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ボーイズビーアンビシャス4
「はいよ、召し上がれ」 大志は苦笑いで促す。
「あ、お花です」
カレーを一口匙ですくったみはなが、花びらに見立て切り抜かれたにんじんに歓声を上げる。
「え、マジ? ほんとだすげー、手が込んでる」
「俺のは普通だ」
「誠一さんもお花ちゃんがよかったんすか」
「殴るぞ」
「残念、甘口だけのサービスだ。頼むのはガキが多いだろうしな」
そこでアンディを振り返り、意地悪くにやつく。
「コイツが切ったんだ。結構上手いだろ」
「アンディが!?」
悦巳が目をまん丸くして驚く。誠一も内心意外らしく、口と皿を往復する手が止まる。
自ら担った仕事の一端をバラされたアンディはバツ悪そうに視線を逸らすも、サングラスを掛け直して捕捉する。
「……全部大志に任せるのは忍びないからな」
「すっごくかわいい」
みはながご満悦の笑顔を浮かべ、食べてなくなってしまうのが惜しそうに齧っていく。
誠一は父親の顔で娘の食事風景を見守り、寛いだ様子でアンディに向き直る。
「他の連中もきたがってたんだが……すまない」 口はばったく詫びるのは、やはり客の入りを気にしてるのだろうか。
「お気持ちだけで十分です。とても全員は入りきらないでしょうし」
「今度異母妹の結婚が決まってな。式場の打ち合わせやら親族同士の顔合わせやら、そっちの警備を兼ねて人員を割いてるんだ」
「それはおめでとうございます」
「ああ……」
誠一が父親、さらにはその愛人や異母妹と和解したのは知っていたが、話しぶりから察するに交流は続いてるらしい。
案の定悦巳が匙を口に運びがてら付け足す。
「いい人っすよ、ばあちゃんちにもよく遊びに来て庭の手入れ手伝ってくれるんす。ガーデニングが趣味だとかで…… 話聞くとずっと誠一さんに申し訳ねえって思ってたとかで。身を引こうとしたのに、お父さんがどーしてもって駄々こねたんすよね」
「余計なことを言うな馬鹿」
「すいません……けどみはなちゃんも懐いてっし、誠一さんだって妹さん可愛がってるっしょ」
「こないだケーキ焼いてもらいました。今度お菓子作り教えてもらうんです」
「待ってみはなちゃん、それ俺じゃダメ?」
「えっちゃんはお忙しいですから」
「いや、そこまで多忙じゃねーしホットケーキ位なら教えたげますよ? ホットプレートでクレープだって」
「マフィンとかスコーンとかそういうのがいいんです」 対抗心とやきもちを剥き出してしきりにアピールする悦巳に、向上心旺盛なみはなはそっけなく回答。
アンディが相好を崩す。
「お父様ともうまくいっているご様子で安心しました」
「所詮は同族嫌悪だってわかったからな。意地を張るだけ無駄だし、ここは俺が大人になるべきだろう」
無愛想にカレーの咀嚼と嚥下を繰り返しお冷を一口。
「……みはなの今後を考えたら祖父と良好な関係を築いておくに越した事はない。高校大学の入学祝いも毟りとってやる」
後半は娘と悦巳に聞こえないように声を落とすあたり、意地っ張りは健在だ。
「って、お前仲間にも報告してねえの」
あきれ顔の大志にアンディーは淡々と応じる。
「アイツらにはアイツらの道がある。誠一様の元を辞して自営業、私立探偵、自衛隊に転身したヤツもいる。俺の都合で招集をかけて祝わせる訳にはいかない」
「むずかしく考えすぎっすよアンディ、みんな喜んでましたよ」
「みなさんアンディさんに会いたがってました」
「む……」
悦巳に続けみはなにまで窘められ、さすがにアンディも言葉をなくす。
アンディは気難しい男だ。加えて公私を混同しない主義である。
しかし部下には慕われている。
部下に開店の日取りを告げなかったのは思う所あってだが、遠回しな配慮が裏目に出てしまったらしい。
カレーをたいらげた悦巳がきちんと手をあわせて「ごちそうさま」を言い、どんなに虐げられても人の善意を信じる雑種犬のような笑顔で宣言。「今度連れてきますよ、飯は大勢で食うほうが断然うめーし……ねっ、みはなちゃん、誠一さん」
「ああ」
「絶対です」
「………………ありがとうございます」 アンディがこみ上げる何かを噛み締めて頭を下げ、入れ代わりに前に出た大志がガラス皿に盛ったサラダをおく。
「え? 頼んでねーけど」
「サービス。ホントはセットにしか付けねーけど」
「セットあんの? 最初に言えよ」
「てめえが見落としたんだろ」
三人分のサラダを出した大志は続けてカウンター端に移動し、ゆっくり時間をかけ角煮を咀嚼する老人に気さくに笑いかける。
「うるさくしてすいません、前に世話ンなった知り合いが来てて……角煮、も一個要ります? サラダのがよければ」
「いやいやもう十分。年をとるとめっきり食が細くなってねェ」
大志の申し出をやんわり断った老人が懐から財布を出し、直接代金を渡そうとする。
「お代は?」
「六百五十円です」皺ばんで萎びた手がじれったそうに千円札を数えるのを、決して急かさず見守る。
「今日が開店だって?」
「はい。ご覧の通り入りは寂しいっすけど、はは」
「この店はちょっと引っ込んだ所にあるからね、気付かれにくいのかもね。ワシは毎日散歩で通りかかるから」
「常連さんになってくれたら嬉しいス、なんて」
「考えておくよ。ごちそうさま」
感じの良い笑顔でねぎらい、丁寧に札をさしだす。
レジを打って代金を受け取る際、一瞬皺ばんだ手が触れた。
大志の胸に鋭い痛みが走る。
『年寄りってなァみんな葱しょった鴨だ、連中子供や孫にほったらかされて寂しいもんで臭ェ小芝居にコロッと騙されちまうのさ。くれぐれもえっちゃんみてーにほだされんなよ大志、テメェの分をわきまえとけ』
『年寄りは鴨葱だ。忘れんじゃねーぞ』
うるせえ出てくんなもうほうっといてくれ。
老人の皺深く乾いた手に触れた瞬間、かつて大志を従順な舎弟に仕立て上げた御影の呪詛が甦り、心をがんじがらめにする。
もう何年も前に付けられた煙草の火傷が疼き、嫌な汗がじっとり吹き出す。
「どうしたんだい? 顔色悪いよ」
「いえ……大丈夫っす」
鴨葱なもんか。お客さんだ。
懸命にそう言い聞かせてキツく目を閉じ呼吸を整える、老人に手渡された千円札はおそらく年金だろう手も切れそうなピン札で嘗て巻き上げたカネと一体どれだけの違いが―――
「ありがとうございます、またのお越しをお待ちしてます」
力強い手が大志の肩を掴み、現実に引き戻す。
太い声を張って老人を送り出したアンディが、気遣わしげに大志を覗き込む。
「どうした、ぼーっとして」
「ちょっとな……」
ちょっとどころではない。
結局悦巳はその後三品注文し、みはなはデザートのアイスクリームを美味しそうにたいらげた。
誠一は生ビールをジョッキで呷り、また会社戻んのに酔っ払ってどうすんすかと悦巳に叱られていた。現役社長は大変だ。
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