第二章:黒みつ団子と青い瞳のフランス人形

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 でも、その通りなのかもしれない。今、私は試用期間で。役に立たないとなればクビにされる。この期間に、私がこの仕事に向いているってことを示さなきゃ。そうじゃなきゃまた……。 「頑張ります!」  勢いよく返事をして襖に向き直る。  まずはどうにかして中に入らなくちゃいけない。  恐る恐る襖に手をかけると、以外にもすんなりと開いた。 「し、失礼します」 「……何。あなたもさっきの男みたいに私を送りに来たっていうの?」  警戒しているような口調に、まずは心を開いてもらわなければと私は咳払いをする。少し落ち着いた口調で、それでもって安心してもらえるような柔らかい声で。  これはクレームの電話がかかってきたときにやっていた私なりの対処方法だった。相手がこちらに対して怒っていたり不満を感じていたりするときは、とにかく落ち着いてもらう。深呼吸一つしてもらえたら儲けものだけれど、なかなかそれは難しいからとにかくゆっくりゆっくり話す。すると、相手もつられて気づけば呼吸が深くなっていたりするのだ。 「ううん、違うよ。私はあなたと話がしたくて」 「話?」  私の言葉に反応する。瞬間、纏う気配がほんの少しだけ揺らいだ。想像もしてなかった言葉に、興味がわいたのかもしれない。  今がチャンスだ。   「そう。ね、中に入ってもいいかな?」 「……いいわよ」  まだ口調は固い。でも、部屋に入ることを拒絶されなかったから少しは受け入れてくれたんだと思う。  一歩、また一歩と人形に近づく。あと少し伸ばせば手が届く、というところまで来たとき、急に人形の感情が真っ赤に染まった。  今はここまでだ。  これ以上先は、彼女の中でまだ私に対しては踏み込ませることができない領域なのだと、そう判断して私は足を止めた。 「私の名前は夏原 明日菜。あなたは?」 「……おじいさまは私をロアンって呼んでたわ」 「そっか、私もロアンって呼んでもいいかな?」 「……お好きにどうぞ」  言葉は冷たいけれど、その口調は思ったよりもキツくなかった。もしかしたらおじいさんのことを思い出しているのかもしれない。  でも、おじいさんというのは誰のことだろう。もしかして、この人形の持ち主のこと……? 「ありがとう。じゃあ、ロアンって呼ばせてもらうね。ね、ロアン。あなたに名前をくれたおじいさまって誰のこと?」 「おじいさまは――バスチャンは私を作ってくれたの」 「バスチャン、さん?」  聞き慣れない名前に首をかしげる。ここの家の人は中村さんのはずだ。おじいさんからこの家を継いだと言っていたからもしかしたらそのおじいさんが外国の人という可能性もあるけれど……。  柘植さんを振り返ると、私が言いたいことがわかったのか首を振っていた。と、いうことはきっとここの家のおじいさんのことではないのだ。じゃあ、バスチャンさんとはいったい? 「あなた変わってるわね。今まで誰も私の話なんて聞きたいとなんて言わなかったわ。でも、いいわ。教えてあげる。特別よ? おじいさまはね、私のことをずっと大事にしてくれてたの。可愛いって言ってくれてまるで本当の娘のように愛しんでくれたわ」  そんな私の疑問なんて気にもならないように、目の前の人形――ロアンはバスチャンさんの話をする。心なしか嬉しそうに見えるのは、もしかしたらこんなふうにバスチャンさんの話を誰かにしたかったのかもしれない、 「バスチャンは他の子たちみたいに私を売りに出すことはなかったわ。海の見える家でいつだって私たちは一緒だったのよ」  海の見える、家?  私はロアンの言葉に引っかかりを覚えた。  おかしい、ここは京都だ。そりゃあ北部の方まで行けば海に面しているからそういうこともあるかもしれない。けれどここは京都府京都市、周りを他の市に囲まれた内陸の地だ。川はあっても海なんてあるわけがない。 「ね、ねえロアン。聞いてもいい?」 「……なあに?」  バスチャンさんとの思い出を語っている最中に私に横槍を入れられてロアンの周りに一瞬、不機嫌な雰囲気が漂う。 「うっ」  その雰囲気に怯みそうになる。「なんでもないです」と、間髪を入れず言ってしまいそうになる。だってきっとロアンはおじいさまの話をもっと聞いてほしいと思うから。今まで誰にも話せなかったおじいさまの話だ。こんなにも嬉しそうに語っているのを邪魔して不機嫌になってしまったら……。 「あ……」  そこまで考えて、私はテレオペ中に電話の向こうでお客様が不機嫌になったときのことを思い出した。空気を読んで、といえば聞こえはいいけれどお客様の嫌がることをなるべく言わないようにしていた。でも、それはお客様のためじゃない。私自身がお客様から罵倒されたり小言を言われたりしたくなかったからだ。
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