部長の秘密

8/8
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 どれほど長く耳を塞ぎ目を閉じていただろうか。  ぽんぽんと肩を叩かれた。  ひぃっと、びくついて目を見開くと、社の中は明るくなっている。  顔をあげると、開いた戸から差しこむやわらかな朝の陽光を背にして部長が立っていた。  いつもの笑顔で。 「ぶちょぉー!」  僕は立ち上がり、部長の(ふところ)に飛びこみ、ひしと着物をつかんだ。 「ふふふ。端から見たら、君と不倫してるみたいですね」 「えっ。あ、すみません」  部長の言葉に正気に戻った僕は、部長から離れた。  ……なんて恥ずかしいことをしたんだ、僕は。 「ふふ。いいですよ。これで君の心の邪が払われるなら、ずっと抱きしめていてもいいですよ」 「えっ?」  部長から僕を抱きしめてきた。  ふんわりと優しく包まれる。  暖かい。  昨夜の疲れだけでなく日々の疲れまで癒される気がして心地いい。  オッサン同士抱きあっている恥ずかしさなんて忘れた。 「笑うといいですよ」  えっと、部長の顔に目を向けると、にっこりとほほえんでいる。 「邪を払うのが生業の私は、邪を宿さないように笑っています。  疲れたときは笑うといいですよ」  部長がこれ見よがしに顔をくしゃっとさせてきて、僕はぷふっと吹き出し、意図せず笑顔になった。 「じゃぁ、私は帰って寝ますかね。また午後会社で」  部長は、笑顔になった僕を見て体を離すと、着替えだした。 「部長。今日は土曜で、会社休みですよ」 「いつもと違う生活だと曜日感覚が狂いますね」  ふふと部長が笑い、僕も笑う。  オッサンの着替えなんか見ててもしかたないので、僕は社の外に出た。  部長の肉体美には感心したけど、何度も見たいものでもない。 「では部長、お疲れ様です。ご迷惑かけてすみませんでした」 「もう来ないでくださいね」 「はい」  と、苦笑いで答えて僕は歩きだす。  言われなくても、二度と行かない。あんな怖い思いは御免こうむる。  これからは、部長を疑うことはよそう。  それと、周りの社員にどう思われようが、部長ともっと笑いあおう。僕の邪を払ってもらうのだ。  社から鳥居へと続く朝の参道は、日光で石畳がきらめき、周囲にそびえる木々からは鳥がさえずり、昨夜の神社と雰囲気がまるで違う。  それは、なんだか神社が笑っているようだ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!