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リーマン×リーマン1
俺の趣味。後輩の尻拭い。
「先輩てデキる男ってかんじですね」
んなわけねーだろばーか。
いやちがう、んなわけねーなのは冒頭。俺の趣味がデキの悪い後輩の尻拭いっつーたわけた寝言略してたわごと。俺はデキる男だ。とぎたてナイフのようにキレる男だ。あ、キレるっても十代にありがちな現代の風潮じゃねーぞ、頭が切れるのほうだからな。まあそっちも否定しないけどよ。
後輩の弾んだ寝言は気分悪いから無視してやった。
なーにが「先輩ってデキる男ですね!」だ、調子こいてんじゃねーぞ。おだてて機嫌とろうって下心がみえみえなんだよ。なんで俺が夜遅くまで残業してると思ってんだ、どっかの馬鹿でデキの悪い後輩のせいだろうが。
イライラとキーを打つ。
捨て鉢やけっぱちな指の速度に合わせ打鍵の音が散弾銃のように響く。
ダダダダダッ、読点連打。
眼精疲労のせいか、網膜でオレンジの光輪が点滅する。
眼鏡のレンズが液晶のあかりを反射して仄白く染まる。
画面に表示される字が霞んでとらえにくい。
くそ、また視力がさがったか?
「前から思ってたんですけど、先輩」
「なんだよ」
「眼鏡、度が合ってないんじゃないですか?」
……人が気にしてることをずばりと言いやがった。
反射的に聞き返して後悔する。こいつはさっきから人の神経逆撫ですることしかしねえ言わねえ無自覚の困ったちゃんだ。その困ったちゃんの面倒見役として残業に付き合う俺は薄幸と哀愁のサラリーマンだ。
てめえの無邪気な言動と能天気な笑顔が不興を買ってる自覚はさっぱりねえのか、後輩の余計な指摘に、眉間がぴくぴく引き攣る。
「不況のご時世、人員削減された分一人あたりの仕事時間がのびて、おちおち眼鏡新調にいく暇もねーんだよ」
「それは大変だ。早くかえないと、ますます視力が落ちちゃいますよ。画面見詰めてる時間が長い職場なんですから」
「眼球の心配してくれてどうも」
これだよ。ちょっとは空気読めよ後輩。俺の視力がさがったらお前のせいだよ何分の一かは。俺が定時退社を返上してパソコンとにらめっこしてんのはどこのどなた様のせいでございますか?と、イヤミな敬語で問いただしてえ。
部署には俺とこいつふたりっきり。他の連中はとっとと帰っちまった。連れ立って飲みに行く遊びにいく独り者、真っ直ぐ帰宅するマイホーム組、課長とその腰巾着の係長は今週末のゴルフの相談しながら仲良く退社なさった。今は無人の課長と係長の机を忌々しく睨み付ける。
煌々と空疎な蛍光灯が照らす室内には整然とデスクが並び、俺達が使うパソコンの音だけが空気を介して微弱に鼓膜を震わす。
ああ損だ貧乏籤ひいてばっかだ。早く帰りてえ。ずっと座りっぱなしでいい加減腰が痛い、肩こった。瞼もこった。二十代でこんなに疲れてどうなるんだ?三十代四十代になったときのことを考えるとおそろしい。
大口かっぴろげてあくびの拍子に、乾いた眼球を湿そうと勝手に涙腺がゆるんで涙が出てくる。
「薄情な連中だよ。一人くらい手伝い申し出てもいいじゃねーか。部下の失敗は上司の責任って言葉は廃れたのか?係長のヤツ、俺一人に押し付けやがって……」
そりゃ、俺にも責任の一端はあるけど。
まさか。ちょっと目をはなしたすきにあんな大惨事が発生するなんて、だれが予想できた?
