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フロム毘沙門天1
山手線は痴漢のハッテン場にしてスリ師の梁山泊として知られている。
環状線に跳梁跋扈するツワモノどもが夢の跡、クセモノどもが群雄割拠する戦国時代も今は昔と不況のご時世で、電子カード隆盛となった昨今は実入りも甚だ寂しい。
世間様が不景気でしょぼくれてるならせめて夜遊びだけでも景気よく行きたいものだが、タネ銭がなければ風俗にも行けやしない。
ないない尽くしここに極まれりのどん詰まり、馬券を買うのだって金がかかる世知辛い世の中だ。
「ですからね羽生さん、私のおごりでラブホに泊まれたんだからむしろ感謝してほしい位ですよ」
玉城が眼鏡の弦を嫌味ったらしく押し上げる。
「その論旨はおかしいだろ」
「ネカフェに連泊の方がマシだと?」
「う」
「確かに最近のネカフェは設備が充実してますからね、リクライニングチェアにシャワー付き、至れり尽くせり大サービスです。いえね、どうしてもネカフェの個室が恋しいというなら止めませんがスイングドア越しのオナニーはなかなかスリリングでは」
「そこまで追い詰められてねえしネカフェオナニーの趣味はねー、じゃなくて。俺が言いてェのは何だってラブホの一室で天敵とツラ突き合わせてデバガメみてーなマネしなきゃなんねーのかって事」
「デバガメとは失礼な。れっきとしたおとり捜査、待ち伏せです」
「~~毎度毎度人をクソくだらねェ囮調査に駆りだしやがって……」
そこは異様な部屋だった。
新宿二丁目の歓楽街、もっぱらゲイカップルが贔屓にしてると評判のラブホテル。
けばけばしい蛍光ピンクのネオンで飾り立てた外観もさることながら、プライバシー度外視の鍵手渡し式には度肝をぬかれた。
さすがに入口に防犯カメラはあったが、受付のガラス窓の向こうには胡乱な半眼の老婆がいて、無駄に爽やかで愛想がよい玉城の手元に、阿吽の呼吸でキーを滑らせたのだ。
この道50年のベテランと見た。真実は知りたくない。
「パシリの分際でご不満でも?」
「もう駅関係ねーだろ。山手線なら仕事場だが2丁目は管轄外、アウェイだ。おわかり?」
「新宿は沿線じゃないですか」
「こちとら暇じゃねえ、電話一本で気軽に呼び出されちゃ困るんだよ」
「いい加減スマホに買い替えましょうよ羽生さん」
「るっせぇ愛着あんだよ」
「口では貶してもホイホイ尻軽に喰い付いてくれるから好きですよ」
「弱み握られてちゃ仕方ねー、余罪蒸し返されて留置所にぶち込まれんのはごめんだ」
「素直ないい子ですね」
ベッドの上で胡坐をかいて憮然と口を尖らす羽生。
三十路の大人げはどこへやら、大いにふて腐れた態度を玉城は実に微笑ましそうに眺めている。
羽生の本業はスリ師である。
山の手のハブと言えば知る人ぞ知る、知らない者は誰それ草な存在である。
中坊の頃からこの道まっしぐらに十数年、スリを天職と恃んで日々山手線に揺られ雨ニモ負ケズ風にも負ケズひたすらにスってスッてスリまくってきた羽生だが、その手癖の悪さが原因で生活安全課のエリート刑事に目を付けられ、執拗なストーキングと悪質なセクハラに音を上げた彼は、ガッツリ弱みを握られて性奴隷にまで堕ちてしまった。
なお性奴隷と書いてパシリと読むのが常識である。
男の名前は玉城。新宿署は生活安全課の刑事であり、羽生限定の痴漢の常習犯である。手癖の悪さなら現役スリ師に匹敵する食わせものだ。
羽生は毒々しい笑みを浮かべて皮肉る。
「お前が生活安全課ってタチわりぃ冗談だよな、マジなら俺の私生活守ってくれ」
「お忘れですか羽生さん、刑事は国家公務員です。お上に納税している国民には滅私奉公しますが、税金も払わずぶらぶらしてる三十路無職のプライバシーなど塵芥に等しく忖度する義理ございませんね」
「俺の人権は?」
「メルカリで売ってましたよ三円で。運が良ければ十円台に値上がりするんじゃないですか」
「眼鏡割るぞ人さし指で」
「突き指にご注意を。耐久性に優れたブランド物ですので」
くだらない口論をくり広げ、徒労のため息に暮れる。
電話一本で呼び出されて不承不承来てみれば、本格的に夜を迎えネオン輝く二丁目に拉致されて、なんと鄙びたラブホに引っ張りこまれたではないか。
この野郎痴漢だけじゃ懲りずに遂にラブホでと妄想逞しくしたが、よくよく話を聞いてみれば囮捜査の要請だった。羽生はがっくりうなだれて、ろくに手入れもしてないボサ髪を乱暴にかきまぜる。
「はア~~~~~……絶ッッッ対見られた、勘違いされた」
「いいじゃないですか、二丁目ではよくあることです」
「ゲイカップルに誤解されたんだぞ」 道中通行人の目が痛かった。周囲はその手のカップルばかりなので、いい具合に埋没していたと好意的に解釈できなくもないが……それにしたってコイツと恋人に間違われるのは不本意だ。
玉城が面白そうに呟く。
「どちらがタチでネコだと思われたんでしょうね?アンケートとってみればよかった」
「アホぬかせ」
玉城は華奢に見えるくせに馬鹿力だ。どうにか振りほどこうともがいても腕を組まれてたちうちできなかった。新宿駅構内で完璧な一本背負いを決める位だ、そりゃあ鍛えているんだろうが……
「…………」
妙にそわそわ落ち着かないのは軽薄な内装のせいだ、きっと。
ラブホのお約束で天井は一面鏡張り、ばっちりと顔が映る。壁紙はドギツいピンク色で、枕元の籠にはコンドームとローションの小瓶がちゃっかり用意されている。
「昭和感全開のインテリアだな」
「大人の玩具もレンタルできるそうですよ」
「どうやって?」
「ボタンを押すと上から落ちてきます」 玉城が枕元に埋め込まれたボタンを指さす。壁には管が通っていて、そこから各部屋にアダルトグッズが配送される仕組みだ。
「へー……こったアトラクションだな」 羽生は素直に感心する。
「『ご自由にお使いください』じゃ衛生面がアレですもんね」
「壊れねーのかな。配送間違いとかは」
「試してみます?」
「ぜってえイヤだ」
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