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アザレア、モモ、ハナキリン
※
気怠い正月を終え、四日目には毎年のことながらの多忙が始まった。そこからは冬ならでは、この季節ならではの不幸続きで気が休まる暇もなくなる。毎年のことながら、多いのだ。正月の料理や帰省や冬休みや、そういったもので葬儀屋もフル回転になる。
この冬は寒いがそのお陰か路面がまだマシだった。去年の今頃は本当に酷かった、事故関係の葬儀が続いて、その層もまた若かった。その中に、信じられないものも見てしまった。始まりもしなかった、望んだものの終わり。
当初もほんの数か月前すらも、その時と同じこの月をどう過ごしていけば良いのかと落ち込んだ。その瞬間に考えていなくとも同じ月が来てしまえば視界に入るものも全て同じになった。考えていなくても考えないわけも、思い出さないわけもない。
一月が終わった、年始の忙しさもほんの少し和らぎ、星の仕事も落ち着いた頃。けれどもう一日だけ、会う日を伸ばしたかった。
二月に入ってすぐに星に連絡をして、暇な日と埋まっている日を照らし合わせた。
この日だけは悪いおじさんに一度戻って、〝その日〟にはけして会える時間はないという印象を強く与えた。もう、殆ど誘導だ、「じゃあ別の日に必ず会おう」と決めて〝その日〟には気を向かせないように。
そうして二月の九日、去年最も落ち込み、最も傷ついた日。今年、最後にこの日を考える日。
去年の夏には既にこの日の休みをいれて万全に挑んだ。仕事は勿論ないが早くに起きて、前日に用意しておいた供物もまとめてテーブルに置いてある。後は仕事さながらにスーツに袖を通してコートを着るだけだ。ただし今日は、喪服の黒に。
雪は降らなかった。一日明けた車に乗り込んでも震えあがる程の寒さもない。ほんの少しの暖気を終えてすぐに発進出来た。
仕事柄迷うこともない。街の外れの山の上、海が近く、その場所では遠くまで広がる海が望めた。十数年前からカモメが供物を荒らす被害から花以外を置いていくのが禁じられていて用意した供物は花と酒、好きな銘柄も知らない、出会った場所で飲んでいたものを一本、用意しただけになった。
駐車場には他の車はない。こんな季節外れでは、自分以外にいるはずもなかった。
四十九日も同じ会館で行われてその際に友人であることを告げた時、彼の両親は快く墓の場所を教えてくれた。友達に見送ってもらえたなら、とは言ってくれたものの、恐らく言わせてしまったのだ。彼らがそう言う前に、確かに自分が泣いていたからだ。
通夜にも四十九日にも派手な頭の色が沢山参加していた。とにかく仲間も友人も多かったのは知っていたが、そんな派手な彼らをきちんと静かに並べておけるだけ、その存在も大きかったのだろう。
メモに残した墓の場所へ進める歩は、思っていたよりは軽いが、それ以降に考えていたよりは重かった。もっと、気楽に行けるものかと考えていた。
墓地の上空にはカモメが飛び交っている。もしかしたら正月明けで来た遺族がなにかしらの供物を残して帰ってしまったのかもしれない。なにかを咥えて、飛び去った。
六列目の、十二個目、目的地まで後一列。そこでまず一瞬の違和感を覚えて、六列目に差し掛かって息を飲んだ。
この場には似つかわしくない、毛並みの良い派手な頭が墓の前で屈んでいる。
サイズの大きなパーカーと同系色の明るい髪。そのパーカーの中で体が泳いでいることも、知っている。
――そういうことか、思ったよりも多くのことに、納得がいった。
「遅かったね」
なんのこともないように、星は墓の前に屈んだまま顔だけをこちらに向けた。それはこちらにもだが、悪びれる様子も、なにもない。
「生真面目な一也君はもっと朝早いと思ってた」
「……星」
「あ、やめて、重い感じで話しかけないでメンドクサイから」
立ち上がりの反動のまま右手をこちらに差し出して、それ以上、と次ぐ言葉を止めた。
「言ったでしょ、何回か会ってるって。先に見たのは俺の方だって」
「……一年前でか」
「そう。悪いのは全部コイツ」
星の視線は墓石に向けられ、珍しく、どこか呆れたようにため息を吐いた。
「俺はこの人の恋人の一人でした。でもこの人は節操がなかったので俺もその内の一人ということでした。なのに当の本人は冬に車で騒いで事故って死にました。その葬式で俺は一也君を見ましたっていうのが真実」
話し始める前に星がため息を吐いた意味が大いに分かった。まして同じだけ大きなため息が、自分の肺からも出ていった所だった。ただただ、無意味に頷くしかない。
「俺は知っててそうだったけど。通夜の時、葬儀屋の人が泣いたのを見て、ああこの人もかって思った。俺もコイツも地元ここだし、そら地元にもいるよね。他にも俺の知らない人が沢山出てたし、なんか俺よりずっと泣いてるし、あああれもか、こいつもかって。でもまさか、ああ、いいなって思った人にも手を出してたなんて思ってもないし、いやまじかとも思ったし。そもそも本人の通夜の席でいいなって思える程、俺もコイツから離れてたんだなとか、なんか滅茶苦茶考えたけど」
サイズが大きくてダボつく袖を振って星はよくわからない身振り手振りで話を進めた。
