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ボーイズビーアンビシャス1
「よっしゃ」
平手で顔を叩いて喝を入れる。
真新しい男子トイレの鏡にはやや緊張で強張った自分の顔が映っている。
悪くない顔だ。
腐れ縁の幼馴染が熱を上げてるバツイチ子持ちの俺様社長と比べたらそりゃあ見劣りするが、数年前と比べたら輪郭が引き締まり、年相応の貫禄とか人生経験が出てきた気がする。あくまで気がするだけかもしれないが。
身体に走る震えは怯えのせいじゃなく武者震い。
記念すべき人生再出発の日、いやがおうでも大志の気持ちは昂る。
「俺の人生ここからだ。今日から仕切り直し、OK?」
眼光強く鏡を睨み、肩で風切る大股でトイレを出る。
表に出ると屈強な大男がトラックの荷台から段ボール箱を積み下ろしていた。
「おかえり」
「ああ」
「いいほうれん草だな」
「無農薬だそうだ」
「先っぽに虫食いあっけど切っちまえばわかんねーか。茹でてお浸しにすると美味いんだ、昔よく食った。悦巳もコイツが好きでさ。茹でてちょいと醤油たらすだけで腹がくちくなる庶民の味方だ」
早朝だというのにサングラスをした異様な風体の男……アンディが振り向く。
児玉家に雇用されていた時はSPさながらの黒背広で隙なく武装していたが、現在はラフなタンクトップとスラックスだ。突き出た腕は隆々たる筋肉で鎧われている。
「俺の見立ては正確だ、信用しろ。誠一様にもお墨付きを頂いたからな」
「アイツのお墨付き頂いてもな……悦巳が買ってきたのかお取り寄せをムッツリ食うだけだろ」
天敵の名前を出された顔を顰める。意趣返しだろうか?
「誠一様の人を見る目は正しい」
「野菜を見る目なら俺のが上だ」
「それは認める」
「というかオレオレ詐欺の前科持ちを家政夫に雇い入れる時点で人を見る目死んでねーか」
「いや、あの方の目は確かだ。でなくばお前に資金援助などしない」
痛い所を突かれてぶすくれる。
認めるのは癪だが店を出すにあたって誠一には大変世話になった。
もちろん大志は拒んだのだが、悦巳とアンディの援護射撃に押し切られる形で援助に甘える他なかったのだ。
まあ結果オーライ、誠一の提案のおかげで店を出す時期が大幅に繰り上がったのは事実だ。バイトを掛け持ちしてコツコツ貯蓄はしていたが、アンディと大志の二人三脚では店を出すまであと五年はかかったはず。
「余計なお世話だっての」
心の中で吐き捨て段ボールを抱え上げる。ずっしり重たいがだてに喧嘩や積み下ろしで鍛えてない。
大志としては誠一の力を借りるのは癪だったし、十年先二十年先になろうが店をもてればそれでよかったのだが……
『思い上がるな。お前のためじゃない、安藤の退職金がわりだ』
コイツにはみはなも懐いていたからな、とぶっきらぼうに付け加える誠一の右隣で悦巳が『誠一さんもこう言ってんだしのっかちまおうぜ』とノリノリで勧め、さらに左隣のみはなが『はやく大志さんのごはん食べたいです』と追い討ちをかけてくるとあれば、大志に拒否権などあろうはずもない。誠一と同じように大志も悦巳とみはなにはとことん弱いのだ。
『ボディガードとして当然の務めとはいえコイツには世話になったからな、衷心には最大限報いるのが雇用主の正しい在り方だ。感謝しろよ大志、本来お前には何の恩義もない。どころか、俺はみはなを誘拐したお前を許してない』
『何度言えばわかるんだよアレはこのちびが勝手にトランクに』
『言い訳をするな』
口には出さないが、きっと悦巳にしたことだって許してない違いない。それを本人と娘の前で言わない良識はあるにしてもだ。
大志に幼女誘拐犯のレッテルを貼って睨みを利かす誠一だが、『どうどう落ち着いて誠一さん紅茶ふーふーしたげますから』『おねがいです怒らないでください家庭科の実習で焼いたクッキー付けてあげますから』と慌てふためきフォローする悦巳とみはなに怒りが失せてこう結ぶ。
『できる雇用主は部下の再就職先に便宜を図る、店への出資はその一環だ。もちろん貸すだけでくれてやるわけじゃない、馬車馬の如く働いて一生かかって返しきれよ貧民』
「~~野郎、養豚場のブタを見るような目で見下しやがって」 恩着せがましい態度を思い返すと今でもムカムカする、精神衛生上よろしくない。
横でみはなが『ヒンミンってなんですか』ときょとんとし、ご丁寧にも悦巳が『使用済みティーパックで三回以上出涸らしをとる人のことっすよ』とごにょごにょ耳打ちしてやがったのがさらにムカツク。丸聞こえだぞ馬鹿、俺は地獄耳なんだ。しかも三回以上って馬鹿にすんな、せいぜい二回っきゃとってねえ。
同じ施設で生まれ育った幼馴染は、十年近く誠一と暮らすうちにすっかり洗脳されてしまった。大志が使用済みティーパックで淹れてやった出涸らしの紅茶をずーずー啜ってオツな味がするとかほっこりしてた、あの頃の悦巳はもういないのだ。さらば友よ、エッジウッドのカップで俺んちペコちゃんだかなんだかしらん茶ァしばいてろ。
「これで全部か」
「野菜は冷蔵庫に詰めといてくいれ、肉と魚は冷凍庫に」
「下ごしらえは」
「ばっちり。っても何人くるかわかんねーから様子見で調整すっけど」
アンディの手を借りて、裏口から厨房へ大量の段ボールを運び込む。寸胴鍋には既に特製カレーが煮込んである。清潔な調理場には新品の調理器具が並び、切れ味鋭い包丁が光る。
既に手に馴染ませているが、再び掴んで握り心地を確かめる。厨房に立ってカウンター越しの店内を見回すと、開店に漕ぎ着けるまでの苦労がしみじみとこみ上げて感無量だ。
「あっこら、摘まみ食いすんなって!」 ふと振り返ればアンディがお玉でカレーをすくい、それを小皿に移して飲んでいた。お玉から直接啜るなんて行儀が悪いことをしないのは、大志の口うるさい指導の賜物だ。
いや、本人の実直な人柄によるところが大きいか。
「ったく油断も隙もねー」
「美味い」
「どうも」
「まろやかでコクがある」
「知ってるよ」
「目を瞑ると戦場を思い出す」
「ンな殺伐とした味か」
「ちがう。うまく言えないが……そう、懐かしい味だ。心の故郷を思い出す」
「なるほど、意味わからねえ」
大男が小皿をちびりと啜って味見するのは、ともすれば笑いを誘う微笑ましい光景だ。口下手なアンディなりに愚直に褒めているのが伝わってきて、なんだかむずがゆい。
「ガラでもねー世辞よせよ、薄ら寒ィ」
「期待に添えなくて悪いが本心だ」
「ふん」
アンディは鋭い。
開店初日に気張る大志をリラックスさせようと、デカい図体で不器用に気遣ってくれている。
「……客、くるかな」
内心わだかまる不安をポツリともらせば、小皿を干したアンディが隣にやってきて呟く。
「精進と研鑽あるのみだ」
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