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十月に入った。
「ご迷惑をおかけして、すみませんね」
と、薄い頭をかいて、午後出勤してきた。
いつもと変わった様子はなさそうだ。……ん?
いや、違うところがある。右手首に数珠のようなブレスレットをつけている。
だてに部長と仲が良いわけではない。このくらいの間違い探し、僕ならすぐにわかる。
「右手首の、どうしたんですか」
席についた部長にすかさず聞いてみる。
「ん? こんなの気にしないで仕事してください」
部長はまたあの笑顔ではぐらかし、ブレスレットを見えないようにワイシャツの袖で隠した。
怪しい。絶対なにか隠している。
自分のデスクからじっと、部長を見つめる。
話してくれないなら、目で訴えるしかない。『野良猫に見つめられると困るのですよね』と、優しい部長はそう言っていた。僕の目も避けられまい。
が、部長は僕の熱視線を無視して、書類ばかりを見続けている。
おいっ。こっち見ろよ。気になるだろ? おい――
「くすっ」
女性社員に笑われて、僕は直視攻撃をあきらめた。
……ああ、また変な噂が広まるんだろうな。
自分がしでかしたことにため息を吐くと、頭が少し冷えてくる。
部長のことを気にしすぎている自分がバカバカしくなって、僕も仕事に集中することにした。
そして、十七時の定時のチャイムが鳴ると、部長は立ち上がった。
「では、失礼します。お疲れ様です」
颯爽とした軽やかな足取りに、僕が話しかける隙はなかった。
呼びかけようとしたときには、部長は事務所の扉をすでに出ていたのである。
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