リーマン×リーマン10

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リーマン×リーマン10

 生涯最悪の朝だった。  会社に行くのが苦痛だ。なにもかも放り出して一日中眠りたかった。  廃人になりたい。  笑っていいともを時報がわりにして昼に起きたら快挙と拍手してもらえるよな生活送る。  社会人の義務なんざぺぺっだ。もう税金払うのいやだ。やってられっか日本人。よし決めた、俺は今から自堕落に生きる。昼過ぎまでベッドん中でごろごろしてお預けくらったクリスタルスカル観る。観るったら観るんだ、邪魔すんな。俺とインディを引き離すのはどこの馬の骨だ?  課長でした。  ついでなけなしの自制心。  弱り渋る心を叱咤、きわどくも出社拒否の誘惑に打ち克つ。  足が鉛のように重い。一歩踏み出すごとに下半身がずきりとする。  心底サボりたかった。  会社に着いてからの身の処し方を考えると憂鬱になった。  後輩と顔を合わせるのがいやだった。  千里万里。  俺を犯した男。  強姦した張本人。  昨日の事は忘れられない。    「リクエストに応えてやる」  額に頭突きをくらわした。  渾身の一撃を叩き込めば金槌で殴るみたいないい音がして、頭蓋骨に衝撃が響いた。  頭突きだけじゃ気がすまなかった。  俺のプライドはずたずたに切り裂かれて、シャツもズボンもくしゃくしゃに着乱れて、突っ込まれたケツは痛くて、みじめで最低な気分だった。  眼球の毛細血管が破裂しそうな憤りに目がくらむ。  握り込んだ手の爪が柔肉に突き刺さって新鮮な痛みを生む。  馬乗りになり、千里を殴り倒した。  無我夢中で振るった拳はへろへろした軌道を描き、空気の抜ける間抜けな音たて千里にあたる。  「変態野郎!!」  目の前の男がどんなに憎くても、体に全然力が入らず、振るった拳はへろへろ落ちた。  パンチひとつ、まともにくれてやれなかった。  あんまり情けなくて悔しくて、腹が立ってしょうがなかった。  後ろ手縛られて。無抵抗で。キスされて。喘ぎ声上げて。くるったように腰ふって。前もしごかれて。だらだら雫たらして。最低、最悪だ。  死んじまえくそったれ変態のホモ野郎俺にさわるな二度とツラ見せんな一緒の空気吸いたくねえどっか行っちまえ、会社辞めろ、実家帰れ、お前なんかと仕事できっか、もう後輩とも部下とも思わねえ、犯罪者め!  思いつく限りの罵詈雑言を浴びせた。  千里は殊勝にうなだれていた。  どんな酷い言葉浴びせても、無抵抗に身をさらし、ふぬけたパンチを受けて右に左に頼りなく傾いでいた。笑えた。なんで抵抗しないんだよこいつ、さっきまであんなに生き生き俺をいじめてたのに。なんで殴られっぱなしなんだよ、こっちが悪者みてえじゃんか。  わからねえ。  お前の考えてること、さっぱりわかんねえよ、千里。  「満足したろ、これで」  口元が引き攣り、毒々しい嗤笑が顔に滴る。  「俺ン中に突っ込んで、出すもん出して、すっきりしたんだろ。だったらもっと、さっぱりした顔しろよ。さっきまでめちゃくちゃ楽しそうだったじゃんか。俺を縛って、無理矢理突っ込んで、恥ずかしい台詞さんざん吐いて。楽しかったんだろ?白状しろよ変態、あんなに生き生きしたお前はじめて見たよ、課の連中にこびてる昼間たあ大違いだ、あれがホントのお前だったんだな千里万里。猫かぶりの性悪め」  胸ぐら掴み唾とばし罵る。  身の内で激情が荒れ狂い、視界が憤怒で赤く染まる。  騙された怒り裏切られた怒り謀られた怒りが一挙に膨れ上がって激発、不信感が爆発する。  ケツが痛かった。  体が熱っぽかった。  千里のシャツを掴む手首に赤く痕が付いていた。  ネクタイで縛られ擦れた痛々しい傷跡。  酷い有様だった。  会社で裸だった。  シャツもズボンも剥かれて俺自身と千里の体液に塗れて髪はしどけなく乱れて眼鏡のフレームはひん曲がって……さんざんだよ畜生。なんだってこんな目に。  行為が終わった後、底が抜けるような虚脱感にうちのめされた。  体中どこもかしこも痛くてボロボロだった。  「だましやがって」  胸がつかえ、喉が詰まる。  それでも言わずにいられない。