今日でさよなら

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 歴史小説だった。ちょっと美香の好みとは違う気がして、ぱらぱらと捲った。男くさい文章が並んでいた。彼女の知らない面を今更になって知った気がした。  勿論好きな本や映画については何度も話題にしたけれど、この作者の名前は出なかった。北岡修一という、現代小説から歴史小説に転換した作家だった。ぼくは現代小説を書いていた頃の彼の作品を何冊か読んだことがある。  嫌いな作家ではなかった。  閉じ籠りがちになるから、久々に仕事が早く終わった夜、ぼくは繁華な場所に出かけた。  時期が悪いのか人出が多い。みな明るい表情で歩いている。  その人ごみの中、ぼくはあの薫りを嗅いだ気がした。美香のあの、甘くてよい薫りを。  振り向いたけれどそこに美香の姿がある筈もなかった。ふと見ると、彼女と何度か来たバーの入っているビルの前だった。ぼくは吸い込まれるように階段を昇っていた。
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