序章 大いなる流れのほとり

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序章 大いなる流れのほとり

 水は生ぬるく、光を反射しながら、空と大地の間を黒く流れてゆく。  決して枯れることない大河(イテルゥ)は、今日も村の前をゆったりと流れてゆく。そのほとりで、父セアンクは、せっせと泥を乾かして作った手づくねの日干しれんがを積み上げている。  太陽は天頂を少しばかり過ぎたところ。仕事を始めたのは朝の遅い時間だったはずなのに、今はもう、既に作り始めたものが形になっている。シェヘブカイは、父の隣で真剣な顔をして、その慣れた手つきを見守っている。  川辺の草が揺れる。谷から谷へと風が吹きぬけてゆく。  ふう、と息をついて、セアンクは汗を拭った。  「よし、――土台は、こんなものだな。」 れんがを芯にして、泥で固めたそれは、正面を川の方に向けた、小さな祠の形をしている。  「すごいや父さん。すごく早い、それに全部、まっすぐだ」  「うん? このくらい、何でもないぞ」 笑って、セアンクは日焼けした顔に白い歯を見せて笑う。  そこは村の真ん中の、川と畑の間の堤防の上にある、共同で作っている「祠」だった。祀られているのは河の神(ハピ)豊穣の女神(レネヌテト)。どちらも、村の守り神だ。  泥で作られた祠は、何年かするとひび割れて、少しずつ崩れてしまう。だからこうして、定期的に作り直したり、補強したりする必要がある。それは、建築技師であるセアンクの仕事だった。本当は建託現場の監督で、普段は細かな作業などは部下たちにやらせているのだけれど、たまには手を動かさなければ感覚を忘れるからと、これだけはいつも自分でやっている。父と同じく建築技師の兄は、あまり手伝いたがらない。  「これで、完成だ。」 脇に除けておいた小さな石の神像を両手でそろりと新しい祠の中に戻して、セアンクは、まるで神官のようにうやうやしく首を垂れた。  「今年も、村の衆をお守りくださいますよう。よろしくお願いいたします」 神像の見つめる前を、ほとんど停滞しているかのような、ゆったりとした川の流れが過ぎて行く。――川は、この黒い土の国(ケメト)の南の果てから北の果て、沙漠と山のほうから海の方へと、絶えず流れ続けている。世界の始まりより終わりまで流れ続けるという、「永遠なるもの」だ。  「ねえ、父さん」 仕事を終えて家に戻ろうとするセアンクのあとを追いながら、シェヘブカイは訊ねる。  「この祠、石で作ればいいんじゃないの。王様の作ってるのみたいに――そうしたら、作り直さなくてもよくなるでしょ?」  「うーん、そうだなあ。確かに、そうなんだが」 セアンクは苦笑する。「それだと、心が籠らないからなあ…。」  「心が籠る?」  「こうやって、こまめに作り直して綺麗にすることで、守り神さまたちへの感謝の気持ちも新しくしているんだよ。神さまというのは人間が祈って必要としないと、土地を去って行ってしまうんだ。もし人間に恨みを抱いたら、悪霊になってしまうこともある。…もちろん、河の神さまなんかは、そうはならないだろうがね。川がなきゃあ畑は作れないし、水も飲めないんだから、誰だって少しは感謝するものさ。だが、他の神さまはそうじゃないかもしれないだろう。豊穣の神様が居なくなって、畑の実りが悪くなったりしたら、困る」  「ふうん、…でもさ、そうしたらさ、」祠のほうを振り返りながら、少年は首をかしげる。「いなくなってしまう神様の代わりに、やってくる神様もいるの?」  「どうだろうな、いるかもしれない。新しく出来た村の守り神さまなんかは、どこかからお連れするんだよ。でも、この村の守り神さまは、村が出来たずっと昔から、変わっていないよ。――」  さあっと強い風が吹いて、緑が湧きたつようにそよぎ、シェヘブカイの頭上でナツメヤシの葉が大きく揺れる。木漏れ日の鋭い光が、視界を一瞬、金色に染め、彼は眩しさに思わず手を翳す。  ――子供心に不思議に思った。神さまというのはずっと昔からいるはずなのに、人間が祈らなければ土地に居てくれないものだという。だとすると、人間がやってくる以前の神々は、一体どうしていたのだろう。  怒らせると悪霊になるという。だとしたら、神さまと悪霊との違いは何なのだろう?  あの日から、何年かが過ぎた。  祠は今も、村の堤防の上に作られ続けているが、それは少しばかり色あせて、端の方が崩れかけている。  父が忙しくしていて、手が回らないからだ。  ここのところ、村人たちの多くも出払っていて、祠を訪れる人の姿は減り、神像は寂しそうに見える。シェヘブカイも、今は、村の外で働いている。  朝の光に照らされた祠を眺めていると、彼の名を呼ぶ声がした。  「シェヘブカイ!」 振り返ると、家の前の道で父がこちらを見ている。  「そろそろ行かないと、遅れるぞ」  「あ。うん!」 慌てて立ち上がると、彼は、尻を払って元気良く駆け出した。  朝の光、鳥の声。毎朝、父や兄と仕事に出かける。向かう先は、村からそう遠くはない川べりの丘の上だ。  そこには今、当代の王であるケペルカラーの命により、葬祭殿が――石造りの「永遠の家」が、建てられようとしているのだった。
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