君があと一口、指を動かす頃に side:汐里

1/2
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

君があと一口、指を動かす頃に side:汐里

仕事を終え、足早に集合場所になっているケーキ店に向かっていた。 お店“Bonheur(ボヌール)”は大学在学中お世話になったサークルの先輩が、当時から付き合っていたこれまた同じサークルの先輩と結婚して始めたお店。東京でも激戦区と呼ばれる土地で始めた商売は中々大変だったようだけど、最近では予約しないと買えない店とメディアでも取り上げられる程になっていた。 開店当時は応援も込めて通っていたけれど、最近は人気もあってすっかり足が遠のいていた。 お店の定休日を利用して今日催されるのは、サークルの同窓会みたいな集まり。久々に大学時代に戻った気持ちで、私は逸る気持ちで店の扉に手を掛けた。軽やかなドアベルが響いて、中にいた数人がこちらに顔を向ける。お店のイートインスペースには所狭しと豪華な料理が並んでいた。 「あ、汐里(しおり)いらっしゃい。(りく)君ずっと待ってたわよ」 「え…あぁ、陸!? 今日残業で来れないって言ってたじゃない?」 残業で行けそうにない。と言っていたはずの私の恋人は、何故か私よりも早く会場に居た。首を傾げる私に対して、陸は苦笑しながら「何とか片付いて」と曖昧に笑っている。 「だったら待ち合わせて一緒に来たのに…」 「早めに行って、セッティング手伝おうと思ってさ」 人の良い顔で何かを隠している様子の陸に、私は納得は出来なかったけど渋々頷いて見せた。サークル時代からのカップルはこのBonheurの神尾夫妻ともう一組、私と陸も現在進行形でお付き合いをしている。 他に独身貴族を謳歌している木嶋(きじま)晃太(こうた)と、最近彼氏にフラれたらしい高波(たかなみ)理紗(りさ)、潔癖症が過ぎて彼女と長続きしない江藤(えとう)敦史(あつし)…サークル時代の仲良しメンバーは皆揃っていて、私が最後に到着したようだった。理紗に手招きされて、私はその隣に座る。やけに皆テンションが高い気がするけれど、これも同窓会マジックかな、と笑顔を浮かべた。 「ねぇねぇ汐里~。最近陸とはどうなのよ~」 「どうって…至って順調、だと思うけど」 言葉を少し濁してしまったのは、今まで付き合ってきて一度も結婚を示唆した会話をした事が無かったから。私自身焦っている訳ではなかったし、陸も誠実なタイプだから一緒にいればゆくゆくは自然とそうなるのかな、なんて構えていた節があった。 でも最近になって、陸がおや?と思う行動をした時があって…。朝方、私が眠ってると思ってる陸が、私の薬指のサイズを確認していたの。一度目が醒めちゃって二度寝しようとしていた時だったから油断していたのとプラス、それが意味する事を考えたら寝たふりをするしかなくて…。 もしかしたら今日、この集まりはサプライズプロポーズの場なのでは?なんて淡い期待と、まさかねって気持ちがぐるぐると心を回っていた。 「ほほぉ、余裕ですなぁ」 「そんなんじゃないけど…理紗だってフラれたって聞いたけど、もう次の良い人いるんでしょ?」 「まぁ…ね、私モテるから~」 理紗がちらりと敦史の方を見て、敦史も微かに頷いていた。「え、ちょっと待って。まさか新しい彼氏って」と私が言いかけた時、随分大きなパイを持ったこの店の主人、神尾(かみお)亮史(りょうじ)さんと(ひとみ)さんがテーブルの中央にそれを置いた。既に切り分けられているそのパイを見て、理紗が「素敵、美味しそう!」と嬉しそうな声を上げる。 「お、これってもしかして~…ガレット・デ・ロワってやつなんじゃあないの~?!」 晃太がわざとらしい言い方をした瞬間、周りの皆があちゃーとした顔をして見せた。神尾さん夫妻と陸の落ち込み具合が半端ではない。 「ふふっあはははっ…!」 あまりにも棒読みな台詞に我慢出来なくて、私は笑ってしまった。何でそんな大事なとこで晃太を選んだのだろう。明らかな人選ミスにお腹を抱えてしまった。皆が頭を抱えているのと、私がお腹を抱えている理由を分かってない晃太は一人、頭上に?を浮かべている。 「何だよ汐里、笑うとこじゃないだろ?」 「はいはい…そうだね~」 「ま、まぁまぁ…確かに晃太の言う通り、これはガレット・デ・ロワだよ。汐里ちゃんはどういうパイか知ってるかい?」 場の空気を戻すように進行してくれる亮史さんに、私は視線を向けた。名前だけは聞いた事があったけど、何か食べる以外の意味があるのだろうか。分からなかったので首を横に振ると、瞳さんがにこにこと説明してくれた。 「元々、フランスの公現祭(こうげんさい)ってお祭りで食べられるお菓子なのよ。この中のどこかに、フェーヴっていう焼き物が入っていて、食べる時それを引き当てた人は王冠をかぶって皆から祝福されるの。一年間幸福に過ごせるって言われているわ。今日はその王様を決めようかと思って」 そう言うと瞳さんは店の奥から装飾用の小さな王冠を持って来る。何だ、晃太の芝居臭い言葉に何かドッキリがあるのかと思ってしまったけど、今日は普通に同窓会なのかもしれない。まぁ、そんな都合良くサプライズでプロポーズなんてないわよね、そう思って私がピースを選ぼうとすると、先に陸が私の分を取って渡して来た。あまりに俊敏だったので驚いて、そのまま受け取ってしまう。 「…何で陸が私の選ぶの?」 「いや…それが一番大きく切り分けられてるように見えたから」 陸は私の事をそんなに食いしん坊だと思っているのかしら? 甘い物が好きなのも、このパイをいっぱい食べたいと思っていたのも本音だったので、私は大人しくそのパイを受け取った。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!