その気になんて

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その気になんて

月曜日の業後、パソコンに向き合っていると、パーティションの間から和久田がデザイン部に入ってきて紗子にちょっと付き合え、と言ってきた。今日一日そのことで胃が痛かったから、紗子はパソコンを閉じて和久田を追った。 何時もの倉庫室の前。後からついて行った紗子にくるりと和久田が向き直り、二人が対峙する形になる。どきんどきんと心臓が痛い。なんでこんなに痛い思いをしなきゃいけないんだろう。和久田が何も言ってこなかったのが悪いのに……。 「土曜日のことだけど」 不機嫌を隠さない和久田が紗子を問い詰める。 「なんで俺が居るのに、お前の恋人になりたい奴と一緒に居たわけ?」 「……『俺が居る』、って、なに?」 ぽつりと言った紗子の返答に、和久田は は? と分かっていない様子だった。 「確かに和久田くんのこと好きって言ったけど、でもあの時和久田くん、それ以上なんも言わなかったじゃない。それなのに、恋人面とか、しないでよ……」 「はあ? お前、何言ってんの? あの流れだったら両思いで万々歳ってことやん」 そう、万々歳だ。でもそれ以上何もなかった。 「そうよ。私も初めて気持ちが通じたって思って嬉しかった。でも和久田くん、あの時好きってこと以上、言わなかったじゃない」 紗子の言い分に、和久田の左の眉が吊り上がる。そしてやっぱり和久田の口から出た言葉は紗子が欲しい言葉じゃなかった。 「あれ以上、なんか言わなきゃいけなかったのか?」 和久田がこうも言わないと、逆に察しなかった紗子が悪いのかと思ってしまう。でも紗子は言葉にして欲しかったし、それに大切な、初めて想いが通じた恋だったから、なおさら言葉が欲しかった。 「もういい。言ってくれないんだったら、始まらないだけだし」 これ以上欲しがっても和久田から言葉はもらえなさそうだから、話していても無駄だ。思えばアプローチされているときに好きだという言葉は聞いたけど、告白の時に好きだと言われたわけではなかった。なんとなく通じたと思っていた想いは、やっぱりちゃんと言葉で心に刻みたい。 「言わない言わないってなんなんだよ」 和久田も紗子の態度にますます機嫌を損ねる。それでも紗子は言葉を大事にしたいし、その力を信じている。和久田がひと言紗子にくれたら紗子は喜んで頷くのに、それもしないなんて、和久田はきっと紗子を大事にしていないんだろう。紗子はそう思った。 「もういい。和久田くんと話しててもなんにも解決にならない」 紗子はそう言って、和久田を置き去りにして席に戻った。なんだよ、と苛立った声で和久田が叫んだのが背中に聞こえた。……恋が成就したはずなのに、こんな苦い気持ちになるなんて想いもしなかった……。
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