恵と萌

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(俺、えらそうなこと言ったなあ……。この人、俺より五つも年上なのに。ぜんっぜん、そんな風に見えないけど)  春の出来事を回想し、暗澹たる気持ちとなった。いま、自分自身を愛することなど不可能だ。朝香への怒りを遥かに上回る自己嫌悪真っ只中、である。 (なにが自分を愛せ、だよ。それに、丹羽くんは大丈夫だ。なら、大ちゃん相手でも一歩も引かなそうだもん……)  先を歩く紅平のまっすぐ伸びた背中を見つめて確信する。彼等の過去はなにも知らないのに。勝手にそんなことを想像するほど、紅平が丹羽へと向ける愛情は、他人の恵にも肌で感じられた。 「紅平、無愛想でしょ。大丈夫だった?」 「うん、すげー怖かった! あの顔で笑わないと凶器だよ。でも、その分……」  言葉を切ると、続きを気にした丹羽が視線をよこした。そのタイミングを見計らい、彼の肩を抱き寄せて耳打ちする。 「笑った顔はかわいかった。……あれは、丹羽くん専用なんだね」  う、と、返事に詰まった丹羽が顔を赤らめた。ほぼ同じ背丈なので、すぐ近くに柔らかそうな頬がある。かわいいなあ。すべすべのほっぺにキスしたいなあ……などと、肩を抱いたまま微笑む。かつての恋敵は、どうにも憎めない童顔青年なのだ。 「ワンッ!」と、犬の叫びが前方から飛んできた。  歩みを止めた紅平が、鬼の形相で振り返っていた。先に進みたいステラの催促など無視し、丹羽にくっつく恵を暗殺者ばりに睨みつける。 「言っとくけど、俺は丹羽くんの会社にも仕事で出入りしてるの! 公私ともども親しい間柄なんだからな。コーヘイは仕事中の丹羽くんを知らないだろ? すげー、可愛いんだぞ!」  あからさまな反応がおかしく、つい挑発したくなった。正確には、上田医療器と取り引きしているのは叔父であり、恵はただのアルバイトであるが。 「あ、くそ――」  ステラに引っ張られた紅平が悔しそうに呻いた。後ろを気にしながら歩く彼の姿に笑いつつ、丹羽に向けた率直な愛情を好ましく思った。彼が――紅平が――朝香から丹羽を奪い、絶望に突き落とした相手なのだとしても。
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