この 電気の箱の中からは自分のことについて好き勝手に想像して、勝手な偏見とか同情とかと一緒に、いかにも視聴率を上げようと話している。  俺はいくらか局を変えた後に、テレビの電源を切る。  取り敢えず身体的に退院のレベルに達したためこうやって自室に籠っている。ただ、俺の脳はいたって回復していないので、健康な人間とは呼べない。  かれこれ一週間だろうか、何をするわけでもなく、ただひたすらにだらだらしている。  何もやる気が出ない  何をするにしても今の俺は何も考えることが出来ない、つまり何もすることが出来ないということである。  その上この倦怠感も相乗して『やる気のなさ』を成長させている。  俺は再び目を閉じ眠りにつこうとする。  しかし、つい先日まで襲われていた慢性的な睡眠不足はどこに行ったのか全く眠気に襲われない。それどころか外ではしゃぐ子供の声がいつもにましてはっきりと聞こえる。  寝返りを打つ。  もう一度寝返りを  もう一度  もう一度…………  遂には諦めて起き上がった。  食欲はないが他にやることもなく何となく冷蔵庫を開く。  そう言えば昨日の夜、文音が家に来て一緒に食事をとって以来何も食べてないんだっけ。  時計はもうすぐ三時を指す。  しかし、いつも通りではあるものの、ろくに食べられそうなものは入っていない。これはもともと忙しくて何も作る暇がなかったからで、インスタント食品で食事を済ませる習慣が着いているからである。  無いからといって買い出しに行くのは面倒だ。  食欲は無いものの、体は正直であり、多少の空腹感を覚える。  そして、結論としてカップラーメンにお湯を注いだ。  三分間の暇ができ久しぶりにスマホを見る。  最初に目に入ったのは姉の姉貴からの大量のメールと着信履歴。  その内容は単調に俺を憂うもので軽く読み流す。  次に目にはいるものは俺について書かれたニュース。どの記事もそれぞれの出版社が好き勝手に書いており、なかには『天才少年を襲った悲劇の事故』とか『天才少年はこの事故を予測できなかったのか』とか……。記事は永遠と続いている。他にも色々な人がネットで意見を言い合っている。やはり、当事者である俺を除いて。  気づいたらとっくに三分を過ぎていた。  伸びきったラーメンを口にいれ空腹感を満たす。それでも食欲はなく、半分ほどか、残る。捨てるのももったいないと思い、ただ作業的にからだの中にいれていく。  なんとか麵を食べきり、スープだけ残った時に、インターフォンが鳴る。  この家に訪れる人は限られている。姉貴か、それとも文音か、またまた何かの勧誘や訪問販売か。少なくともマスコミにはこの家を知られていない。だが、おそらく姉貴であろう。基本的に家に来る八割りが姉貴なのだ。  もう一度インターフォンが鳴る。  気だるそうな返事をして玄関に向かう。どうせ大して畏まる必要のない相手なのだから。  鍵を開けて扉を開く。そこに立っていたのは、残りの二割、  物憂げな文音だった。 「これ、高春の好きなプリン。真由さんが教えてくれたの。高春は元気がないときでもプリンを食べれば元気になるって」  あの姉貴余計なこと教えあがって。それっていつの話だよ。もうそんな年じゃないんだよ。かといって嫌いかって言われると、今でも結構好きなんだけど。まあ、確かに元気も出るけど。  そうであっても今は無理矢理な昼食?をとったところだから食べれそうにない。 「ごめん、今はちょっと食べられそうにない」 「そんなこと言わないで。一口でいいから食べてよ」 「今さっき昼食をとったところだから」 「デザートは別腹!」  そう言いながらスープだけが残ったカップを片付ける。 「いいよ。それぐらい自分でやるよ」 「いいの、高春は机の上を綺麗にしといて」 「わかったよ」  こういうときの文音に譲歩という言葉はない。何を言っても効果が無さそうだったので妥協する。  俺は別腹をこしらえなければならないらしい。  観念してプリンを一口食べる。たしかにおいしい。  しかし、プリンは依然としてプリンであり、そこには以前のような『壁を乗り越えたあとの幸福の味』も、プリンの糖分が脳内を満たす感覚もなかった。
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