序章 根住荘

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序章 根住荘

 父から別荘を継いだから、泊まりに来ないか。  友人からの突然の提案にわずかばかりの不穏を感じたものの、奇遇にも有休をとらされそうな時期と重なったため、私は二つ返事で誘いに応じた。  新調したカーナビに振り回されながら、事前に聞いた住所へと車を走らせる。  途中、道に迷って地元の人に道を尋ねつつ、曲がりくねった峠道をのぼること一時間弱。目的地付近に到着しましたと告げる案内音声と同時に、坂の上に懐かしい人影が姿を現す。 「久しぶり。迷わなかった?」  四年ぶりに会う友人は、大学の頃からさほど変わっていなかった。  分厚い黒縁の眼鏡に、レンズの奥の細い目。病的なまでに痩せこけた体。長身痩身にまとう鼠色の紬。  紺地の羽織と帯という組み合わせが、晩秋のこの時期によく似合っている。  車を降りると存外に外は肌寒く、私はジャケットを羽織った。 「カーナビのおかげで、なんとか。それにしてもカーブが多い峠だな」 「妹さんは元気?」 「おかげさまで。その妹から手土産を預かってきたぞ」  妹から預かった菓子折りを友人に手渡し、急勾配の坂の上に建つ「別荘」を見上げる。  正面を開けて三方を竹垣に囲まれた、こぢんまりと古い木造の邸宅だった。  玄関に続く敷石、手入れの行き届いた庭、雨風で少し黒ずんだ木の外壁。庭のもみじは赤々と葉をしげらせ、来客を出迎えるように玄関前に植えられた小振りな竹の緑との対比が目にも鮮やかだ。 「まさに隠れ家だな」 「そんなご大層なものじゃないよ」  華美ではないが風情がある。別荘というより庵のようだ。  俗世を離れた山中の、侘びた隠遁者の住まい―――― 「ん? 他に誰かいるのか?」 庭を眺めながら歩いていたその時、縁側の奥の障子戸の向こうでちらりと人の影が見えたような気がして、ふと立ち止まる。 確か一人暮らしだと聞いていた。 何気なく尋ねた私に振り返り、友人……坂之井真織(まおり)は小さく笑った。 「ああ、お手伝いさんだよ。父の代から来てもらってる人なんだ」  玄関の扉が開けられた瞬間、檜の爽やかな香りが鼻をくすぐる。  荷物を置いてきてはどうかと、真織はまず客室へと案内してくれた。 「狭い部屋だけど、適当にくつろいでよ」  小さな和室だが、替えたばかりだとおぼしき畳は青々と固く、新鮮な藺草の匂いが爽やかだ。  丸く切り取られた障子戸には、設計者の遊び心を感じる。  床の間に飾られた水墨画の掛け軸や一輪挿しの茶の花にも、長時間の運転で疲れた心が和む。お手伝いさんがあつらえたのか。それとも別荘の主……真織か彼の父親のどちらかが手ずから用意したものか。  お手伝いさんの「藤田さん」という初老の女性に出された茶と菓子で一服したのち、私と真織は麓の町へ小観光に繰り出した。
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