ボーイズビーアンビシャス5

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ボーイズビーアンビシャス5

めまぐるしい一日が過ぎ、夜も更けて閉店時間が訪れた。 アンディと手分けして店内を掃除し、厨房の後片付けを終えた大志は路地裏で煙草をふかす。 「お疲れさまだな」 「おかげさんで……というかなんというか、やっとこ一日乗りきったぜ」 滑り出しが上々とは言い難い。でもまあこんなもんかと折り合いを付ける。正直がっかりしてるが滅入っても仕方がない、気を取り直して明日も営業するのだ。 「やっぱ最初から万事順調って訳にゃいかねえな……悦巳たちにも気ィ遣わせて、悪ィことしちまった」 苦い紫煙を噛み締めてぼやく。ただでさえ自分にはハンデがある、スタートラインは同列ではなく一段下と見るべきだ。 いや、言い訳に逃げるな。客の入りと前科は関係ない、いずれ噂が広まり敬遠されるにしろ今は関係ない。客の入りが悪かったのは純粋な実力と宣伝不足、料理にだってまだまだ改善の余地は残ってる。 ビールがダースで入ってたプラスチックの箱にどっかり跨った大志の横で、アンディが呟く。 「禁煙はやめたのか」 「今日は大目に見てくれ」料理人にとって舌は命だ。舌が馬鹿になるから煙草はやめた。 が、今夜ばかりはやさぐれた誘惑に打ち克てなかった。 誠一から金を借りてまで出した店の初日の売り上げは赤字に近く、この調子では全額返済に何年かかるかわからない。 何が悪い? 何が原因だ? 考えろ大志、よく考えるんだ…… 打開策は…… 「悦巳の言う通り宣伝不足? 口コミは大事だよな。ブログとかぶっちゃけむいてねーし、できるとも思わねー。メニューは子供向けのも揃えたけどパンチが弱え……フライドポテトとか唐揚げとか、もっと居酒屋っぽいほうがウケんのか? 客は……近所の人? 駅が近くだしサラリーマンや学生もぼちぼちいたな、夕飯済ますヤツが多いならセットメニューに力入れるか……値段と量は手頃なはず、じゃあ何が問題なんだ。トイレの場所がわかりにくい? 貼り紙すりゃいいだろ。居抜き……前の店も居酒屋だって話だよな確か、後釜がまた居酒屋じゃかすんじまうか」 ああでもないこうでもないとブツブツ悩み、激しく頭をかきむしる大志。 「お前はどうだ? 黙ってねーでアドバイスよこせ」 「こういう日もある」 「だって初日だぜ初日、このまんまじゃ潰れちまうよ」「決め付けるのは早い」 アンディが大志の隣の壁にもたれ、細長く切り取られた都会の夜空を見上げる。 「誠一様たちは美味そうに召し上がられた」 そうだ。誠一とみはな、序でに悦巳は大志が出した特製カレーを綺麗にたいらげた。 「お前のカレーは美味い。俺も好きだ、自信をもて」 「身内の世辞はあてになんねー」 「身内なら世辞など言わない」 アンディがふと真顔になり、サングラスの奥から硬質な視線で射抜く。 「……会計時になにがあった? カウンター端の客と話していたが」 「ああ……」 適当にとぼけようとした。できなかった。 アンディの鋭い眼光に自分の弱さまで暴かれるようで耐えられず、吐き捨てた吸い殻を靴裏で踏みにじる。 「……カネもらうときに手ェ触れただけ」 「それで?」 昔の事を思い出した。 老人が高そうな黒革の財布から出した千円札を見た瞬間御影に言われるがままオレオレ詐欺を働いていた過去がぶり返し、凄まじい罪悪感と後悔が心臓を苛んだ。 ああ、俺がだまくらかしてきた人たちもこの人みたいなあたたかい手をしてたんだと知っちまって。 いまさら知りたくもなかった現実を突き付けられた。 「電話じゃわかんねーだろ、手の感触とかあったかさとか」 正当な労働の対価として貰う千円札と、詐欺で騙し取った数百万と。 「あの爺さん、俺が一晩じっくり煮込んだ角煮を美味そうに食ってた。入れ歯なのかな、すっげえ時間かけて……残さずたいらげてくれた」 「ああ」 「悦巳たちの相手してる時も文句言わず待っててくれた」 「そうだ」 「俺がなんも考えず、鴨葱だと思って騙してきた爺さん婆さんの顔がいやでもチラついちまって……」 ごちそうさまの一言が嬉しかった。 なにげない一言に救われた。 準備万端はりきってむかえた初日、入りが良くなくてへこんでいた時に立ち寄ってくれたお客さんだから、できれば常連になってほしいと図々しく願ってしまったが、多くの人を不幸にしてきた大志にそんな資格あろうはずがない。 さんざん人を騙し、不幸にしてきた手で作った料理をカネとって食わせるなんて。 何様だ俺は。 「前に御影に言われたこと思い出しちまってよ、年寄りは鴨葱だって。今はそんなこと思ってねェよ、思わねえようにしてェよ。でもカラダの根っこに染み付いちまってんだ、あの頃のどうしようもねェ俺が。そんなすぐには変われねェ」 俺は悦巳じゃない、アイツみたいに上手くやれない。アイツは今じゃすっかり児玉家に溶け込んで家族扱いされてる、誠一やみはなにも信頼されてる。 最初から悦巳は違った、俺と違って芯から真っ当な人間だった。 俺に無理矢理引っ張りこまれたオレオレ詐欺の罪悪感に苦しんで鴨葱でしかない年寄り連中の愚痴や相談に何時間でも付き合ってやっていた。 