椅子に自重をかけ、振り向く。
俺のデスクの真後ろ、こっちに背中を向けてどこか上機嫌に残業に勤しんでるのは、ぱりっとスーツを着こなす若い男。
「お前もさ、入社半年も経てばわかるだろ。シュレッダーにかけていいものとかけちゃいけねーものの違いくらいさ。ちゃんと判おしてあったろ、赤いのが。重要書類の。一番上の隅っこに」
「近眼なんです、僕」
「……おい」
低く険悪な声で唸る。
男は軽薄に肩をすくめる。
「冗談です。いえ、本当反省してます。僕の注意不足で先輩にまでお世話かけて、申し訳ないです」
今度は素直に謝罪する。
椅子を軋ませ、こっちを向く。
誠実な二枚目が、はにかむような実に感じのよい笑みを浮かべていた。
「営業の基礎がなってねー」
こいつに外回りはまかせられねえ。こんなにやついたつらで謝られたら、俺なら絞め殺す。
現に今、手、疼いてるし。
絞殺の衝動に疼く指を開閉しつつ、込み上げる怒りを抑えた声で指摘する。
「謝るときは、嘘でも眉八の字にしろ。しまりねえ顔で謝られても説得力ねえよ、余計に腹たつ。相手が俺だからいいが、お前、商談先でそれやってみろ。即刻クビだぞ」
「あ、だからですか。ぼく、あんまり外回り連れてってもらえなくって」
世の中なめてやがる。
頭痛の発作にこめかみを押さえ、うつむく。
人さし指でこめかみをつつき頭痛の波が去るのを待つあいだ、向き合った男を、ストレスに煮え殺されそうな目つきで観察する。
こっちに椅子ごと向き直り、「あ、だからですか」といけしゃあしゃあ言い放つ男は、俺の部下。いや、後輩。肝心の俺が顎で部下を使えるほど大層なご身分じゃねえ。入社二年目、ようやっとひよこにトサカが生えたレベルの底辺社員なのだ。こいつは今年入社の新人で、俺の事を「先輩」「先輩」と黄色いくちばしでぴよぴよ慕ってくれる可愛い後輩……
じゃねえ。
数時間前に目撃した悲劇を思い出し、悪化した頭痛がこめかみを締め上げる。
「いいか、千里。俺、何度も言ったよな。シュレッダーにかける前は必ず書類を確認しろって。どうでもいいものの中に大事なものが混じってるかもしれねーから、必ず自分の目で確かめろって、実地で教えたよな」
「はい、教わりました」
うん、よいお返事だ。俺が保父なら花丸あげよう。
「なのにどうして俺が一週間かけて仕上げたアンケート集計が千切りになっちまうんだ。いいか?一週間、一・週・間だぞ!資料揃えて画面とにらめっこしてたこになるまでキー打って、ようやく仕上げた資料が、お前のせいで見事な千切りだよ!あとは課長に提出すりゃ終わりだったのに!」
手振り身振りをまじえ非難する俺に、千里は律儀に頭を下げる。
「すいません。ぼくとしたことが気付かなくて……」
いや。こいつひとりを責められない、頭ではわかってる。
さあ課長に提出しようとして、その時ちょうど時尿意をもよおして、手近のデスクに置きっぱなしにした俺「も」悪い。放置プレイの代償は高くついた。部署を離れたたった三分のあいだに、お節介な後輩が机の隅にうずたかく積み上げた紙屑をシュレッダーにかけて、俺は廃棄書類とはいざ知らず一週間分の労力の成果をその上にのせてー……
結果は、おしてしかるべし。
シュレッダーから排出された薄っぺらい千切りの紙を思い出し、両手で顔を覆う。
「シュレッダーにかけていいのはキャベツだけなんだよ……」
俺の、一週間の努力が。文字通り紙くずに。
「キャベツをシュレッダーにかけるなんて豪快だなあ。男の料理ってかんじですね」
ガーガー唸るシュレッダーから吐き出された千切り書類は、むかし付き合ってた彼女が得意料理のトンカツに添える用に刻んだキャベツを連想させ胸を締め付けた。
