第二章:黒みつ団子と青い瞳のフランス人形

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 お店の前で立ち止まったまま考え込んでいた私に、突然目の前に現れた柘植さんが声をかけた。柘植さんは今日も昨日と同じく、真っ黒の着物に昨日より少し薄い灰色の羽織を着ていた。 「お、おはようございます」 「おはようございます、じゃねえ。今何時だと思ってるんだ」 「え? 今って――あっ」  考え込んでいるうちに思ったよりも時間が経っていたようだ。左腕につけた腕時計を見ると、九時を五分ほど過ぎてしまっていた。 「さっそく遅刻か」 「すみません!」 「働く気がないなら帰ってもらってもいいぞ。昨日の書類は置いてな」 「働きます、働かせてください。もう二度と遅刻なんてしませんから」 「……今日だけだからな」  許してもらえたことにホッとして、お店の中に入っていく柘植さんのあとを慌てて追いかける。  それにしても、口では厳しいことを言っているし怒っているはずなのに、やっぱり柘植さんから感じられる色は驚くほどに白い。どういう育ち方をしたら、こんなに心穏やかにいられるのか教えてほしいほどだ。 「あら、明日菜。やっと来たのね」 「詩さん、おはようございます」  玄関で靴を脱いでいると、奥からあくびをしながら詩さんがやってくるのが見えた。今日も毛並みはつやつやで、真っ白な身体には汚れ一つなかった。 「おはよう。あんたね、さっさと来ないから悠真が心配してたのよお。どこかで事故にでもあったんじゃないかって」 「え?」 「おい、余計なことを言うな」  奥の部屋から顔を出した柘植さんは詩さんを睨みつける。けれど、詩さんは何でもないようにふふんと笑った。 「何よ、本当のことでしょう? あたしが今の若い子だから面倒になったんじゃない? って言ったら『そういうやつには見えなかった』って言ってたじゃない」 「柘植さん!」 「そいつの聞き間違えだ」  ぶっきらぼうに言うと、柘植さんは奥の部屋に引っ込んでしまう。  でも、さっきまで真っ白だった柘植さんの感情に、ほんの少しだけピンク色が混じっているのを感じて嬉しくなる。 「ピンク。……もしかして照れてる?」 「あら、よくわかったわね」 「なんか感情が乱れたのを感じて」 「へえ? おもしろいこと言うじゃない。さっきのピンクっていうのは?」  思わず呟いてしまったことを聞かれたらしい。今までこの話をして信じてくれた人はいないからどうせ、と思ったけれど喋る猫の詩さんならもしかして、そう思って上がり框に腰を下ろすと詩さんが隣にちょこんと座った。 「感情の色が見えるんです。柘植さんは昨日もさっき会ったときも真っ白だったのに、詩さんの話を聞いた瞬間に薄らとピンク色が混じって。だからもしかしてって思ったんです。ピンクは照れや恥じらいを表す色だから」 「へぇ、あんた面白いこと言うじゃない。感情が色で見える、ね。昨日の一件も、その能力のおかげ?」 「純太君ですか? おかげ、というかまあでもそんな感じです。不安がってるのとか怖がってるのがわかったんで、なるべく恐怖心を取り除いてあげたいってそう思って。私に対して不信感とか不安を抱いていると素直に話すこともできないと思ったんです」 「あんた凄いわね。悠真、いい拾いものをしたわね」  振り返りながら言う詩さんにつられてそちらを向くと、腕組みをしたまま柱にもたれかかりこちらをジッと見つめる柘植さんの姿があった。  先程見えたピンクが混じった感情はもうどこにもなく、どこかホッとした。柘植さんの発するこの真っ白な感情は心地いい。できれば他の色など混ぜずにずっとこのままでいてほしいとさえ思ってしまう。 「いい拾いものかどうかがわかるのはこれからだろ。詩、奥の部屋にいくつか人形を放り込んである。頼んだぞ。おい、明日菜」 「は、はい」 「お前は俺と来い」 「どこに行くんですか?」 「賀茂御祖神社近く」 「かもみ……なんですか?」 「賀茂御祖神社。通称、下鴨神社」  聞き慣れない名前に首をかしげると、有名な神社の名前を柘植さんは口にした。  下鴨神社なら知っている。パワースポットとしても有名だし、銀閣寺や平安神宮、それに京都市動物園も近かったはずだ。 「と、いうことは下京区の辺りですよね」 「よく知ってるな」 「これぐらい常識ですよ」  得意げに言う私に、柘植さんは細めた目をこちらに向けた。 「どうせ昨日の帰りにでも京都の観光ブックを買って調べてたんだろ。仕事帰りに寄れるところはないかな、とか言って」 「どうしてわかったんですか!?」 「本当に単純なやつ」  また顔に書いてあったとでも言うのだろうか。頬に手を当てると呆れたようにため息を吐いた。 「これ持て。行くぞ」 「あ、待ってください」
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