0人が本棚に入れています
本棚に追加
人は死んだら何になると思う?
とある男の子に問いかけた問いが懐かしい。
あの頃はまだ未熟で、取り敢えず泣き止んで欲しくてふと思いついた問題だった。
宗教観とか、色々あるはずなのに。
思えば、人生はいつも駆け足だった。
学校を卒業した後、飛ぶように此方に飛行機で、バスで、タクシーで来た後、寝てるかわからないレベルで走り回っていた。
紛争地帯にできた、絶対中立を誓った戦争孤児の保護施設。
他にも人のいい院長は色んな人を拾ってくる。
中には、戦いの中で夫と息子に先立たれた妻や、まだ生まれて間もない泣く事しか出来ない赤ちゃんもいた。
全ては平和の為に。
終戦を目指して、両国の仲を取り持とうと奔走している。
全ての人間に心の安寧を。
それを目指して、ひた走ってきたのがようやっと終わりを迎えそうで口元が弧を描く。
明日も、頑張ろう。
ギシ、と椅子が音を立てながら伸びをする。
漸く与えられた一人部屋には物が少ない。
その中で、唯一これは持っていかなければと強く思った写真たてをぼうっと眺める。
今日の見回りは終わったし、明日も早いから寝てしまおう。
あの書類の期限はいつだったか。
パソコンをカチカチといじっているとばたばたと喧しい音が廊下から聞こえて来る。
「先生!リックが変なの!」
「リャン、廊下はゆっくり、夜中だから静かにね。今行く。」
バタン、と勢いよく扉を開けた向こうにはやっと髪が伸びてきて一つ結びが漸くできる様になった少女。
「先生、部屋覚えてる?」
「勿論。記憶喪失になっても執念で覚えてるよ」
「そう、そうね。あのね、さっきまで普通だったのよ、私も、リックも悪さをした訳じゃないの」
「判ってるよ、先生は何でもお見通しなんだから〜報告しに来て偉い!アカデミー賞あげよう!」
「それは先生が今度貰う奴でしょ。すごく名誉だってニックが…リック、先生来たわよ!」
軽口を叩いていると部屋に着く。
ガチャリと軽い音を立てて扉を開けると過呼吸になっているリック。
「リック、先生だよ〜。大丈夫大丈夫、ゆっくり息吸って、先生の真似っこ出来る?うーん偉い!先生の心臓の音聞こえる?前ニーナに動いてないって言われたんだけど」
子供の戯言ながら思わず笑ってしまった。
右も左も判らないのに心臓の位置を適当に探り、私の聴診器で大真面目に『止まってるわ』なんていう物だから。
「きこ、える」
「んー良かった。心臓止まってるのに元気だったらそれこそゾンビか何かだからねぇ。先生あったかいでしょ〜そしてこのパジャマ可愛くない?何色か判る?」
「…あか?」
「正解!天才!将来有望!…うん、落ち着いたね」
「ごめ、ごめん先生」
「んーん泣かないの〜。可愛いお顔なんだから。ほら、先生の顔見て?アッニキビできてるかも」
汚ねえ顔しながらもへへ、と笑う彼はもう大丈夫だろう。
しかし硬く握られた手を振り解き部屋に帰る気にはなれなかった。
「リック、そっちちょっと寄って」
「えっ、えっ、先生?」
ゴソゴソとベットにお邪魔する。
「ふふ、ここで寝ちゃおっと」
「…いいの?」
「勿論。朝早く起きるしニックが嫌なら全然良いんだけど」
「嫌じゃない!えっと、嬉しい」
にへ、と笑う少し気の弱い彼のはっきりした意思表示に頬が緩む。
「ずるいわ!私もそっち行きたい!」
「よーし先生に任せな?ふんっ」
薄い、安価な寝台を動かすことなんて訳無い。
「ほら、ダブルベット〜」
3人川の字になって寝ると、もうニックの顔に涙は見えなかった。
倖せだった。
本当に。
「襲撃だ、何処から…!」
「みんなこっち、ここ入って!」
轟音が響く中、大声で指示を出す。
死なせるものか、何があっても。
もう二度と、彼、彼女らを戦場に立たせはしない。
「メイ、リューシェン、もうここの鍵は閉めるから、此処の下の扉に全員入ったら扉を閉めて。いい?扉の向こうから何が聞こえても、走って。判った?向こうに着いたら、落ち着いて、その後みんなで説明して。出来る?」
グシャグシャに泣いた顔の此処の中では最年長のメイとリューシェンはこくこくと頷いてくれた。
「せんせーは?」
まだ状況の理解出来ていない子達が不思議な声をあげる。
