01.平和な日々は続かない?

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「……おかえりなさい」 「ただいま」 「気付かなくてごめんなさい」 「いつもはドアを開ける音ですぐ気付くのにね」  大抵は琴莉の方が先に帰っている。隼人の帰って来る時間は把握しているので、それまでに夕食の用意をするのだ。キッチンでパタパタと動いていても、玄関のドアが開く音にはすぐに気付く。琴莉は玄関まで足を運び、隼人を出迎える。この流れはすでにルーチン化しているかのように、毎日繰り返されているのだ。しかし、今日に限って全く気付かなかった。 「私に気付かれないように、そっと入ってきた?」  琴莉が見上げると、隼人は笑いながら首を横に振った。 「まさか。いつも通りだよ。琴莉の出迎えがないからちょっと心配になったけど、キッチンで忙しく動いてたからホッとしたけどね」  考え事をしていても手は勝手に動いていて、すでに夕食の準備は整っている。 「今日は集中しすぎちゃったのかも」 「でも気付かれないおかげで、しばらく琴莉が料理してる姿をじっくり観察できたからよかったかな」 「え、ちょっと! 恥ずかしい……」  無意識で変な動きなどしていなかっただろうか。「人たらし」なんて言葉も聞かれてしまったことだし。  琴莉が顔を俯けようとすると、隼人は琴莉を自分の方に向かせ、正面から抱きすくめる。 「隼人?」 「美味しそうなアクアパッツァだ。冷めないうちに早く食べよう」 「……はい」  隼人の笑みに琴莉もつられる。二人は食卓につくと、もう一度微笑みあう。  二人一緒の夕食は久しぶりかもしれない。  琴莉との帰宅時間があまりにズレる場合は、先に食事など諸々を済ませておくようにと隼人は言っており、琴莉はそれを守っていた。本当は待っていたいのだが、待っていると隼人の負担になるだろう。もしこれが逆の立場だとすると、琴莉も負担に思うからだ。  隼人には思う存分仕事を楽しんでほしい。それを側でサポートするのが琴莉の仕事だし、琴莉自身も楽しいのだ。 「琴莉、明日は代休を取ったから」 「あ、そうなんですね。今週は無理そうだって言ってたのに」  ヘアメイクイベントの仕事は休日にあることが多い。なので、平日に代休を取るのだが、その取得も滞りがちだ。年休もさることながら、代休も溜まっている。だが今週は何かとバタバタしていてデスクワークも溜まっていたので、代休取得は難しいだろうと思っていたし、隼人もそう言っていた。 「うん。でも、緊急事態が起こったから」 「……はい」  琴莉の異動の件だ。琴莉の上司である隼人も今日いきなり聞かされるとは、よほど内密に進めたかったのだろう。普通なら上司が先に話を聞き、どうするのか相談されるのだろうが、隼人はその仕事が特殊なために、通常の手順は踏まれなかったらしい。 「僕が一番後に聞かされるってどういうことだろうね。一応琴莉の上司なのに」 「ですよね……」 「まぁ、組織的には琴莉の上司は恭子さんってことになってるんだろうけどさ」 「……」  そういうことなのだろう。そして、恭子は琴莉の異動を了承した。いや、推したのだ。隼人としては立場がないが、仕方のない部分もある。そういったこともあり、恭子は二人でよく話し合えと言ったのだろう。  鰆をパクリと口に入れ、咀嚼する。上手く出来たと思うのだが、いつもより味を感じない。琴莉の頭の中は、異動のことでいっぱいだった。 「隼人……」  そろりと隼人を窺うと、隼人はニッコリと笑う。 「うん、美味しい」 「……ほんと?」 「うん。アクアパッツァもだけど、ひじきとブロッコリーのサラダも美味しいね。僕、これ好きだからまた作って」 「はい」  料理上手な隼人に褒められると嬉しい。隼人が作った方がおそらくもっと美味しいのだろうが、隼人はいつもこうして惜しみなく賞賛の言葉をくれるのだ。だから琴莉もついついそれに乗せられ、張り切ってしまう。独身の頃はそれほどしなかった料理なのに、こんなに楽しいと思えるようになったのは隼人のおかげだ。 「そうそう、琴莉の代休も取ってきたから、琴莉も明日はお休みだよ」 「え? そうなんですか!?」 「当たり前でしょ? 夕食が終わったら家族会議だ」  悪戯っぽく笑いながらも、目が真剣だった。 「はい、よろしくお願いします」  ちょっと怖いなと思いつつ、琴莉はペコリと頭を下げる。隼人は満足そうに頷き、腕を伸ばして琴莉の頭を軽く撫でた。
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