第一章

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第一章

 真っ白な何色にも染まっていないキャンパス。    そこに新たな色を追加するとしたら、あなたは真っ先に何色をイメージするだろうか。  もし、あたしだったら……。  今、目の前にある真っ白なキャンパス。  それはいつも持ち歩いているスケッチブックで、それを広げて机の上に転がっていたペンを握りしめ、早速色をつけて行く。  今回は、カッコイイ男の子を描きたいな、なんて想像しながら。  頭の中で出来上がった構想になるように、  ただ、無心でペンを紙の上に走らせていく。  重なり合った前髪の毛先、しなやかな指、服のシワなど細かいところを書き込むのが、特に好きだ。  どんどんと構想通りに出来ていく絵に、期待感と高揚感が胸を満たす。  あと少し、というところでふわふわとウエーブのかかった肩下まである髪が目にかかって、手首につけていた水玉模様のシュシュで横にまとめた。  そしてまた、絵に取り掛かる。 「あっれー、くろえ、また絵描いてるの?」  後ろから元気な声が聞こえて、スケッチブックから視線を移すと、あたしの手元を覗き込むようにしているベリーショートの髪の女の子がいた。  彼女は尾崎 蘭ちゃん。小学校からの同級生で大親友だ。  黒のセーラー服から覗く手足は程よく筋肉を纏い長くすらりとしていて、美しい。この長身もあいまって、彼女は一年生にしてバレーボール部の有力なエースとして注目されている。  誘われて初めて試合を見たときは息をするのも忘れて見入ってしまった。  あの身体がしなやかに俊敏に動き、ボールを捉えて点数をもぎ取っていく様はまさに爽快で、夢中になるのに時間はかからなかった。  そしてあたしは、深瀬くろえ。  15歳の高校一年生。  趣味は絵を描くこと。  油絵具を使った油彩も好きだけれど特に好んでいるのはマンガやアニメのようなイラストだ。  ポップアート、言えばいいのだろうか。  最近はいかに男の子としての、女の子とは違った色気を出すか、それを工夫している。  パソコンソフトなどを使ったイラストもいいけれど、手軽にできるという観点からもっぱらあたしはアナログ派だった。  現に授業用のノートの片隅は落書きがいっぱいだ。  淀みなく動いていたペン先が止まった。 「でっきた!」 「おお、見せて見せて!」  出来上がった絵を嬉々として蘭ちゃんに渡すと、蘭ちゃんは口元を緩めた。 「なかなかカッコイイじゃん」 「でしょでしょ!」  どうやら、蘭ちゃんもこの男の子のかっこよさをわかってくれたらしい。  今回は長身で堅いが良い、目付きが鋭い、どっちかっていうとやんちゃ危険系な男の子を描いた。  前々から綺麗な顔してるけどワイルドな感じの男の子、挑戦してみたいと思っていた。  どこか気怠げで、どこか危うくて、そんな雰囲気の男の子。  身近にそんな人がいたことがないから想像でしかないのだけれど。  実際にいるかは別としてこういう人も、カッコイイと思うんだよな、と心の中でそう付け足す。  醸し出す雰囲気が一般のそれと違うだろう。誰ともなく目を引く存在感。そんなものが彼らには備わっている気がするのだ。  知らず知らずのうちにうっとりと自分の描いた絵を見とれていると、ため息が聞こえた。 「でもあたし、パス」  蘭ちゃんは真顔できっぱり言った。 「え!?なんで!?」 「だってあたし、落ち着いた大人カッコイイひとがいい」  きっとあたし耐えられない、と蘭ちゃんは顔をしかめた。  蘭ちゃんは年上好きだったね……。  優しくて頼り甲斐があって包容力のある大人の男性がいいらしい。  チャラい男は特に嫌い。  うまが合わないんだそうだ。 「あたしはカッコイイと思うんだけどなぁ……」  ポソリとぼやくと、蘭ちゃんは苦笑した。    「ほんっとくろえって、よくわからないタイプだよね」 「え?」 「だって、見た目も中身もふわふわ天然なのに、こんな危険系好きとか」  蘭ちゃんによく言われる“たまにくろえのこと理解しきれない”“不思議ちゃんだね”という言葉の数々。  