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 満天の青は、彼の瞳にも同じように映っているのだろうか?  午後十二時四十分。空は見事に晴れ渡り、雲一つない青色が果てなく広がっている。  痛々しい青だ。  男にしては細い首をもたげて、ケイは呟く。一点の曇りもない青色は、人が隠しておきたいなにもかもを見透かすような暴虐の色である。  ビルの屋上に立つケイの髪を、二月の風が掻き撫でる。乱暴に、容赦なく、人とは異なる無垢な強さで。伸び切った髪はゆるいクセもあって、ところどころ跳ねている。毎朝、手入れに割く時間はごく僅かであり、大学生という身分であれば、さほど気にかけることもない。 (あの人……毎朝、髪のセットに何分くらいかかるのかなー)  錆びついた手摺に肘を置き、青空を見上げていた首を正面に戻す。ビル八階からの景色は蒼天同様、変化に乏しく、眼下の街並も、隣接するオフィスビルも、数秒前と同じくきちんと存在していた。  数分前に現れた「彼」もまた、いつもと変わらぬ姿である。 (きれーな黒髪! カラスの濡羽色……って、女限定の褒め言葉かな?)  隣り合う二つのビルはほぼ同じ高さだが、なだらかなカーブを描く道沿いのため、「お隣さん」の方が、少しだけ前にせり出していた。やや後方から彼を眺めることのできる位置は、盗み見には絶好である。幸運な立地だと、ピーピングトムはほくそ笑む。  ベンチに座る彼は、今日もひとりである。  恐らくは二十代半ば、恐らくは会社員、恐らくは長身。なにせ、狭い路地を挟んで隣り合うビルからこっそり姿を拝むだけの関係だ。すべてが推測にすぎない。 (あと、何回拝めるかなー) 「彼」との距離が、どのくらいかはわからない。物理的な意味合いでも、人間関係という意味でも、その距離が縮まることはない。ケイにとっては、空よりも遠い存在である。  遠目にも目鼻立ちの整った男だ。煤けたベンチに座る横顔は、いつもどこか物憂げで寂しそうに映る。 (会社でいじめられてる、とか? ……んな感じじゃないよな。ガタイもいいし、身なりも小綺麗だし、ダメ社員には見えない。むしろ、意識高そう。じゃあ、やっぱり……)  失恋、と、小さく呟いた。  同時に笑みがこぼれたのは、恋や愛などと得体が知れないものへの畏怖と、好みの男が誰のものでもないかもしれないという些末な期待からだ。  かつて、隣の屋上には二人の人物が姿を見せていた。 「彼」ともう一人。同僚か、後輩らしき若い男だ。ベンチに並んで座り、気抜けた様子でくつろぐ二人は、ごく普通の会社員同士……には、見えなかった。  あの笑顔。  思い出すたびに、胸はフクザツな痛みを訴える。連れの男に向けた「彼」の顔。愛する者に向けた、素の、愚かな、輝かんばかりの笑顔……恋愛対象が同性限定のケイには、そうとしか映らなかった。 「彼」が、ひとりで現れるようになって、どのくらい経つのだろう。  ベンチにじっと座る端整な横顔は、到底、笑みなど刻みそうになかった。
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