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キッカケ
あれは何年前だっただろうか。
私が夜に自転車でアパートに戻ってる最中のこと。
早く帰りたい一心で、物凄いスピードが出てたんじゃないか?と思う。
ドンッ。
何かにぶつかって転んでしまった。
腕を少し擦りむいて、尻もちをついた。
大人になってからの尻もちは…結構痛い。
のそのそと自転車を起こしていると、血相を変えた若い男が駆け寄ってきた。
えっ、なにこわい…。
「すいません!お怪我はありませんか!?」
物凄く深々と頭を下げられ、体調についてもしつこく聞かれた。
どうやら、徐行運転中の彼の車に、爆走自転車の私が突っ込んで行ったらしい。
こんな100%自転車の私が悪くても、車が動いていたら有責になってしまうんだから、恐ろしいもんだ。
彼はどうしてもおおごとにしたくないらしい。
私も別におおごとにする気はない、だって悪いの私だし…。
一応、警察は介さないけれど事故として対処させて欲しい、と申し出され名刺を渡された。
私は名刺を持ち合わせていなかったので、彼に電話番号を伝えた。
どうやら彼は雇われの運転手らしい。
そりゃ、乗せてる人に迷惑かけられんわなぁ…必死になる訳だ。
本当に申し訳ない…。
私は彼に、体は大丈夫なこと、おおごとにする気はないこと、私が悪かったことを伝え、謝罪してその場を去った。
―――
翌日、知らない番号から着信があった。
きっと運転手の彼だろうと思い、出てみたらドンピシャ。
『話がしたいので時間を作って欲しい』
とのこと。
正直、めんどくさかった。
でも彼の立場上、何もなかったことにはできないのだろうとも思うと、やはり申し訳なくて了承する他なかった。
後日、彼の運転で事務所に向かった。
会議室に通され、少し待っていると、彼と、上司と思われるおじさん、そして、別の若い男が順に入ってきた。
上司は分かる。
でもあの若い男は?なんで??
『今から話すことは決して口外しないで欲しい』
と強く前置きをされた。
そして、私に医療機関で体に異常がないか検査をして欲しいこと、新しい自転車を贈りたいこと、そして…。
目の前に封筒が置かれた。
「示談金です、どうか受け取ってください。相場の倍はあるかと思いますので、どうか、この件は無かったことにして頂きたい」
上司の男はそう言って私に頭を下げた。
私が突っ込んでいったのに、なんでこんなことになってるのか。
事態が全く飲み込めなかった。
とにかく、私が悪かった事、彼は悪くない事を伝え、封筒を押し返した。
「病院には行きます!でも、これは受け取れません!!」
見るからに分厚い封筒…一体いくら入ってるんだ…そんなの、受け取る方が怖い。
私がワーワー言っていると、あの若い男が初めて口を開いた。
「体は元気そうで何よりだけど、自転車は?壊れなかったの?」
「えっ?あ、あぁ…まぁ、実は歪んじゃって使えないですね…ははっ、すいません…」
「なら、自転車は贈らせてよ。その方がよくないかな」
よく見たら端正な顔立ちをした男だった。
そして、封筒を返す代わりに自転車を買ってもらうことで話は落ち着くことに…。
たった数時間のことだったけど、めちゃくちゃ疲れたな…。
―――
また、運転手の男から着信があった。
自転車を搬送するから住所を教えてほしい、と。
そして贈られてきた自転車は、以前乗っていたママチャリとは比べ物にならないほど、オシャレで可愛らしいものだった。
なんか、自転車に乗る度申し訳なさが沸いてきそう…。
もうひとつ。丁寧な字で手紙が添えられていた。
『先日は私の運転手が大変な失礼を致しまして、申し訳ありませんでした。お詫びになるか分かりませんが、私たちのコンサートに来ていただけないでしょうか。チケットを同封させて頂きます。御村』
…御村??
あ、あの若い男??
なんか知らないグループだけど、せっかくだし行くか…。
行かないと、運転手がますます肩身狭くなりそうだしな…。
私は運転手の男に電話をかけて、自転車のお礼と、コンサートへ行く事を伝えた。
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