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「おーい、おまえら! 最終下校時刻、過ぎたぞ。早く帰れよ」
俺は最終下校時刻の過ぎた教室を覗き込んで、まだそこにたむろしていた奴らに声をかけた。
俺の声に、しかたない、という顔で、生徒達は教室を出てゆく。
(まったく、いい加減だよなぁ、みんな…。職員会議で先生がだれも見回りに来ないのをいいことに、いつまでもいるんだから!)
こんな時に、週番の最終下校の追い出し当番に当たってしまった自分がうらめしい。
「あと一つ、ここで終わりか」
俺は5階の端の生物室のドアを開けた。
通常教室よりも大きな机が並んだ部屋の中には、一人だけ生徒がいた。
「おーい、最終下校だぞ」
かったるさが、モロに声に出ていた。
「ああ、もうそんな時間か」
その声と、振り返った顔で、俺はそんな声を出した事を、とことん後悔した。
「…なんだ、青木か。まだ残ってたの?」
本当は、週番のボードを落としそうなほど、ドキドキしていたけど、頑張って普通の声を出した。
「ああ、リンダ、週番だったのか」
「『リンダ』じゃない! 俺の名前は『林田』! はやしだ、って読むの!」
「そうか、リンダ」
ニヤニヤしながら、青木は俺の嫌がる名前で、再び呼んだ。
「もう……その名前で呼ぶなって、言ってるだろ」
「いいじゃん、似合うよ、リンダって名前」
「女じゃないんだから、やめろよ」
もうすぐ何も見えなくなりそうなほど、暗い教室に、一人佇んでいたのは、青木柾実(あおきまさみ)だった。
陸上部の部長で、成績優秀、おまけにノーブルに整った顔立ちに180センチを軽く超える身長の、少女マンガの為に存在するような奴だった。
去年、俺は一緒のクラスだったんだ。
外見や肩書きからすると、近寄りがたそうだけど、話してみると、なかなかいい奴で……俺は、気がついたら、こいつの事が好きになってた。
でも、青木には取り巻きも多いし、俺なんかただのクラスメイトだ。一歩踏み込んで、友達か、それ以上の存在になんて、到底なれそうもなかった。
だから、正直、今年はクラスが替わって、ホッとした。
一緒にいなければ、きっと忘れられるだろう、って。
だけど、それは大きな誤算だった。
かえって目がいつも青木を追っている。
下駄箱、学年総会、文化祭…。いつも、俺の目は、人の群れから抜き出た青木の姿を探していた。
それを意識しちゃって、クラスが替わってからこっち、ロクに話しもしていなかった。
俺の事なんて、もう忘れてるだろうと思ったけど、ちゃんと覚えていてくれたようだ。
(なんか、嬉しいな……)
「林田、もしかして週番?」
「もしかしなくても、そうだよ。でなきゃ、帰宅部の俺が、こんな遅くまで残ってるワケないじゃん」
「だったらさ、悪い。見逃してくれないか?」
(誰かと待ち合わせかな?)
俺は、ぎゅっと胸が痛くなった。
こんな人気のないところで、誰を青木は待ってるんだろう?