あたしは普通に生きているつもりだけれど、そんなに変なことをしているだろうか。 「だって、こうなんというか外国の男の人みたいな雰囲気があってカッコイイじゃん!それにあたし、天然じゃない! しっかりしてるもん!」 「……そういうとこ」 「え!?」 「とにかく、くろえはこういう人に騙されやすそうだから、気をつけてね!」 「むぅ……」    そう念を押されて、誤魔化されて、蘭ちゃんは結局はっきりとは教えてはくれなかった。  ホームルームが終わるチャイムが鳴り響く。  教室内が一気に騒がしくなり、帰宅する人、部活へ向かう人様々だ。  あたしたち二人もそれぞれ部活に向かう準備を始めた。 「じゃあね、蘭ちゃん。部活頑張って!また明日!」 「おう!じゃあね!」  バレーシューズを片手に手を振る蘭ちゃんに手を振り返して、あたしは机の上に広げていたスケッチブックを掴み、教室を飛び出した。  セーラー服の赤いスカーフが、パタパタと顔に当たる。  階段を足早に駆け下りて、目指すのは美術室。  あたしは美術部に所属している。    休日にはないかわりに平日の放課後は全て部活動があるのだ。  早く。  早く美術室に行って、さっきの続きの絵を描きたい。  あの男の子の絵を、もっと。  蘭ちゃんと話していたら、もっと構想が膨らんできて、他のポーズも描いてみたくなった。  ドク、ドク、ドク、と鼓動がやけに大きく感じた。  昇降口にほど近い校舎の隅の壁にかかる美術室の看板。 「失礼しますって、あれ?」  中に入るとそこには誰もおらず、目に入ったのは教壇の上に堂々と鎮座するイケメン石膏像のカサエルだった。  カエサルというのは美術部員たちでふざけてつけた名前だ。  あとから意味を調べてみたところ、カサエルとは『長くて豊かな髪』という意味らしいが、この石膏像は髪はない。  他にもピエール、フェルナンド四世など部員の独特の感性と雰囲気で決めた名前が付けられた石膏像がガラスの戸棚の中に複数納まっている。  美術室の最前列の窓側、あたしのいつもの定位置である席に座る。  すぐ右隣は窓があり、その窓辺には、あたしが今まで折った色とりどりの折り紙がずらりと並んでいる。  絵を描くのももちろん好きだけど、同じくらい折り紙も好きなんだ。  きっと先輩方はホームルームが長引いているのだろう。  三年生は受験生などで連絡も多いだろうし。  普段絵を描くときはみんなで集まってわいわいとやるのがこの美術部の慣習のようなものになっていて、いつも大体人数が揃うまでは皆それぞれ別のことをしていることが多い。  あたしの折り紙もそんな暇つぶしも兼ねてやっていたため、結構な量が窓辺に並んでいた。  今日も折ろうかな。  鞄の中から薄めの紙のスケッチブックを取り出して、ページを破線で折り目をつけてからゆっくりと破った。  このスケッチブック、珍しいものみたいで、切り離すと紙の形が正方形なんだよね。  だから、折り紙折りたいときにすっごく便利!  今回は、スマホで折り方を見つけた“狼”。  勇ましい、四肢でその大地に立つ姿がかっこよくて。  サイトを見つけた時にすぐ折ろうとしたんだけど、そのとき手元に紙がなかったんだよね。  この狼も単純なものじゃなくて立体的になるもので時間がかかりそうだったし。  今は紙も時間もある。  折り方をすでに覚えていたあたしは、頭の中で完成型を浮かべながらどんどん折っていく。  一枚の紙からあんな複雑なものになるって、本当折り紙って不思議。  途中の過程じゃ何やってるのかわからなくなるし、投げ出したくなるけれど。  だからこそ、折り紙は楽しいって思うんだけどね。 「──できた!」  出来上がった狼を陽の光に透かす。  10分くらいかかっちゃったけど、無事に完成。  頭の中の想像図と同じ。  掌サイズの小さな白色の狼。  よかった。  机の上に置いて、しげしげとそれを見つめる。  大地を雄々しく踏ん張る四肢。  とんがった鋭く大きな耳。  シャープな顎先。  本当、狼ってカッコイイなぁ……。  