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部屋の隅に、隙間があった。木の漆喰と漆喰の間である。
そこからとても涼しい風が届く。なんだか、すうっと薄荷のような涼しやかさがある。
丁度、風邪で具合が悪かったのだが、その気分の悪さが吹き飛んでいく。
私は、身体を起こして、漆喰と漆喰の間をよくよく眺めた。
隙間の間は暗闇で、ぎょろぎょろと目玉でも見えてこようものなら、飛び上がるだろう。
ともかく、隙間の間からは健やかな風が吹いてくる。
この隙間の裏は、たしか、裏庭になっているなと思って、上着を羽織ると、つっかけをひっかけて表に出た。
嵐の前なのか、外は風が強い。
しかし、生温い真夏の風は、ほほを撫でただけで、ぞわっと鳥肌が立った。
家の前の電灯は点滅している。
薄気味悪い夕暮れだと思った。
住んでいる家の、あるじには、裏庭には行くなと、きつく言われていた。
不浄のものがあるから、と。
なんのことか分からなかったが、あるじは普段から不機嫌で、嫌味な奴であった。
私は、病弱が祟って、親戚のおじの家に預けられていた。叔父は、いつもしかめ面で、不機嫌であった。
細面で、枯れ木のような男で、近くの神社の神主をやっている。
嫁はいなかった。いつも不機嫌な顔で、こなかったのだろう。
家は、こじんまりとしていたが、和式の家屋であった。
青々とした木々で生い茂った木目と木目の家を見上げると、本当に日本に住んでいるんだなあと実感する。
夏になると、生い茂った木々で蝉が鳴き、隣の朽ちた竹やぶからは、たまに狐やタヌキが出た。
道の反対側は、古い土塀が真正面にあり、これまた竹やぶが内側にあり、叔父の神社を菩提にする檀家の墓がいっぱいあった。
子供の頃から、この家で、不思議なことがいっぱいあったのだが、のちに記する。
空は赤とオレンジと青が溶け合って交じりあったようになっていて、世界の終わりのようだった。
私は、いったん家の前に来ると、普段、閉じたままで、開いたこともない、裏庭への入口の木の戸をぎしぎしと鳴らした。取っ手も朽ちていて、壊れそうだが、しばらく一人で押し問答していると、ぎい、と言って開いたのだ。
入ってはいけないと言われていたところに入るのは、怖いが、ちょっと、人の秘密を見るみたいで、心地いい。
木々に覆われて光も入らない裏庭に足を踏み入れると、木々の合間からのかすかな夕暮れの光にぼんやりと石の羅列が浮かんで見えた。
!
なんと、朽ちた墓石だ。
朽ちた墓石が幾重にも並んで、不気味に微かに夕暮れの赤に光っている。
何代も前の無縁仏となった、檀家の墓石が、ここに運ばれてきていたのだ。
ここからの風にあたって、私は気分を良くしていたのか。
鳥肌が立って、腕をさすると、そういえば、子供のころから、不思議なものをいっぱい見ていたことを思い出した。道の角に半透明の人影を見たり、石の影がカラスに見えたり、横断歩道を渡るざんばらの髪の着物姿の亡霊を見たり、怪我をした太平洋戦争の負傷兵の幽霊を見たり、傷を負った動物たちが、やけに寄ってきたり…
私はもしかしたら、普通じゃないのかもしれない。
亡霊の出そうな墓石群れの奥に行くと、さらに驚いた。
なんと、奥の方に、川が流れていてその付近に薄荷が大量に生えていたのだ。
叔父も、病弱で、よく薄荷を煎じて飲んでいたのだが、こんなところに大量に薄荷が生えているとは思わなかっただろう…
薄荷は、川のあるところに生える性質がある。
ここは、夏だというのに、妙に涼しい。川があるからだ。
だから、生えたのだ。
墓石と薄荷の群れは、夕闇の中で、薄黄緑色にぼんやり光っていて、この世のものとは思えない美しさがあった。
この薄荷の香りが、私を癒してくれたのだ。
以上が、この夏、私が体験したこの世のものではない、面白くて恐ろしい出来事だ。
叔父も、薄荷がここで自生していたことなど、知らなかっただろう。
面白いから、黙っててやれ、と、ふふ、と私はほくそ笑んだ。
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