嗚咽を噛み潰し、唸る。  「課の連中、お前の外づらにころっと騙されて、笑えるぜ。さぞおかしかったろな、ちゃちな脅しにびびりまくってべそかく俺は。気分、よかったろ。一晩でも、下克上の快感が味わえたろ。おめでとさん。けどさ、お前さ、よくあんな恥ずかしいこと言えるよな。ヤッてるさなかに体位聞くとか……男に処女とかさ、笑っちまうよ。で?処女の尻穴、よく締まったろ。俺も思わずイッちまったよ。早漏の愚息で面目次第もございません……」  「あとが」  下敷きになった千里が、シャツを掴んだ俺の手首を、指先でたどっていた。  縛られて出来た痣を。  「………!痛っ……」   反射的に突きのける。  手首を押さえ、唇を噛み、俯く。  「………暴れるからですよ。普通ネクタイで縛られたくらいじゃ、こんなになりませんて」  小さなため息。俺の愚かさを哀れむような調子。  千里が身を乗り出す。  一瞬、びくりとする。  予想は裏切られた。  俺へとしずかに手をさしのべ、肩から抜けたシャツに再び袖を通させる。  穏やかな衣擦れの音が耳朶をくすぐる。  伏し目がちに俺にシャツを着せてく千里。  神妙な表情。  色素の薄い睫毛に見とれる。  器用な手で下からボタンを嵌めていく。  千里と向き合い、しずしずシャツを着せられ、居心地悪さを感じる。  体力を使い果たし怒りが沈静化、赤ん坊のようにされるがまま身をゆだねきる。  諦念があった。  単に疲れてもいた。  叫び疲れ、殴り疲れ、自分の意志じゃもう指一本動かしたくなかった。  千里の手がシャツにかかった途端、緊張の糸がプツンと切れた。  丁寧にボタンをとめる手付きと気遣わしげな千里の表情に張り詰めていたものがゆるみ、虚勢が抜け落ちていく。  「………ひとりで着れる」  「その手じゃむりですよ」  「こんな手にしたのはお前だろ」  「責任とります」  俺は今、書類や小物が散らばったオフィスの床にへたりこみ、後輩に服を着せてもらってる。  俺を机に押さえ込んで、ガンガン突っ込んでた張本人にだ。  「ネクタイ締めますか」  返事を待たず、へたった襟を立て、床におちたネクタイを拾う。  千里がネクタイを手にした途端、忌まわしいフラッシュバックが襲う。  また縛られる。  すぐさま行動に出た。  ネクタイをひったくる。  「大人しいわけ、わかったよ。縛らなきゃ役に立たねんだろ。どうしようもねえ腰抜けだな。完全に相手の抵抗封じなきゃ、怖くていじめられないってか。その手はくうか」  「そんなつもり」   「信用できるか」  机に掴まり立ち、片手でもどかしくネクタイを結ぶ。  上手くできねえ。  焦り苛立ち、結び目が不恰好になる。  ネクタイをひっかけ、背広を手探りで引き寄せる。  少し腰を曲げただけで激痛が苛む。  背広を拾うふりで視線を避ける。  とげとげしい言葉で、辛辣な態度で。よそよしくふるまって千里を拒絶する。  千里の顔をまともに見れない。  沈黙が苦痛だ。下半身に違和感がある。生渇きの下着が不快だ。  全部こいつのせいだ。  腹の底で憤りが燻る。どす黒い感情が胸を蝕む。  いったん沈静化した怒りがまたぶり返す。  机を支えにしてバランスをとり、覚束ない足取りで室内を突っ切る。  「先輩」  机に手を付き、歩く。壁を伝って、最後の数歩をのりきる。  水銀の中を泳いでるように時間の流れを鈍重に感じた。  千里の呼びかけは無視する。  一歩踏み出すごと、激痛が下肢を引き裂き、悲鳴がもれそうになった。  体がだるく、熱っぽく、気を抜けばぶっ倒れちまいそうだった。  出口に辿り着けるかもあやしかった。  限界だった。  体力的にも精神的にも峠を越えた。  だるい体を片腕で抱え、かすれた声を絞り出す。  「後片付け、しとけよ。なにがあったかとっちめられて、困るのはお前だろ」  沈黙が返る。ただ気配だけを感じた。  千里は無言で突っ立って、俺を見送ってる。  俺の背中にじっと、切羽詰った眼差しを注いでる。  ドアに向かうあいだ机が目に入った。  意識をそらしたつもりでも、どうしても視界の端にちらついちまう。  椅子が倒れ、机上の書類が盛大になだれて散らばっていた。  