一度、柵越しなんかではなくて会ってみたい。  そしてあのもふもふの毛を撫でて顔を埋めてみたい。  でも、日本って狼は絶滅しちゃったんだよね?  今日本の動物園とかにいるのは外国の狼のなず。  狼犬なんていう、狼と犬を掛け合わせたのならいるって聞いたことがあるけれど、狼犬を飼っている人なんてそうそういないだろう。 「じゃあ、もふもふできないかぁ……」  残念だなぁ、と独り言をこぼす。  そして、今手元にある狼に目をやった。  この紙狼が、動いてくれたら、なんて。 「まぁ、ムリだよねぇ~……」 「キャン!」 「へ?」  鳴き声?  甲高い鳴き声は、犬のもののようだ。  どこから?と辺りを見渡すけど、犬らしきものはここにはいない。 「キャン!キャン!」 「どこ~!?」 「キャン!」 「へっ?わっ!」  鼻先にぶつかるようにして、目の前に何かが飛び出してきた。  これ……。 「あたしが折った折り紙の狼!?」 「キャン!キャン!」  あたしの言葉に返事するように、紙の狼はその小さな身体を精一杯動かして嬉しそうに吠えた。  う、動いてる……。  ウソ……。  なんで動くの?  なんて疑問が脳裏を過ぎったけど。  あたしが狼に会いたいとかいったからかな。 「そうなの?」 「キャン!」 「そうなんだ……」 「キャン!キャン!」 「じゃあ、名前つけなきゃね!」  そうだなぁ……狼につける名前……。  狼……狼……。 「──ロボはどう?」 「キュン?」 「“ロボ”って、どこの国かは忘れちゃったけど、そこの国の言葉で“狼”って意味なの。ピッタリでしょ?ロボ」 「キャン!」  嬉しそうにロボは鳴いた。  それを見たあたしは微笑みを浮かべた。 「じゃあ、これからもよろしくね、ロボ」 「ウォン!」    ロボは、返事がわりにさっきよりちょっぴり低い声で鳴いた。 「それがさー……」  そのとき、廊下の方から声が聞こえてきた。  慌てて、ロボを手の平で包む。  ロボは手の中で暴れる。  けれど、紙だからか、痛くもない。  力を入れたら、クシャリと歪んでしまいそうで怖かった。  ガラガラ、と美術室のドアが勢いよく開いた。 「あ、よーす。 深瀬。 来てたんだな」 「あ、部長!」  元気良く入ってきたのは、部長の浜北先輩だった。  肩の高さで切り揃えた黒髪と、スカートの下に履いたジャージが印象的で、見た目は意外と運動系だけど、彼女は彫刻の天才的な才能を持っていた。 「ロボ」    コソリ、とロボに話しかける。 「部活が終わるまで、ここにいて」  ロボをセーラー服の胸ポケに入れる。 「静かにしてるんだよ」    暴れていたロボだけれど、話しかけるとロボはおとなしくなった。  しばらくして、ぽつぽつと部員全員が集まり、いつも通りの部活が始まった。  部活が終わるまでロボはピクリとも動かなかった。 下駄箱に寄りかかり、外に目をやる。 夕暮れは、空を鮮やかに朱く染めていて、惚れ惚れと見入ってしまう。 この風景、いいなぁ。風景画も描きたいなぁ……。 ぼんやりとそんなことを考えていると、パタパタと足音がしてきた。 靴箱の向こうから、ひょっこりと黒髪ベリーショートの頭が飛び出した。 「ごめん、くろえ。 待った?」 「ううん、あたしも今部活が終わったところだから大丈夫。帰ろっか」 蘭ちゃんとは、部活終了の時間が合う日はいつも一緒に登下校している。 「今日の部活は、先輩たちのチームに勝ったんだ!」 「へぇ、すごいね!さすが蘭ちゃん!あたしも見たかったなぁ……」 蘭ちゃんのスパイクフォームは、女のあたしでも惚れ惚れしてしまうくらい美しい。 うっとりとその情景を、想像し、膨らませるあたしを見て、蘭ちゃんは苦笑した。 「またやるときにね、そのとき呼ぶから」 「わぁ、ありがとう!」  それから、たわいもない会話をしていると、いつの間にか家についていた。 「じゃあね、くろえ」 「うん、また明日!」 あたしの家の前で別れを告げると、蘭ちゃんはすぐに駆けて行った。 蘭ちゃんの家は、あたしの家の斜め前にある。 保育園からずっと一緒だし、大切な幼馴染だ。 