第九章 遣り手(やりて)

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「ここから先は米山さんが、私にバレずに上手く隠れているつもりだったってことだけ先に話しとくわよ。」 「え、は、はい。」 「私が地獄の名を(たまわ)ったのが丁度その年の事。私は本部長からこのまりさんの件を小耳に挟んでいたわ。詳しくは知らなかったけど、太夫の座が1つ空いたとね。新しい若い衆と上手くやれないだろうから、彼女は辞めてしまうかもしれない。地獄さん、あなたなら、辞めさせた方が良いと思う?そう聞かれたわ。だから答えたの。まずはその花魁に会わせろってね。」 「どうしてですか?」 「相手がどんな性格かも分からないのに、その相手の今後をこっちが勝手に決めるなんておかしいでしょう?それに遠いけども一応同じ新潟県内だし?」 「はあ、なるほど。」 「それでアポもなしに小千谷(おぢや)までぴゅーん。で、初めましてー。最初は驚いて、話すのも嫌がってたわ。だけど私が小千谷(ちぢみ)の着物を着ていたから、まずは着物の話で仲良くなって、ゆっくりゆっくり気持ちを聞き出したわ。彼女は太夫がどうこうではなく、自由に人を好きになれないのがアホ臭くなって辞めたかったみたい。でも私は彼女を傷付けると分かってはいたけど、こう言ったの。 例え現代花魁じゃなくても、決まりが無くても、隣人や子供、旦那さん、好きになった若い衆、それをどれだけ遠ざけても、あなたは自由になれない。人と、社会的繋がりを完全に断つこともその勇気も無いのだから。あなたは本当は遠ざけたいのでなく(すが)りたかった。けど女のプライドで、できなかっただけよと。」 「…酷い、ねえさん、そんな言い方は酷いです。」 「分かっているわ。彼女もそれで怒っていた様子だった。だけど、認めたの。離れて行って欲しくないことを伝えられずに、気持ちばかりが沈んで前に進めなくなっていたこと。縋りつくことが恥かしくて、それができない腹いせに、周りを突き放すしかできない、自分の弱さを。 流石、この人は太夫であっただけの事はあるなと感じたわ。傷付いてもなお美しくその傷を受け入れるのだから。私は彼女を尊敬したわ。こんな人になりたいと思ったの。だから先輩太夫として、私を指導してほしいとお願いした。」 「私と同じように、禿になろうとしたってことですか?」 「いいえ、禿は何もない経験値0の状態から始める人の事よ。私はその時既に端の位になっていたから、あなたより4段階上だし、源氏名が決まったら基本的には誰かの下に付くということはないわ。」 「そうなんだ。じゃあねえさんがやろうとしたことも、レアケースなわけですね。」 「ええ。でも彼女はゆっくり考えたいと言って、私は少し時間を置くことにしたわ。けれどそれをこっそり聞いていた誰かさんが、また勝手にこの会話内容を本部に報告しちゃうのよねー?」 そう言うと彼女は帯から扇子を取り出し、それを使ってクイッっと僕の顔を上げさせた。罪悪感からか、何でか、特に抵抗する気も起きず、勝手に身を任せてしまう。さながら借りてきた猫状態だ。 「う…はい。」 「この報告を受けた御内所(ごないしょ)たちは、まりさんに花魁を辞めさせようとしたの。だけど本部長は新たな役職を設けることにした。それがヤリテ。」 「ヤリテ?」 「遣る手、つまり何かをやる人という意味。何をするかと言うと、花魁の教育係兼、監視や、ルールに違反した者に体罰などを与える役割を担っていた役職よ。」 「体罰?!」 「鉄製の煙管(きせる)でぶん殴ったり、髪を鷲掴みにして引っ張ったり、爪を潰したり剥がしたり、遣り手によって罰し方は様々よ。現代でそんなことしたらパワハラどころか傷害罪だけどね。本部長はその遣り手の役職を作って、まりさんに現代花魁の教育係を命じたのよ。私があれだけ本人の気持ちを大事にしてって言ったのに。」 「現代花魁を辞めることと、遣り手になることのどっちが、まりさんにとっては良かったんでしょう?」 「さあね。でも本部長は彼女への情けで、教育対象は彼女に自由に選んでいいと言ったわ。彼女はそれで私のもとに来た。だから案外悪い提案では無かったんでしょう。結果オーライというやつだけど。問題は彼女の気持ちを何度も無視したスパイさんと本部だわ。全く、何色の血が流れているのやら。」 「まあ、確かに米山さんも仕事とはいえ、恨まれても仕方ないかもですね…」 「ですよね…」 「…」 「…」 「…え?待って、ねえさんそれ、いつの話ですか?今さらっと太夫になってますけど、あなたいくつなんですか?!」 「今22歳よ。もう少ししたら23。」 「はあっ?!っ…いや、え?