傷心に塩をすりこむ光景だった。
「レンズに指紋がつきますよ」
「うるせえ」
人が青春の思い出に浸ってる時に。
顔からのろくさ手をおろし、椅子を前に戻し、再び作業に戻る。
幸い、三分の二バックアップはとってあった。残り三分の一は……とりあえず、数字を合わせるしかねえ。課長にはあと一日猶予をもらった。明日までに間に合わせるんだ。辛うじて首が繋がった安堵より、間に合うかどうかの危惧と不安のが大きい。
千里は「手伝います」と申し出た。当たり前だ。だからこうして、ふたりで分担して作業してる。パソコンにデータを入力して出力して……さっきから延々それを繰り返してる。
「久住さんの名前って韻踏んでて覚えやすいですね」
「ああそうかよ」
覚えやすいは褒め言葉じゃねえ。
久住宏澄……クズミヒロズミ。俺は自分の名前が嫌いだ。濁音ばっかで発音しにくい。語感も汚ねえし。親はぜってえ語呂合わせでつけたと思う。呪う。
キーを打つ手は休めず、ふと思いついたことを口にする。
「お前だって、チサト・バンリじゃねーか」
後輩は千里万里という。どっちが苗字だか微妙に判断つかねえ名前だ。ついでに性別も。
「仲間ですね」
はしゃいだ声で言う。仲間?どういう発想だよ。
「きっと、相性いいですよ」
「よくねー」
付け入る余地を与えず、ぞんざいに答える。
千里は課の人気者だ。
目上の者には可愛がられ、同期に親しまれ、女子社員からはその穏やかな物腰と誠実な二枚目ヅラで絶大な支持をえている。
一方俺は……比較するのもむなしいが、お世辞にもダチが多いと言えない。上司には睨まれ、部下には敬遠され、同期には疎まれる。
いっつもぴりぴりしてる。神経質。余裕が感じられない。近寄りがたい。缶コーヒーのおまけのミニカー集めてそう。
給湯所で陰口叩かれてることくらい、知ってる。目が悪いぶん地獄耳なのだ俺は。つか、最後のはなんだ。図星だよ。会社帰りのコンビニでだぶらないよう缶コーヒー持ち上げて一個ずつ確認してるの目撃されたか?いいだろ別に、ミニカーはロマンなんだよ。
「俺と相性いい人間なんか、いねえよ」
自嘲と自虐が入り混じった台詞に失笑をまぶし、吐き捨てる。
ひねくれものの自覚はある。口も悪い。付け加えるなら、顔も。目元に険がただよう神経質な細面で、特に眼鏡がまずい。コンタクトは体質にあわず、必然的に中学時代から眼鏡をかけているが、硬質なレンズを通した切れ長の目はますます冷え冷えと人の弱点を透視するような眼光を放つ。
生来の目つきの悪さ鋭さが眼鏡で緩和されず陪乗される二重苦。
近頃はこれに疲労と不眠による眉間の皺と目の下の隈も加わり、インテリ崩れの高利貸しさながらすさんだ容貌に仕上がっている。
時々寝ぼけた頭で洗面所の鏡の前に立って「うわ、人相悪ッ」と呟く位だ。
俺も千里のような感じのいいルックスに生まれたかった。
世間の荒波を鼻歌まじりでサーフィンしやがる千里の要領よさが恨めしい、じゃなくて羨ましい。
「別にいいけどな。会社は働く場所であって、遊ぶ場所じゃねーし。プライベートまで他人に合わせるのうぜえし」
今日だって、別に予定はない。誰かと飲みに行く予定も、遊びに出かける予定もない。
一人のほうが気がらくだ。
今日だって。
出来の悪い後輩がトラブル起こさなきゃ、他の連中が帰った後も、居残りするはめにゃならなかったのに。
考え出すと恨み節が炸裂する。
他人にペースを乱されるのが世の中でいちばん嫌いなのだ俺は。
苛立ち紛れにキーを叩き、背中合わせの千里に叱責をとばす。