瑞原悦巳は幸せになるべき人間だ。 でも俺は「爺さんと手が触れたとき、こんなキレイな金もらえねえって思っちまった」 もったいなくてもらえないと。 金に綺麗も汚いもない、金は金だと御影なら言うのだろうが、会計時に偶然老人の手に触れ、働き詰めに働いてきたその手を見てしまった大志はどうしてもそう思えなくなった。 急に自分のしてる事が恥ずかしくなった。 前科持ちの分際で、家庭料理の味なんかろくに知らずに育った分際で、何人もの人々を騙し不幸にしてきた手で作った料理を素知らぬ顔で提供し今もまだ多くの人々を騙し続けている。 「誠一様やみはな様、悦巳はお前のしたことを全部知った上でカレーを食べた」 「今日きた爺さんは」 「金は金だ。そして付加価値を与えるのは人だ」 「…………変人」 「でなくばお前と店など出さん」 「名義上は共同経営者だもんな」 重苦しい空気が弛み、自然と二人の距離が近付く。 「……無理して付き合わなくてもいいんだぜ。誠一サンとこ帰れば」 「出戻って恥をかく気はない」 「あっそ」 「お前のとりえは料理の腕前と喧嘩の強さくらいのものだが、個人的にはそのはねっかえり根性も捨てがたい」 「前に聞いたセリフ。成長ねェな」 「なら、もっと本気を出してはねっかえってみろ」 打たれたように顔を上げる。 常夜灯の灯りがさしこむ路地に立ったアンディが突如大志の腕を掴み、店の正面へと引きずっていく。 「ちょ、痛てぇよはなせよ!?」 既に灯りが消えた「創作居酒屋 あんびしゃす」の前に仁王立ち、ふてくされた大志の腕を掴んで引き立て、毅然とした横顔で断言。 「お前が店を畳めば、常連になるかもしれない客が哀しむ」 『お前がいなくなれば悦巳が哀しむ』 何年も前に悦巳を空港に送って行ったときに聞いた言葉がリプレイし、もはや虚勢を貫く余裕もない大志の顔が泣き笑いに似て歪む。 「……ンだから前にも聞いたってそれ」「今度は悦巳だけじゃないぞ。俺も哀しむ」 「意味わかんね」 「みはな様も誠一様も前の職場の大将もだ」 「誠一サンはねえだろ」 「お前はどうでもいいがお前のカレーが食えなくなるのは惜しむはずだ」 「身も蓋も底もねえ」 「底はある。俺が支える」 「破れ鍋に綴じ蓋かよ」 似た者夫婦のたとえを出してしまったのは悦巳と誠一の悪影響か、さもなくば出来心だ。 無理矢理笑おうとして失敗、目鼻の部品が溶け崩れるように歪んでそっぽを向く。いい年こいてべそかくなんて情けねェ。 二人並んで漸く手に入れた店を仰ぎ、アンディが清々しく言ってのける。 「ボーイズビーアンビシャス。青年よ大志を抱け」 「諦めんのは早すぎるってか」 今度はちゃんと笑えた。やる気を取り戻した不敵な笑顔だ。 「あんびしゃす」はアンディの命名だ。大志の名にちなみ、その飛躍を祈って名付けられた店だ。 「明日の仕込みは終えたか?」 「もちろん」 「ふん、落ち込んでるかと思ったらやることはやってるんだな」 「なめるなオッサン、滑り出しが悪ィからっていちいちへこんでられっか。喧嘩とおんなじ、崖っぷちからオラオラ巻き返してくのが楽しいんじゃねェか」 「ニンジンを切るなら手伝う」 「お花ちゃん以外も覚えろ」 「型抜きを使うのはダメか?」 「一緒にやってくなら最低限そん位……」 ふいに顎を掴んで仰向けられ、言葉が途切れる。常夜灯の光が道を白々と照らす中、アンディが大志に押し被さって唇を奪い、大志はほんの僅か身もがくも押し流され、そのキスを受け入れる。 「…………ッは………、」 アンディのキスは彼そのものだ、不器用で優しく包容力に満ちあふれている。優しくされるのに慣れない大志はアンディに口を吸われるたび戸惑ってしまうが、一方で彼のキスを心地よく思っているのも否定できない。 吐息までも飲み干すように貪って、ふやけてずり落ちようとする大志の腰をしっかり支え、眩さに目を眇める表情で「あんびしゃす」を惚れ惚れ見上げる。野郎となんて冗談、と思っていた時期もあった。 「ここが俺の新しい戦場だ。兵糧は申し分ない」 でも、アンディは優しすぎた。 報われない片想いも諦めきれない未練も、さらには前科持ちの負い目や引け目までひっくるんで抱き止めてくれる懐の深さに知らず大志は癒されて、彼を相棒として新たな目標に突っ走りたいと思ってしまった。 厚皮の無骨な指が、新旧無数に散らばった煙草の火傷あとにやさしく触れてくれるから。 大志は唇を噛んで顔をおこし、アンディと拳の甲を合わす。 「明日は黒字めざそうぜ」 「黒字なら期待していいな?」 「下心が顔に出てンぞオッサン」 「賄いは?」 「当分カレーの残り」 「…………」 「不満かよ」「いや、お前のカレーは美味い。毎日でも食いたいくらいだ」 「食わしてやるからきりきり働け」 「お互いにな」 その後一日目に訪れた年寄りの口コミで創作居酒屋「あんびしゃす」には近所の住人が訪れだし、賑わいに引かれた通りすがりがどんどん立ち寄り、食べログでも話題を呼んで繁盛していくのだが…… それはまた別の話。
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