いる、いる、いる。

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 気づいちゃったんだ。その巨大な“沼”の中心が、ぽこり、と小さく泡を吐き出したこと。やがてごぽごぽ、と泡の数は増え、その動きは激しくなっていくんだ。何かが沼の中から浮上してこようとしてるんだ、ってすぐに分かった。同時に、なんだか背筋がぞわぞわとするような妙な感覚もな。  今から思うにあれは、警鐘ってやつだったんだろうな。何かやばいもんがいるぞ、って本能的にわかってたんだと思う。それなのに俺の足は、金縛りにあったみたいに動けなかったんだ。恐怖もあったが、同じだけ好奇心が優ってしまっていたからなんだと思う。  やがて、そこから浮かび上がってきたのは――大きな顔、だったんだ。正確には、あれが顔と呼んでいいものなのかはわからない。目を、口を、真一文字に閉じた能面みたいな顔。俺は悲鳴を上げそうになった。タチの悪い悪戯か、あるいは大掛かりな装置でも埋めてるんじゃないかと思ったのは一瞬だ。  だってそうだろ、機械であんなリアルな顔が作れるか。本当に、人間そのままとしか思えないような生々しい顔が沼の中から浮かんでくるんだよ。それも、人間には有り得ないくらいのサイズで。 「――。――……」  呻くような声?音のようなものが聞こえた気がした。その巨大な顔の口が、目蓋がぴくぴくと動き始める。俺はこの時になってやっと“まずい”って思った。なんとなく、あれと目が合ったら終わりだと思ったんだ。 「ひいっ……!」  掠れた悲鳴を上げて俺は、その階段から離れた。このまま階段を降りていく勇気がなかったからだ。反対側の階段なら、あの家の庭が見えるなんて心配もない。同時に、向こうの“顔”からこっちの姿が見えるようなこともないと思った。俺は一目散に、マンションの東側に走って、階段を駆け下りたんだ。あとはもう、ガムシャラっていうの?そのまま急いで駅の方まで逃げ帰ったんだよな。  その日はもう、バイトを続ける元気はなかった。  だから俺はアプリの“配達受付”のコマンドをオフにして、すぐに自宅に帰ったんだよな。  あの顔の正体はわからない。それでも、とてつもなくやばい隠し事があるのは間違いなかった。ワンルームのアパートまで帰ってしばらくして落ち着いた俺は、震える指でA社の担当に電話したんだよ。アレがなんなのか、今度こそきっちり訊かないと納得できないと思ったから。
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