「千里。お前、ちかくのコンビニまでひとっぱしりして、オロナミンC買ってこい」
目の奥で疼痛が爆ぜる。長時間画面を見詰め続けたツケが回ってきた。
眼鏡をはずし、瞼を揉む。我ながら爺臭い仕草だとあきれる。
瞼を摘みほぐしながら命令すれば、千里が大人しく席を立ち、椅子を引く。
椅子の車輪が床を擦る。
「その必要はありません」
「は?」
間抜けな声を脳天から発し、目をしばたたく。
千里がガラリと開け放った机の引き出し、その中を覗き込み、あぜんとする。
机の一番下、深い引き出しの奥に、ずらっと栄養ドリンクの瓶がならんでいた。
「こんなこともあろうかと常備してたんです」
千里が得意げに胸を張る。
……開いた口がふさがらねえ。
「オロナミンC、リポビタンD、アリナミンC、キャべジンF……カロリーメイトとスニッカーズもあります」
「商売できるな」
じゃなくて。
「おすすめはキャべジンです」
千里が爽やかな笑顔で中の一本を選び、俺に突き出してくる。
「キャべジンなんか飲めっか。俺はオロナミン一筋なんだよ」
千里が手渡そうとしたキャべジンを拒否し、引き出し一番手前のオロナミンCをひったくる。
蓋を捻った時、違和感があった。
「?」
やけにゆるい。まるで、一回開けてから締めなおしたような……。
抵抗なく回った蓋と瓶を持て余せば、千里が何故か期待と興奮に満ちた目でこっちを見詰めているのに気付く。
「んだよ。気味悪ィな」
「遠慮せず、イッキにいっちゃってください。まだまだ夜は長いんだから。あ、手拍子しましょうか?」
「余計なお世話だよ。男二人で宴芸かよ、むなしいよ」
「ご相伴に預かります」
引き出しから栄養ドリンクをとり、器用に蓋を捻り、開ける。どうでもいいがこいつ、やけに乗り気だな。
千里が栄養ドリンクをもち、俺を促す。不吉な胸騒ぎを抱きつつ、たかだか栄養ドリンク、ためらうのも馬鹿らしいと吹っ切る。
「乾杯」
千里が高らかに叫ぶ。
栄養ドリンクの茶褐色の瓶が触れ合い、甲高い音を奏でる。
同時に口を付け、片手を腰におき、競うように一気に飲み干す。
飲み干すと同時に瓶を放し、盛大に息を吐く。
「ぷはーっ、まじい。眼精疲労がふっとんで……」
いかねえ。
ガツン、頭を金槌で殴るように強烈な睡魔が押し寄せ、瞼が抵抗のすべなく屈服。
体から一気に力が抜け、四肢が弛緩し、膝から床にへたりこむ。
「………おか、しいぞ……オロナミンCは……眼精疲労にきく、はずじゃ…………」
駄目だ。
明日までに資料を仕上げて提出しなきゃいけねえのに。容赦なく、眠い。
一万匹の羊の大群が土ぼこりあげ突進してくる幻が見えた。
手から落下した瓶が床を転がっていく。
床にへたりこむ俺の頭上に影がさす。
「……せん……り………てめ………」
呂律が回らない。
筋肉が弛緩した腕を持ち上げ、千里のズボンを掴み、縋る。
ズボンを掴んで体をずり起こそうとする俺を相変わらずそこはかとなく黒い笑顔で見下し、優越感を含んだ声で千里が言う。
「キャべジンにしとけばよかったのに」
鼓膜をなでる声が眠気を誘う。
頭の芯からふやけて瞼が垂れ下がっていく。
即効性の睡魔に抗う心に反し、ズボンを掴む手指の力がぬけていく。
床に体が沈む。
椅子が、机が、液晶画面が放つ青白い電光がみるみる遠ざかっていく。
脊髄ごと引き抜かれるような虚脱感に襲われ平板な床に倒れこむ。
頬に床の硬さ冷たさが染みる。
急速に明度をおとしつつある視界に、床の向こうに転がった空の瓶を捉える。
はめられた。
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