「理由によりけり。その理由を800字以内で述べよ」
そんなことを言ったけど、本当は理由なんてどうでもよかった。少しでも青木と一緒にいる時間を延ばしたいだけなんだから。
「……待ち人あり」
「あ、そう」
やっぱりそうか、と俺は切なくなった。
「それにさ、ここから見る夕焼けって、きれいなんだぜ。知ってるか?」
「ううん、知らない」
「一緒に見るか?」
「……青木ってさ、意外と乙女チック?」
「かもしれないな」
待ち人、っていうのが誰か気になったけど、俺はおとなしく青木の横に立っていた。
「リンダ、今さ、俺のこと、変な奴とか思ってるだろ?」
「別に思ってないよ。それに、青木のこと変な奴なんて言った日には、女子から剃刀入りレターの山もらう事になるよ。ていうかさ、リンダって呼ぶな」
「こだわるな。じゃあ、下の名前…水晶の晶って書いて、アキラだったよな? そっちで呼べば文句ないだろう」
「う、うん……」
「じゃ、晶、こっちの方の窓、来てみろよ」
晶と呼ばれたことに、ちょっぴり嬉しさを感じながら、青木の手招きする窓際に行ってみる。
青木がぱぁっとカーテンを開けると、そこには、藍色の闇と燃えるような夕日の交じり合った空が広がっていた。
「わぁ…。こんな空、はじめて見た…」
「な、きれいだろ?」
「うん……」
すごくきれいな空だった。
空がきれいなのもあるけど、青木と一緒に見てるから、余計きれいなんだ。
一生忘れられそうもない、空の色……。
(あ……なんか、泣いちゃいそう)
俺が泣かないように目に力を入れていると、青木が突然窓を開け出した。
びゅう、と冷たい風が部屋の中に吹き込んでくる。
「ちょ……何やってんだよ、青木!寒いよ」
「まあ見てろって」
構わず青木は、教室の窓を全部開けてしまった。夕方の冷たい風が吹き込んできて、せっかくの暖かい空気を追い出してしまう。
「あーあ。帰るとき大変じゃないか。掃除当番がちゃんと鍵かけてくれたのに」
急に週番の仕事の一つ、鍵の戸締りを思い出して、ひるがえるカーテンが恨めしくなってきた。
「戸締りは俺が手伝うよ。でもさ、こうやってカーテンがぶわっと膨らんでるのって、船の帆みたいに見えないか?」
「あ、言われてみればそんな気もする」
元は白かったカーテンは、今じゃすっかり黄ばんでいるけど、それさえもなんだかキャンバスの帆のようだ。
「青木、よくそんな事気がつくな。やっぱ、乙女チック。もしかして、陸上部より、文芸部向き?」
「何言ってるんだ。これ、俺が考えたことじゃないぞ。前、美術室にこういう絵かかってたじゃないか。晶、これいいね、って言ってたろ?」
「あ……」
俺はうかつにも、そんな事は忘れていた。
そう言われてみれば、青木とクラス一緒だったころ、美術室でそんな事話した覚えがある。
「良くそんな事、覚えてたね。俺、そんな事すっかり忘れてたよ」
「そりゃ当然だろ。好きな奴の好きなものなら、忘れるわけないだろ」
「え?」
一瞬、頭が真っ白になった。
「あお……き、お前、自分が言った言葉の意味、分ってるか?」
「ああ、よく分ってるよ。俺は、お前の事が好きなんだ。変態とでも何とでも呼べ」
青木の切れ長の目が、じっと俺を見つめていた。
怖いほど、真剣な瞳が、それが嘘じゃないことを語っていた。
吹き込む風は冷たいのに、俺は頬が火がつきそうに熱いのを感じていた。
「青木……」
「そんなに困った顔すんなよ。迷惑なのは分ってるよ。でも、俺は本気なんだ。だから、お前にその気持ちを伝えておきたかったんだ」
「……ううん、困ってるんじゃなくて、嬉しいんだ」
「……マジか?」
「うん、ずっと前から」
「じゃあ、俺たち、ずっと好きどうしだったのに、黙ってたのか!」
「そうみたいだね」
俺たちは、顔を見合わせると、くすくす笑い出した。
「バカみたいだな、俺たち」
言いながら、青木が俺の肩に手を置いた。
その手が角度を変えて、そっと俺の耳のあたりの髪を撫でる。
触られてるそこに、自分の神経が集中するのが分る。
止まらないドキドキに、戸惑って青木を見る。
優しい瞳が、俺を見つめていた。
「青木……」
「晶、キスしていいか?」
「う、うん」
うつむいた俺のあごを、青木はそっと捉えて、顔を上げさせた。
青木の顔を見るのが恥かしくて、俺はぎゅっと目を閉じた。
「睫、長いな、晶」
それにどう答えていいか考えている隙に、青木の唇が降って来る。
柔らかくて、冷たくて、ちょっと震えている唇。
(俺のファーストキス、青木に持ってかれちゃったんだ……)
うれしいような、恥かしいような、良く分らない気持ちのまま、俺たちは唇を離した。
その瞬間、俺の頭の中に、あることがぱっと浮かんだ。
「あ、カーテン・シップだ!」
「え?」
俺がいきなり言った言葉に、青木は怪訝そうな表情をした。
「あの絵の題名だよ。『カーテン・シップ』って言うんだ。確か……遠海とかって奴が描いてたと思う。ああ、思い出してよかった」
「そんなに重要な事なのか?」
「うん」
だって、カーテン・シップ、だよ?
俺と青木の、二人の楽園を目指して、何処までも行けたらいいなって、そう思ったんだ。
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