死への衝動と生への諦念

1/1

17人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
私は、ハッピーエンドが大好きだ。 だからこそ、読むのも書くのも、いつも必ずハッピーエンドと決めていた。 それは何故か。 答えは、現実世界がとかく生きづらいからだ。 ネットニュースを見ても、Twitterを見ても、 日々見たくもない言葉が無数に飛び込んでくる。 他人の思考や価値観を否定する言葉。 誰かを罵る言葉。 正直、もううんざりだ。 私にとって、言葉は幸せを紡ぐためのものだった。 言葉で様々な情景や心情を表すことが好きだった。 けれど今は、見通しの立たない現実も相まって、言葉が全て素通りしてしまうようになった。 相次ぐ芸能人の訃報にも、驚きや悲しみと同時に、大きな虚しさを覚える。 心の中にどんどん暗い穴があいていくような感覚。 『死にたい』は一種の衝動であり、その瞬間踏みとどまることが出来れば、一旦冷静になる余裕が生まれる。 けれど『生きていてどうなるんだろう』という生への諦めは、ひたすら深い穴に落ちていくようなもの。 今の私に、創作をする価値は微塵もない。 これは単に、私のつまらないプライドだ。 私にとって、人が楽しく幸せな気持ちになれない物語を綴ることに、意味はないのだ。 『死にたい』とは思わない。 でも『生きていたい』とも思わない。 まだ守るべきものがあるから、どうにか生きているだけ。 何かがプツリと途切れたときは、きっとそこが私の限界点なんだろうと思う。 結局、私という人間は、死ぬまで無責任で我儘なのだ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加