私は、行けない。
「先生は向こうで会うから、向こうで待ってて?判った?」
「はーい!」
子供達の声を後ろに鍵を閉め、鍵穴をライターで炙り潰す。
この子達を、追わせはしない。
絶対安全地域として確立されてる筈の、此処に襲撃が入ったのはまだ未明。
起きていて良かった。
咄嗟に皆を叩き起こし、目についた子を全て部屋に押し込む。
地下通路のある、部屋へ。
長いが、歩けば本部へと着く。
そこには絶対安全が確立されているし、まだ場所も公開されていない。
此処も、両国にとって絶対安全地域として決められていた筈なのに。
深夜のサイバーテロ攻撃から始まり、ここの警備の穴を突くような襲撃。
「全く、赤十字のマークが見えなかったのか…!」
走り回り、子供や職員を集めては地下通路へと行くように指示する。
「貴女は」
「私はやるべき事が。有難う、あの子達を宜しく」
全てを察してしまった様な顔の最年長の白髪混じりの職員に頭を下げる。
「貴女だけは、失いたくなかった」
「エッまだ死んでないー!奇跡を信じてて。じゃ、宜しく」
扉を閉め、鍵を閉め、鍵穴を潰す。
此処の数カ所にあるマスターキーを使われぬ様に。
さあ、あと少し、と思い振り返ると、轟音が響いた。
如何やら向こうの本隊が到着した様だ。
此処が最後だ、どうして待てないのか。
「ウィリアム」
揺れる瞳を見つめる。
首に下げていた居場所探知機能がついているネックレスを手に握らせる。
「今から何があっても此処から出ないで。私が何を言っても、相手が何を言っても。ずーーっと黙っとくの。此れを持ってれば必ず誰かが助けてくれる。…小さい子達を、宜しくね」
皇帝の名を授けた私を恨んでくれ。
人は皆平等なのだと叫んだ君に、人を導く名前をつけた私を、
こんな時まで、頼ってしまう私を許してくれ。
「出会った時君が私を刺したことを酷く気にしていたね。気にしなくていい。本当に。でも、もし君が負い目に感じているのなら、どうか今酷いお願いをする私を許してくれ。それでチャラにしよう。」
こつん、と額を合わせる。
彼の涙も、戦場へ持っていくから。
「せんせい、ずっと言えなかったけど、」
「うん」
「僕、ずっと先生の事大好きだったんだ」
「そりゃあ嬉しい」
有難う、と御礼を言ってその扉を閉めた。
暗闇が怖い子もたくさんいるのに、いつも我慢を強いてしまっていた。
情けない。
唯、此れだけは守ってやらねば。
もう、地下通路に続く部屋は無い。
この子達の尊き未来を、奪わせはしない。
後ろ手で扉を閉めて、鍵を掛ける。
鍵は、私の服の胸元に。
「…この施設にはお世話になったしね。死なば諸共、仲間が服を漁ってくれると良いけど」
コツコツと音が響き、ひとりの少女が扉を開けた。
泣きそうな顔をするのは、リャンだった。
「やあ、リャン。無事かい?偶々まだ1人席が空いているけれど?」
「先生は、何もかも判ってたのね」
「何の話かな?」
「私が握らされた地図は、全部偽物だった」
震える声で地図を握りしめる彼女をじっと見つめる。
「…そういえば、少し前の大改造する前の地図は何個か置いていたね。其れに大した意味は無い。唯、君が何も持ち帰らないと向こうに殺されてしまうだろう」
老婆心、とさえ言えない様なお節介。
偶々を装ってこの緊急病院の地図を何箇所かに置いておいた。
このままではいけないと提言し、地下への通路や部屋の改造をする前の地図を。
「もう無理よ。ずっと、判ってたんでしょう」
「…そうだねえ。」
彼女を、ただ守ってやりたかった。
内偵として忍び込んでいたとしても、其れを忘れてしまう位の愛で包んでやりたかった。
私は、目の前にいる小さな彼女の涙一つ拭ってやれない。
「先生の邪魔ばかり、したわよ。毒を仕込んだことも、ある」
「子供は我儘を言うもんだよ。其れを受け止めてやれない様な大人にはなりたく無い」
三日三晩寝込んだだけだ、大した後遺症も無いのに怒ることはしたく無い。それが彼女の本意では無いと判っているが故に。
「もう、でも、無理なの」
泣きながらぐい、と露わにしたリャンの首元にはセンスの無い首輪。