蘭ちゃんを見送ると、あたしも家に入る。 両親は共働きだから、外が暗くなるまで帰ってこない。 お父さんは、サラリーマン。 お母さんも病院に看護師として勤めている。  あたしは部屋に戻ると、今日の数学の復習、明日の英語の予習をパパッと終わらせた。 そして、お風呂をため、夕食の準備に取り掛かる。 両親は、夜遅くにならないと帰ってこないため、夕食を作るのはあたしの仕事になっていた。 朝も夜も自分で全てやらなければいけないのは、学校が遅くなった時、体調があまり優れない朝など正直辛い時もある。 けれども、両親が忙しいことに変わりはないし、仕方がないことだということは重々承知の上だ。 それに自分で食べたいものを作れるようになっているので、それほど苦にはならない。 今日は何作ろうかな……そういえばこの前見てたテレビに出てたオムライス、美味しそうだったなぁ……。 洗ったばかりの手を拭きながら、冷蔵庫を開ける。 中に入れる材料は……揃ってるし、卵もこんなにたくさんあるから、ちょうどいいや。 それらの具材を取り出すと、幸いレシピも覚えていたので、早速調理に取り掛かった。 「できた!」 ふわふわに仕上がった玉子をケチャップで炒めたご飯の上に乗せる。 そして……そぉっとナイフを玉子の上に走らせれば、黄金色の玉子はゆっくりと左右に開き、とろりとバターライスの上に広がった。 一度はやってみたいと憧れていたこのオムライス! 初めてにしては上手くできた! 両親の分はラップをかけ、冷蔵庫にしまってある。 「いただきます!」 自画自賛だけれど、美しく仕上げられたオムライスは、味もとても美味しくて、また作ろうと思えるものだった。 お皿を洗って拭いて片付けて、お風呂に入って髪を乾かし、部屋に戻る。 扉を開けた途端、花束のような香りが部屋いっぱいに広がった。 あたしの使っているシャンプーの香りだ。 ふわふわと香るこの香りはお風呂上がりには一際目立つ。 甘さの強すぎる香水などの匂いが苦手なあたしの唯一好きな香り。 香水なんて使わなくても、十分いい匂いはする。 クラスメイトの女の子たちがよく香水を使っているけれど、逆にシャンプーの匂いや柔軟剤の香りと混ざって気持ち悪くならないのかな?と心配だ。 時計を見れば、まだ9時半と寝るには少々早すぎる時間だった。 明日の学校の準備もやった。 体操着も用意したし、タオル、日焼け止めもばっちり。 何か他にやることあったっけ? その時、頭に浮かんだのはロボのこと。 そういえば、制服に入れっぱなしだった! 慌ててハンガーにかけてある制服の胸ポケットを探ると、モゾモゾとそれは動いた。 「ごめんね……閉じ込めちゃってて……」 「ウォン!」  律儀にあたしの言いつけを守って今までずっとおとなしくしていたらしい。 手のひらに乗せれば、あたしの心配とは裏腹にロボは元気そうに尻尾を振り、吠えた。 心の底から安堵したことで、あたしはずるずるとベッドに寄りかかるようにして床に座り込んだ。 「ロボ、寝るまであたしの話し相手になってくれる?」 「ウォン!」 本当にあたしの言葉を理解しているかのように元気に吠えてくれたので、思わず口もとが緩む。 なんだか、友達ができたみたい。 「あたしね、絵を描くのが好きなんだ。あと、折り紙を折るのも」 そう言いつつ、机に置いてあった黄緑色の折り紙を手に取ると、折り始める。 するとロボはテコテコとあたしの手元に歩み寄ってきて、その様子を(本当に目があるのなら)キラキラとした目で見ているようだ。 数分も経てば、たちまちカエルが出来上がる。 「友達だよ〜」といってロボのそばに置いてやれば、ロボは匂いを嗅ぐような仕草を見せた。 そういえば狼を折り紙で作ったら、ロボができたんだよね……。 不思議だなぁ……。 折り紙って、動くんだ……。 「っそういえば、絵を描くのが好きって言ったでしょ? ロボと会う前にも、絵を描いてたんだ。見たい?」 「ウォン!」 「じゃあ、見せたげる」 ロボに見せようとしているのは、教室で描いていたあの男の人の絵だ。 鞄から、あのスケッチブックを取り出すと、開きグセの付いている真ん中の辺りを爪を差し込んで、迷うことなく開いた。 