ホチキスで綴じた資料が革靴に踏みにじられ、むざんに泥に塗れていた。  紙面がぐしゃぐしゃに歪んでいた。  何故だか無性に哀しくなった。  「安子が俺のゴミ箱なら。俺は、お前の、ゴミ箱か。マスかいたあと、ザーメン拭いたティッシュを放り込む、あれか」  ダメだ。  こらえきれない。  突然、笑い出す。  腹を抱え、身を折り曲げ、箍が外れた哄笑を上げる。  腹の底に渦巻くどろどろしたものを全部吐き出す勢いで、仰け反って笑い続ける。笑うと腹筋が引き攣れ、下肢が痛む。かまうもんか。馬鹿みたいに大笑いした。  ドア横の壁に肘付き体を支え、狂気の振れ幅が大きい下品な声で笑い続けるうちに、軽く酸欠に陥って激しく咳き込む。  涙で目がぼやけた。それでも笑い続ける、泣きながら笑い続ける。笑いすぎて苦しかった。  しまいにゃ泣いてるのか笑ってるのか自分でもわからなくなった。  馬鹿みたいな笑い声がオフィス中に殷々と響き渡る。  「すっきりしたろ。そりゃよかった、可愛い後輩の性欲処理のお役に立てて光栄だ。お前、うまいんだな。知らなかった。ヤる時、あんなふうになるんだ。抱かれる方が似合うのに他相手でも抱く側なのか?いつでもどこでもできるよう用意周到にローション持ち歩いてんのか。だよな、男だもんな、勝手にぬれねーし。裂けちまったら大変だ。ぬらして慣らして、事後は着替えも手伝ってくれるなんて、すっげ優しい強姦犯。アフターケアも万全」  「先輩、僕は」  栄養ドリンクの瓶を踏み千里がすっ転ぶ。  気絶時、俺が放り捨てた栄養ドリンクの空き瓶が、足元に転がってたのを見落としたツケだ。  「…………ーっ………」  一瞬の、間。  「ははっはははははははははははははっはははははははは!!!」  勢いよく転倒した千里を指さし、爆笑する。  「なんだよそりゃ、今のコントか、今時栄養ドリンクの空き瓶踏ん付けて転ぶなんてベタすぎて落ち目の芸人もやんねーよ!?ははっざまあみろ、一本とられたな千里、すかしてっからだよ!!自分が撒いた種もとい瓶ですっ転んだ気分はどうだ、自業自得だ、頭打って死んじまえばよかったのに!!」  哄笑が最後、憎悪の絶叫に代わる。  俺を追いかけようとして、コント顔負けの見事さで転倒した千里は、何も言わない。ころころ転がってく瓶のむこうで呆然としてる。  やりきれなくなった。  ドアを開け放ち、オフィスを出る。千里の凝視を振りきり、壁に縋って呼吸を整える。  出てから気付く。  「……………鞄忘れた」  取りに戻れるはずがなかった。  「おはようございまーす」  「はよございまーす」  「羽鳥さん顔色悪いけど二日酔い?昨日はしゃぎすぎなんですよ、あれからまた飲んだんでしょ。もー、あんまりお酒くさいと子供さんに嫌われちゃいますよ」  「哀しいこと言うなって。ただでさえこの頃すれちがい気味で、今日なんか家出るとき下の子に『おじちゃんまたきてね』って言われたんだぜ」  「うわ、ショック……」  「遊園地で名誉挽回ですよ!がんばれパパ!」  「課長、週末の予報聞きました?晴天だそうで、よかったですね!絶好のゴルフ日和!」  「俺のパターが光って唸る!」  課の連中は今日もハイテンションだ。朝っぱらからうるさい。どうもこの部署にゃ元気をもてあました連中が集まってる気がする。  「久住さんおはようございまーす」  「はよございまーす……」  きゃいきゃい昨日の打ち上げの感想言い合ってた後輩どもが、どんより入ってきた俺に引き気味に挨拶する。ちょっと声のトーンがさがるからびびってんのがまるわかりだ。なかなか切ないもんがある。  「おう」  不機嫌に挨拶を返す……挨拶なんだよこれが、俺流の。  「あれ。久住さん、手ぶらですか」  目ざとい後輩が怪訝な顔をする。まわりの連中も眉をひそめる。  平静を取り繕い、予め用意していた言い訳をここぞと披露する。  「会社に忘れちまったんだ」  ……………沈黙が痛い。  奇妙な視線が集中する。いたたまれねえ。苦しい言い訳だって自覚はある。俺だってもし同僚が「鞄?会社に忘れちゃったんですよ~」とかぼけたこと言いやがったら「はあ?」と返す。一応は先輩の顔をたて、不審げな表情を押し隠してるが、後輩どもの肩がぷるぷる震えてる。