夜咄

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夜咄

 ふとかすかな物音が聞こえ、目を覚ます。  スマホを確認すると、時刻は二十三時を回っていた。三時間近くも寝ていたようだ。  真織はもう起きているだろうか。  気になって部屋を出ると、廊下の一番奥の引き戸の隙間から、わずかに明かりが漏れているのが見えた。  シュッ、シュッと何かを擦るような音も、そこから聞こえてくる。 「真織? 起きてるのか?」  廊下から声をかけると、音はピタリと止んだ。内側からわずかに引き戸を開けて、友人が顔を出した。こちらを見上げ、かすかに唇の端を吊り上げる。 「ちょうどいい。そろそろ起こそうと思ってたんだ」  そう言って、真織は私を部屋に招き入れた。  客室より少し狭いその和室は、どうやら彼の仕事部屋のようだった。  畳の上には絨毯が敷かれ、小振りな文机が置かれている。机上にはノミやヤスリ、木槌など様々な工具が散らばり、手のひらにのるほどの立方体に木材が切り分けられていた。 「作業中だったか? それにしても薄暗いな、目を悪くするぞ」  天井の電灯はついておらず、四角く細長い紙灯篭のようなデザインの間接照明が、柔らかくも頼りない光で室内を照らしている。 「暗い方が集中できるんだ。散らかった部屋で悪いけど座ってよ。酔いは覚めた?」  肯定も否定もせず、私に座布団をすすめた。  そんな友人の様子にわずかな違和感をおぼえつつも、言われるがまま腰を下ろす。 「まあ、それなりに」 「それは良かった」  そう言って、真織はパタンと引き戸を閉じた。  もう一度酒を飲むのではなかったのだろうか。怪訝そうな私を振り返り、くつくつと喉を鳴らして笑う。 「なんだよ」 「君はこの別荘に着いた時、中に誰かいるのかと尋ねたよね」  そう言いながら、真織は部屋の奥の襖に手をかけた。 「実はあの時、半分嘘をついた。君が玄関から見ていたこの隣の部屋には、お手伝いさんが入ることを許可していないんだ」 「は? 嘘って、なんで」  するすると山河図の描かれた襖が開く。  明かりのついていない真っ暗な部屋の奥に何かが見えたような気がして、おそるおそる闇に目を凝らした。  障子戸を煌々と透かす月明かりが、小さな人影をほの白く照らし出す。 「紹介するよ。彼女は僕の曽祖母で――――」  喋りながら、真織は隅に置かれた燭台の蝋燭にマッチで火を灯す。 「名を坂之井不二子(ふじこ)という」  月明かりと小さな炎に照らされた「彼女」を見た瞬間、完全に酔いが吹き飛んだ。 「…………曽祖母、だって?」  それはどう見ても、限りなく精巧な等身大の「人形」だった。  一見、障子戸の前で正座する女性にも見える。  肩にかかった黒髪や、睫毛の一本一本まで丁寧に埋め込まれた端整な顔、藤色の着物からはみ出す首や手は、暗がりの中では生身の人間のそれと区別がつかない。 「酔ってるのか、お前。どう見ても、これは」  だが生身の人間と決定的に違うのは、ガラスがはめ込まれた両の瞳だった。瞬きもせず見開かれた、無機質な瞳に映った蝋燭の火が、ちらちらと揺れている。 「そうだよ、正確には曽祖母の〈活き人形〉だ。妻が亡くなった時、曾祖父は囲いの人形作家に瓜二つの人形を作らせた。髪には遺髪が埋め込まれている」 「活き人形って……」  背筋に悪寒が走った。  真織の曾祖父ということは、この人形はかなり前につくられたことになる。  しかし、目の前の人形はあまりに精巧すぎた。  まるで生きている人間と対峙しているかのような―――― 「はは、今度こそ酔いは醒めた?」 「……え?」 「この人形見た人って、みんないい感じに驚いてくれるんだよねえ」  私と人形を見比べ、さもおかしそうに笑う。 「お前なあ……そりゃ、誰だって驚くだろ」  憮然と彼を見上げた私に、真織は満足そうな笑みを浮かべる。  本当に私を驚かせたかっただけなのだろうか。まるで子供のような、年齢にそぐわない無邪気な表情だった。 「酒もいいけど、次は怪談会をしようよ」 「怪談会?」  一瞬、学生時代に戻ったような錯覚に見舞われ、くらりと目が眩む。  ゼミの宿泊研修の夜、真織は今と同じように、同室となったゼミのメンバーたちに「百物語をしよう」と馬鹿げた提案をした。あの時は同級生たちに一蹴されていたけれも。  学生時代からそうだった。真織は「怪談」が好きだ。  普段はそんな素振りなどおくびにも出さないのに、旅の夜には家族から友人、果ては講師にまで、必ずといっていいほど居合わせた人間に怪談話をせがむ。 「駄目かな?」  外から聞こえる虫の声がわずかに、音量を増した。
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