「……あれ?」 ……ない。 あの男の人の絵がない。 どうして⁉︎ 確かに、ここに描いたのに! 顔を上げると窓に困惑顔のあたしが映る。 その時、突然その顔を醜く引き裂くように白い大きな亀裂が生じる。 「きゃあ!」 驚きのあまり立ち上がれば突然、なんの前触れもなく、部屋の窓ガラスが吹き飛ぶようにして粉々に砕け散った。 何? 何が起こっているの⁉︎ 本能的に頭を庇った腕にパラパラと粉末と成り果てたガラスの雨が降り注ぐ。 さらに割れた窓から、今の季節にしては冷たい風が吹き込んでくる。 しかも、その風は尋常じゃない。 「っ……!」 まるで部屋の中に、竜巻があるみたいだ。 目も開けられないほどの風の中、あたしはロボを握りしめることしかできない。 しばらくすると、ようやく風が止み、気がつけば部屋の中がこれまでにないくらい荒れていた。 本当、なんだったんだろう……。 衝撃のあまり、その言葉しか脳裏には浮かばず数分間立ち尽くしたものの、ぼんやりと考えていても身体は冷えるし部屋は汚いしで時間の無駄なので、まずは部屋の掃除に取り掛かった。 「何が起こったんだろうね、ロボ」 ガラスの破片の片付けも終わり、窓は雨戸を閉めているだけというなんとも無様な状態だが、なんとか風を防ぐことに成功し、放心状態で呆けていると、ぽろっと疑問が戻ってきた。 その言葉を聞いたからなのか、ロボは突然激しく吠え出した。 キャンキャンなんて、甲高い可愛らしいものじゃない。 ギャンギャンといった途中で唸るような重低音も入り混じる、まるで大型犬が吠えているかのような凄まじいものだ。 「何? 何て言っているの?」 狼の言葉なんて、わからないのに、あたしはロボに顔を近づけた。 すると……。 勢い余ってロボの紙の鼻先が、あたしの唇と触れ合った。 「んっ⁉︎」 突如巻き起こる、先ほどより柔らかで暖かな風。 キラキラと、何かが蛍光灯に反射していて眩しい。 驚愕のあまり、目の前の出来事を信じられずにいた。 「ふー……ようやくか」 〈彼〉は、あたしから顔を離すと、その首筋にかかる輝く白銀の髪をうざったそうに片手でかき上げた。 手が、声が震えてしまう。 「あ、あなたは誰……?」 そう自分で問いかけたのに。 この人を、あたしはなぜか知っている。 見たことがある顔だ。 柳眉は逆立てられ、鋭く尖った二つの瞳は翡翠色だ。 首筋にかかる襟足が長めの白銀の髪は前に流されている。 スッと通った鼻筋の下に位置する形の良い唇は、不満げに歪められている。 あたしが知っている顔とは別に、この人はとても不満げだけれど……間違いない。 間違えるわけない。 そう、この人は、あたしがスケッチブックに描いたあの男の人と瓜二つ……! まるで紙から抜け出してきた絵のような美しさ。 そういえば、ロボは? ロボはどこに消えたの⁉︎ 見渡しても、掌の上にいたはずのあの紙の狼は見当たらない。 キョロキョロしていると、男の人は口角を上げながら言った。 「お前が〈主従の契約〉をしてくれたんだろう?くろえ」 どこかまだ高いような少年のようで、けれどもあたしとは全く違う男の人の声だ。 なんであたしの名前を……? 「それに、〈主従の契約〉って……」 何のこと……? 突然のことに、頭がついていかない。 えーと、突然風が吹いて、ロボが吠えたと思ったら、また風が吹いて、この男の人が現れて……。 ……ん? ……なにかが抜けてる……? 考え込んでいると、男の人は髪をガシガシとかいた。 「まぁ、詳しいことは後だ。 まずは、自己紹介といこうか。俺は、ロボ。紙術師(しじゅつし)であるくろえ、お前から命を貰い受け、主のために仕える〈式〉だ」 「…………ロボ?」 そういって嬉しそうに微笑むその彼の頭とお尻に、真っ白な耳とふさふさの尻尾が現れた気がして、慌てて瞬きをすると、一瞬でそれはかき消えてしまう。 この人が……ロボなの……? 何やらあたしの目の前で不思議なことが起こっている模様です。
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