笑いをこらえてる証拠だ。  くそ。笑いたきゃ笑えよ。  「意外です、久住さんが忘れ物なんて。それも鞄……」  「そういえば昨日、千里と残業だったんですよね」  ぎくりとする。  「どうしたんですか?顔色悪いですけど、寝不足ですか」  「遅くまでかかったんですね。お疲れ様です」  後輩どもが一斉に同情する。適当にあしらいながらオフィスに視線を巡らせる。  俺と背中合わせの千里の机は無人。机上は綺麗に片付いていた。床に散らばった書類も一掃され、蹂躙の痕跡はみじんも残ってない。   「千里は、まだ来てないのか」  「さっきまでいたんだけど……トイレかな?」  来てる、らしい。気が滅入る。顔を見合わせる後輩どもをよそに室内を突っ切り席に着く。  「はあ………」  知らず、ため息が出る。  てのひらに顔を埋める。寝不足で目がしょぼつく。まわりでは気の早い同僚が仕事を始めてる。キーを軽快に叩く音が耳に障る。  もう帰りてえ。出社三分で気持ちが挫け、サボりの誘惑に心が傾く。  千里と顔を合わせるのも憂鬱だが、課長のお叱りを頂戴するのが輪をかけて憂鬱だ。  結局、残業は上がらなかった。  まさかクビにはならないだろうが、期日までに仕事を上げられなかった責任は重い。  これもぜんぶ千里が……  「久住くん」  ぽんと肩を叩かれる。  「!?すいません、俺のせいですっ」  条件反射で席を立つ。  振り向けば課長がいた。俺の肩に手をおき、にこにこしてやがる。  不自然に浮いた頭髪に吸い寄せられそうな視線を引き剥がし、頭を下げる。  「お疲れ様。いや、よく頑張ってくれたね。上出来だよ。文句の付け所がない完璧な仕上がりで、私も驚いてる」  「は?」  優しい労いにたじろぐ。自慢じゃないが、課長に褒められることなんてめったにない。  周囲の同僚がちらちらこっちを見る。  混乱する。  しゃちほこばった俺と向き合い、課長は上機嫌に続ける。  「謙遜にはおよばないよ。朝きたら机にこれがのっかっていた。昨日一日かけて仕上げたんだろう?数字もグラフも完璧、非常にわかりやすくまとまってる。目を通して感服したよ。やればできるじゃないか、君」  「課長、たぶん勘違いを」  意味不明だ。なんで俺が投げ出した仕事がちゃんとできてるんだ?  課長が「わかってるわかってる」と鷹揚に微笑み、俺の胸に資料を押し付ける。  手渡された資料に目を通し、息をのむ。  千里。  あいつの仕業だ。  「君がまとめた資料、次の会議で使わせてもらうよ。千里君のミスで一時はどうなるかとおもったが、災い転じて福となす、ふたりの努力と協力の成果……」  頭の上を饒舌が流れていくが、聞いちゃいない。  急き立てられるように右上綴じた資料をめくり、目を通していく。  千里。  これを、一人で仕上げたのか。  俺が帰ってから、後片付けをして。  俺の分まで引き受けて。  後片付けは朝方までかかったろう。ほとんど寝る時間もなかったはず、なのに仕上がりは完璧だった。俺が最初まとめたのより、はるかにわかりやすく、見やすくまとまっていた。実際、千里は有能だった。こっちが腹立つくらいには。  資料を取り返した課長が言う。  「君は千里くんと相性いいのかね。相乗効果で仕事ぶりが向上してる」  「……最悪だ」  「は?」  ふざけやがって。どこまでおちょくれば気がすむんだ。  握り込んだ拳が震える。  不審顔の課長のむこうにスーツの童顔を見付ける。  「千里万里!!」  オフィス中に響く声で怒鳴る。  同僚が仕事をやめ、一斉にこっちを見る。雑談がやむ。間近で怒声を浴びた課長が「ひっ」と仰け反り、カツラが浮く。  電話の呼び出し音とコピー機の排出音、シュレッダーの稼動音だけが無機質に響くオフィスのど真ん中で、千里と険悪に睨み合う。  張り詰めた沈黙を破り、横柄に顎をしゃくる。  「屋上に来い」  額に絆創膏を貼った千里がしゃあしゃあ笑う。  「ちょうどよかった。僕からもお話したいことがあったんです」    ああ。  なんてイヤミで爽やかに笑いやがるんだ、こいつ。
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