にじゅう…にって…は?え?」 「彩芽さん今まで知らなかったんですか?」 「知らないですよ!年下としか言われてなかったですし…」 彩芽さんは驚きのあまりちょっとキレ気味だった。無理もない。自分より10歳も年の離れた女の子に日々頭を下げて、教育されていたのだ。そんな彼女をよそに、花魁は淡々と話を続ける。 「そしてまりさんが花魁を降りて遣り手になったのは一昨年。私が20歳の時よ。」 「なん、えっ、どういう、」 「私は20歳で新造になり、そこから1年以内に部屋持ち、座敷持ち、(はし)になったの。そしてまりさんのご指導のおかげで、そこから1年半かけて(つぼね)格子(こうし)、そして今の太夫になったわ。つまり、まりさんは5年で太夫になったけれども、私は更にその半分のスパンで太夫になったというわけ。」 「だ、太夫になったのは…いつなんですか…?」 「半年前ね。」 「…」 「…」 「あのう、」 「なあに?」 「スピーディー過ぎやしませんか?何か裏技とか、コネでもあるんじゃ…」 「無いわ。至って正攻法よ。米山さんに聞けば分かるわ。」 そう言って彼女がこちらを見るので、僕は慌てて頷いた。 「あの、はい。地獄花魁は、僕の見る限り何も不正はしていませんでした。太夫になって以降も、何も変わることなく過ごしています。」 「流石スパイ、よく見てますねえ。」 「それは、もう…勘弁してくださいよ…」 話したらどっと疲れが出てきた。僕はただ力なく笑った。 ―カタ、 小さな音がした。台所の方からだ。それを聞いて花魁は立ち上がった。 「さあ、長くなったわね。彩芽、送るわ。米山さんはここに居て待っててくださいな。」 「え、ねえさん、でも…」 彩芽さんは心配そうにこちらと台所を交互に見た。僕とまりさんを2人きりにして大丈夫なのかと心配しているようだ。 「大丈夫よ。ほらもう8時過ぎだわ。行きましょう。」 「あ、はい…あの、米山さん、」 彩芽さんは最後に1つだけ、と振り返って言った。 「私は、許せません。 …でもそれは、米山さんを許せないんじゃなくて、隣人や、本部の人です。あなたが今後まりさんもねえさんも、みんなを全力で支えてくれるなら、私はお手伝い、したいです!」 それじゃ、また。と頭を下げて、彩芽さんは行ってしまった。その後ろを花魁が行く。彼女はふすまを閉める前に、ふっと微笑んだ。それは先ほどの冷笑とは違い、何だか温かなものを感じる、優しい笑みに見えた。 「…地獄…に、仏…か。」 僕は台所に向かって数歩近付いた。すると奥から、 「来ないで。」 彼女の、まりさんの声がした。若干の怒気を帯びたそれは、それでも2年前のあの時よりは幾分か柔らさを、いや、疲れを感じさせるような声だった。僕はその場で立ち止まって、語りかけるように話した。 「お話しするのは、2年半ぶりですね。あの時は、僕があなたに遣り手の就任を伝えに行ったんでしたね。」 「…」 「どうして、彩芽さんにこの話をしても良いと思ったんですか?」 「…」 「朱鷺さんが遅れて入って来たのは、先にあなたと話をしていたからじゃありませんか?今日僕と鉢合わせて、僕の秘密と共にあなたの秘密も話すことになるかもしれないと、その相談ではなかったんですか?或いは、いつか話す予定だったものを、敢えて僕らが揃う今日にしたのか…。」 「…私は、遣り手になったっけら(なったから)、禿まで取り仕切る責任があんねっかて(あるじゃない)。そのために必要らのは、お互いの信頼関係らわ。」 「だから、いずれ伝える気だったんですね。じゃあ後者ですね。」 「それは私の判断でねわね(ではないわ)なあ(あなた)は居ても居ねくても変わらねかったこてさ(変わらなかったわよ)。朱鷺さんが言い出したことだすけ(だから)、聞いただけ。」 「…えっと、すみません、なんて…?」 訛が強くて思わず聞き返し、僕は一歩前に出てしまった。 「ナアバカシャ!クンナテバネ、イットロガ!」 (なあばかしゃ!来んなてばね、言っとろが!) (ちょっとあんた!来ないでって、言ったでしょう!) 「あっ、す、すみません、」 何て言っているか分からないが、とにかく怒らせてしまったようなので大人しくソファまで戻ることにした。が、座って驚いた。彼女が台所から出てきたのだ。まさか出て来るなんて。話してもらえただけでも驚きなのに、顔を見て話せるなんて。彼女は離れたソファに座り、口を開いた。 「花魁は引退しんしたからもう使うまいと思ってたが、おまはんが新柄弁を聞き取れねえから、廓言葉(くるわことば)で話んす。この方がよござんしょう?」
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