(01)恋の手習い…

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 つばさにとって初めての歌舞伎は、良いものを観れてよかった! という興奮がまず先に来た。  豪華な振袖に感心し、引抜(ひきぬき)といわれる、 着物が一瞬で変わる演出には目を見張った。    振袖をもっと着られるうちに、着ておけばよかった。  あの色の訪問着なら、歳がもう少し行っても着られるんじゃないか。  もっと綺麗に着こなしたい。  ……とついつい思いながら、予想と期待以上の豪華さ綺麗さに興奮気味で見ていた。  しかし何より衝撃を受けたのが、その美しい着物全てを着こなして華麗に舞う女形の永之助だった。  どう見ても女。 見た目はもちろん、声、仕草、目の動き……  本当に男?  何度もその疑問が頭に浮かんだ。  しかし、同時に苦しい観劇ともなった。  あらすじ、歌舞伎の決まり事、衣裳のこと、俳優について…… 色々教えてくれる音声ガイド。  それは大変ありがたかったが、同時に有難迷惑でもあった。  昔、清姫と言う娘が旅の僧安珍に一目惚れし、結婚の約束をした。 だが修行中の彼は彼女から逃げた。  怒った姫は安珍を追いかけ、彼は道成寺の鐘の中に逃げ込んだ。  騙され裏切られたと荒れ狂う清姫は蛇となり、鐘にまとわりつき鐘ごと安珍を焼き殺した。  その伝説がある鐘の供養のため、永之助演じる白拍子花子が寺に現れる……  つばさは心の中で自嘲した。  清姫は自分だ。  和義に一目惚れし結婚の約束をした。  そして今、その危機にある……  歌詞の解説にも、自分の心境とリンクするものがいくつかあった。 〽︎恋の手習、つい見習いて 誰れに見しょとて、紅鉄漿つけよぞ みんな主への、心中立て  普段の仕事は身だしなみ程度のメイクで、デートの時だけ本気を出した。  それは和義のためだった…… 〽︎おう嬉しおう嬉し末はかうぢゃにな さうなる迄はとんと言わずに済まそぞえと誓紙さへ偽りか、 嘘か誠かどうもならぬほど逢ひに来た。  彼と婚約はしたけれど、結婚式も入籍も延期。彼の浮気と見える行動。  本当に自分と結婚する気はあるのか?  会いにいって問い正したい。 あの女はなんなのか。何をホテルでしてたのか。自分のことをどう思っているのか。 〽︎ふっつり悋気せまいぞと たしなんで見ても情なや 女子には何がなる   嫉妬など自分の人生には無いと思っていた。 あの女と一緒にいるところを見た時、初めて知った。  ……今でも思い出すだけでおかしくなりそうだ。 〽︎殿御殿御の気が知れぬ 気が知れぬ 悪性な悪性な気が知れぬ 恨み恨みてかこち泣き 露を含みし桜花 触らば落ちん風情なり  今は男の姿になってはいるが、自分の心は女のままだ。 男の気持ちなどましてや浮気男の気持ちなど、わかるわけが無い……  次第に怪しい雰囲気が出てくる花子。  舞いながら鐘を見る眼差しが変わった。  恨み辛みの籠った、嫉妬に駆られた女の目。  その美しく恐ろしい目に、鳥肌がたった。  池辺と話した日を思い出した。  彼は穏やかに対応してくれたが、彼が見た自分の目は同じような恐ろしい目だったのかもしれない。  クライマックス。  花子は周囲の坊主たちの静止を振り切り、鐘の上に登り見得を切る。  花子の本性は清姫の霊。  振り乱した髪、鱗模様の白地の着物。    それは大蛇でもあった。  かつて恋した男を焼き殺した、蛇の姿だった。
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