第一章:再就職先はわけあり古民家謎の店

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 他の人たちは仕事をしているふりをしながら何度も視線をこちらへ向けてくるのがわかる。でも、口を開けば泣いてしまいそうで必死に唇をかみしめると私は机の中の物を片付けた。社外秘の物は持ち帰ることはできない。シュレッターにかけるものと私物を分けると鞄の中にそれらを詰め込む。パンパンに膨らんだ鞄を手に、私はオフィスをあとにした。 「お世話になりました」    震える声でそう言いながら頭を下げて。  ああ、でも思い出しただけでも悔しくて涙が溢れそうになる。でも、たしかに部長の言うとおり成績を取ることができなかったのは事実だ。気にしていないわけじゃなかった。  でも、お客様に電話をして話を聞いているうちにどうしてもその人に勧める気になれなかったり、いらないと言われてしまうとたしかにそうですよね、と思ってしまった。先輩や課長はもっと強引にグイグイ取りにいかなきゃっていうけれど、本当にその商品をほしいと思っていない人に押し売りのような形で売りつけるのが正しいのか、私にはわからなかった。  溢れだした涙が頬を伝うのを隠すように寝ているふりをして俯く。二駅、たかが十分ほどの距離がやけに長く感じる。帰ったらとにかく仕事を探さなきゃ。  チラッと見た解雇通知書には一ヶ月分の給料が出ると書かれていた。なので猶予は一ヶ月。それまでになんとしても再就職しなければいけない。気持ちも頭も重くなる。重く……。 「っ……あれ?」 ふと気づくと電車が止まっていた。淡路駅に着いたのだろうか? それにしては停車時間が長いような――。 「って、嘘。河原町!?」  顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、ホームに書かれた『京都河原町』の文字だった。まさかいつの間にか眠っていて降りるはずの駅を寝過ごしてしまった? でも河原町って終点だし、いくらなんでもそこまで一度も起きなかったなんてことがあるはず……ないと言い切れないのが辛いところだ。 「とにかく降りなきゃ」  慌てて電車からホームに降りると私は久しぶりに来た京都にソワソワしてしまう。阪急京都線に乗れば一本で着くとはいえ、私の住む茨木からだと大阪に行く方が近い。そのため特別何か用事があるときじゃなければ京都まで来ることはなかった。仕事をし始めてからは余計に、だ。そのせいか距離的にいえばそこまで遠いわけじゃないのに、なんとなくアウェイな感じがする。  けれど、だからこそ気持ちも紛れるかもしれない。  私は小さく頷くと、乗り越し精算をして改札を出て、京都の街へと飛び出した。  せっかくここまで来たんだから、美味しいと評判の抹茶のパフェを食べて帰るのもいいかもしれない。それとも生クリーム増し増しのパンケーキにしようか。あ、でもこの前テレビで見たきなこのアイスクリーム屋さんもいいかもしれない。休日は凄い人だと言っていたけれど、平日のこの時間ならそこまで混んでいないだろう。そうと決まれば出発だ。 「それにしても、いい天気だなあ」  京都河原町を出て辺りを見回すと、右手に橋が見える。四条大橋だ。  目的地は決まったはずなのに、なんとなくふらふらとそちらに向かって歩いて行く。人がいるとついつい混ざりたくなるのはなんなのだろう。  修学旅行生や海外からの観光客に混じって橋から川を見下ろすと、眼下に鴨川が、そして河川敷には等間隔に座るカップルが見えた。 「いいなぁ」  思わず口をついて出た言葉に、慌てて両手で口を押さえる。幸い、周りの人は知り合いでもない私のことなんて気にもとめていないようでホッとする。恋人どころか職さえも失ってしまった私には、鴨川の河川敷に座っている人たちがキラキラと輝いて見えて、無職となった自分自身が余計に情けなくなってしまう。   「はぁ……」    ため息を一つついて、私は河川敷のカップルを尻目に四条大橋を渡りきった。このまままっすぐ行けば有名なお茶屋さんや八坂神社があるけれど、そちらに行けばここよりさらに観光客で溢れていることは想像に難くない。別に観光したくてここにいるわけじゃない。  私は人の流れから外れると、そのまま左に曲がり鴨川沿いを歩き始めた。  鴨川を見下ろしながら食事ができるようになっている床がある向こう側と違い、こちらは街路樹が立ち並ぶ歩道で、観光客の姿もそう多くはなかった。相変わらず日差しは厳しかったけれど川からの風と街路樹の影が心地いい。  そのまましばらく歩き続けた私は、何の気なしに途中の路地を右に曲がった。そこには京都といわれてイメージするようないわゆる古民家が建ち並んでいた。古美術商や昔ながらの散髪屋さん、そのほかたくさんのお店が並ぶ中にそのお店はあった。   「ここ、何屋さん?」  
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