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宛先のない手紙
拝啓
夏は終わりを迎えて、季節はすっかり秋へと移りはじめたけれど、元気で過ごしているだろうか。俺は、急に冷えはじめた夜のせいで少しだけ風邪をひいた。早いけど長袖のカーディガンを出したよ。
今の部屋は川のすぐそばで窓を開けるとかなり涼しいんだけど、夜は閉めるように気を付けてる。でも仕事場からも歩ける距離でいい感じだ。
そうそう、職場に新人が入ったんだ。俺より年下の男だけど結構のんびりしたやつ。お前には意外だなんて言われそうだけど、結構気が合うんだ。音楽の趣味が合って嬉しい。覚えてるかな、俺が好きだったバンド。お前はマイナーだって言ってたけど、ほら、好きなやつはいるんだぜ?
大体お前は大衆的過ぎるんだよ。あと人に合わせ過ぎ。大学の頃だって酒に弱いくせに飲み会を断んないし。誰にでもにこにこしてるから女の子にも誤解されて。俺がそれに苛々してたのを知ってる?何だかお前といると俺は怒ってばかりいたな。
少し前からいい感じの飲み屋を見つけて通ってる。ほら、お前はよく言ってただろ。1人で酒を飲めるのは大人だって。それでいくと俺はずいぶん大人になったよ。
奥まったところにある小さな店だけど結構いい雰囲気なんだ。そこの店員の一人と仲良くなって、よく話すんだ。
お前は覚えてるかな。初めて会ったときのこと。大学のコンパで、俺はハイペースで飲んで潰れちゃってお前に負ぶられて帰った。あの日俺は最初からお前のことが気になってて、でもそれがなんだかわからなかったんだ。けれどお前の背中から星を見上げてわかった。
お前のことが好きなんだって。
あの時のことを思い出すと今でも俺は幸せな気持ちになるよ。
正文、お前は今幸せかな。俺はお前と別れてからようやく恋ができそうだよ。思い出はいいことばっかじゃないけど、それでもお前がくれたもの全部を抱えてなら、前に進める気がするんだ。お前も、そうだといいな。
お前は今どこにいるんだろう。宛先のないこの手紙がお前に届くことはないけれど、本当に誰かと恋をする前に言っておくよ。
ありがとう。そして、さようなら。
お前の幸せを誰よりも願っています。
敬具
九月某日
加藤孝弘
久保正文 様
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