「失敗すればこの首輪に内蔵されている毒が私を殺す。外そうとすれば、解除する人の手に打ち込まれる。」
ひぐ、と泣くのを我慢してナイフを構えるリャン。
「お願いだから、大人しくついてきて、先生」
「それは、もし解除したらリャンには毒は打ち込まれないって事?」
「そう、だけれど」
「じゃあ早いとこ外しちゃお。おいで」
ぺたぺたと近寄るが、理解が追いつかない様な彼女は動かない。
「ば、馬鹿じゃ無いの!?毒で死ぬって、どれだけ辛い事か」
「じわじわ痛みとともに死ぬんだ、楽では無いことは想像つくよ。だから、お願い。私が毒を浴びたら、頸の頸動脈を切って。なるべくスパッと」
彼女は被害者だ。
だが、だからと言って人を売っていいことにはならない。
「君が、この事態の責任を取るんだ。私の命の重みを、感じて生きていけ」
本当は、こんなこと言いたくなかった。
私なんて忘れて、いきていてほしい。
唯、命が軽くなるこの戦争という中で、命の重みを感じて欲しかった。
「此れが終わったら、君は日本に逃げなさい。私の出身地だ。平塚の名前を出したら、きっと誰かしら助けてくれる。戦争なんて無い。学ばなければ、生きてゆけない。力ではなく、学で生きていく社会だ。そこで君は、力では何も出来ないことを学んでくれ。」
がちゃん、と重い音がして、ザシュッと鈍い音と共に手に激しい痺れが起きる。
「げほ、かはっ」
まさか針が伸びてきて刺してくるとは思わなかった。
でも彼女は無事だ、良かった。
「先生は、どれだけ聖人になれば気が済むのよ…」
ひく、えっぐ、と泣き散らす彼女に笑いかける。
「早く楽にしてくれ。ごめんね、嫌な、役を、押し付けて」
最後に見たのは、彼女の泣き顔だった。
あぁ、本当に申し訳ないな、と思ったのを覚えている。
戦争は、その三日後に終わった。
たった一人を除くと、重傷者、死者ともに居なかった。
何かを察知して地下通路の建設を提案して譲らなかった彼女以外は。
迅速な指示、敵には知られていない通路により、誰も欠けることなく本部に保護された。
唯、誰一人として笑ってはいなかった。
失血死をして、白い顔になった彼女の前では皆静かだった。
突入部隊が入った時、全ての部屋がもぬけの殻だった。
GPSを頼りに部屋を辿ると、壁の一部に違和感があり、壊すとそこにははらはらと泣く少女と誰よりも安全を祈られていた女性が静かに、まるで眠っている様に横たわっていた。
主犯は、戦争を終わらせたくない者達の集いだった。
納得いかない、仲良くなんて出来ない。
そんな理由で終戦へ大きく貢献した先生を見せしめに殺そうとしたらしい。
先生は、どこまでも向こうの言いなりにならぬように動いたらしい。
結局、先生が目の前で惨たらしく殺されるビデオは公表されなかった。
先生は、何処迄も僕らの味方で居てくれた。
「せんせーは?」
そうしきりに聞かれ、聞いていなかったフリも出来なかった。
「今はちょっと遠くに行ってる。すぐ帰ってくるから心配しないで大丈夫だよ。」
前もこんな嘘を吐いた。
僕だって、先生が帰ってくるなら何でもする。
「せんせー、私たちの事嫌いになっちゃったのかなぁ」
「そんな事無いよ、せんせーは私達のこと大好きって言ってたもの」
ゔー、と泣き出しそうな彼女にまた違う子供が慌てて慰める。
「泣かない!あのね、とっておきの秘密教えてあげる。せんせーが言ってたの」
なかなか表情が晴れない彼女にむん、と人差し指を立てる。
「せんせーはね、何になると思う?」
「…?せんせーはせんせーじゃなくて?」
「あのね、」
とびきりの笑顔を魅せながらまるで先生の様な柔らかな声で囁く。
「せんせーは、桜の木になるんだよ」
息を呑んだ。
「じゃあ、どこにいるかわかんないのー?」
「そうだよ、だって桜の木なんて沢山あるもの」
息を、これ以上吸うべきでは無いと思ってしまった。
視界が滲む。
「ねー、ウィリアムはどう思う?」
まだ信じて疑わない様な少女に私もとびきりの笑顔で答える。
「僕も、先生は、とびきり綺麗な桜の木になると思うよ」
きっとそれは、満開の花を咲かせ、沢山の人を笑顔にするのだろう。
ぼくらが助けられたように。
最初のコメントを投稿しよう!