今日でさよなら

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 女の子とマスターが同時に「いらっしゃいませ」と客を出迎えた。見ると、体格の良い、ぼくよりは年嵩の男性だった。髪は白く口髭があって、への字の口許がおっかなそうだった。着ているセーターは上質なカシミアだろうか。  男性はぼくの席からひとつ置いたスツールに腰を下ろした。上客と言ったところか。座っている感じも様になってる。  彼がぼくを見た。いや、ぼくの飲んでいるグラスを見たのだった。 「ボンド・マティーニですか」  男性は思ったよりも気さくな感じでぼくにそう言った。よく通る低音の声だった。ぼくは曖昧に頷いた。  マスターが男性の前に立った。 「吾郎ちゃん、今日はXYZで」  男性は陽気な調子でそう言ったけれど、どこか悲しげにも聞こえた。 「珍しいですね、先生」  マスターが手を動かしながら返した。
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