「だから、……人はすぐに死ぬだろ? だから、やりたいことも言いたいことも聞きたいことも、全部思った時にやらなきゃ、明日生きてんのが絶対なわけでもないし。……だから、なに? コイツが遺したヒサンなもの見て、なんかそう思ったんだよ」
星が時折達観したような言い方をしていたのはこの所為かと納得した。捉えようによっては刹那的ではあるが、きっと、星にはそう、考え込んだ時期があったのだろう。自分よりももっと、深い所で。
「……でも、もっとどうにかならなかったのか」
「出会いなんて綺麗なもんじゃないって言ったろ。……本当に全然綺麗じゃないんだけど、怒ったなら、殴ってもいいよ」
「……」
「……」
「好きかどうか言えっていったのもこれのことか」
「まあ、そう」
「神社の前のもそういうことか」
「そんな感じ」
「……」
「……」
「これなんだかわかるか?」
「花」
「そう、別れの花」
「え」
「お前のじゃねえよ受け取んな」
見せる為に差し出した供花を受け取ろうとする星の手から花を遠ざけ、墓の入口を占拠するような体も押しどけた。たった一輪では対にもならず、墓に備え付けの供花入れには入れず手前に置いた。
一年経って漸く、きちんと気持ちを向けることが出来た。きちんと身構えて、送り出す為に。
合わせた手の先にあるものは無機質な分あの日のような衝撃もない。いっそ、この状態で再会してしまえばよかったものを、どうしてわざわざ自分の元に来てしまったのか。
地元が同じ話などするべきではなかったのか、会った店に出入りしなければよかったのか、その時、車で一体誰に会いに行き誰に会って帰る予定でいたのか、いらぬことまで考え尽くした。
けれど、そのどれも自分が考えるべきことでもなかったことは、今ではもうわかっている。星の言った通り、彼は気が多かった。星も自覚がある通り、自分自身もそうだった。
しかし、なんということか。
「……やってらんねえなあ……」
「俺はもうそこからは脱してるから、どうとも」
「こんなことってあるか?」
「お互い同じ人間に遊ばれた挙句一番でもなく、結果こう」
「その言い方にだけはしたくねえんだけど」
「でも葬式には俺の知らない恋人さんが大勢いたよ、え誰こいつっての」
「俺もその一人か」
「言ったじゃん。俺が先に見てたんだよ」
ため息の弱すぎる反動では立ち上がり切れず、まるで年寄のように自分の膝を使って体を起こした。コートのポケットの中には酒が入ったままだが、もう、出してやる気にもならなかった。
「……あの中にいたのか」
「いましたー」
「派手な頭ばっかで見分けなんかつかなかったな」
「二回目の時は滅茶苦茶しっかり俺のこと見てたくせに」
「お前が見てたんだろ?」
あっさりと墓を離れたのが意外だったのか、星は墓と自分を何度か見比べた後について来た。あんなに重かった足も、今ではなんだかしょうもない。なんとも言えない気分で表し難いが、なにか、〝損〟をした気分だった。
「ねえ、花、いいの? 持って帰って下さいって書いてなかったっけ?」
「花はいいんだよ。食い物飲み物はお持ち帰り下さいなんだ」
「ふうん」
「そう」
「別れの花?」
「そう」
「黒いから?」
「黒いチューリップだから」
「なんなのその少し乙女な考え」
「職業柄」
「ちょっと気持ち悪いわ」
感傷たっぷりで進んで来た道も、二人で戻るとあまりにも短い。なんだか、この一件そのもののような道だった。
駐車場に戻ると車の窓には僅かな雪が乗っていて、体感には気が付かない程の積雪が始まっていたようだった。
「いや、そういやお前ここまでどうやって来たんだ?」
「バスと徒歩」
「……山の下までバスか」
「朝早くから。感謝しろよ」
「いや意味がわかんねえだろ」
「マエカワさんに聞いて来たんだぞ」
「……は?」
車のドアを開けたまま手が止まった。
「職場に行ったのか?」
「マエカワさんいますかって聞いたらおばちゃんが出て来たから、星ですーって言ったらあらあ、あの子! って」
「嘘だろ……」
「一也君ってもしかして二月九日休み入れてます? って聞いたらそうね去年から絶対って入れてたのよーって」
「……」
「自分で教えたんだろマエカワさんに」
もう、なにに対しての脱力感かもわからない。急激に体から抜けた力で支えを失ったように、車のルーフに項垂れてしまった。
この異様に高い行動力には、今後もきっと悩まされる日が来る。身構えておかなければ都度衝撃が強そうだ。
「ねー、意外と入れ込んでんじゃん俺に」
助手席側からわざわざ運転席側にまで来てルーフに肘をつき、星は言う。至極嬉しそうに、満足そうに。
「……なに聞いたんだよ」
「逆になに話してんだよ」
「調べてないんだな」
「なに?」
「俺はずっと前にお前にアザレアを渡したよ」
「なんだよそれ。もうないぞ」
「そらそうだろ」
「花が、なに?」
「あの時はアザレアで今はモモかな」
「桃? なに? 尻??」
「いや、今はハナキリンか」
「……マジなんなの……」
「うるせえな、車乗れ。感傷するつもりだった今日の責任とれよ」
「情緒不安定すぎるだろ、こわ……」
暫し、見合う。互いにこれからも少なからずこの日を考える日はあるのだろう。自分よりもずっと早くに脱したという星も、その内は知れない。なにも叶いはしなかった自分とは違って過ごした時間も多かったはず。
少し、悔しくなる。今はもう、星にそう思わせていたのだという事実に。
「……」
「……」
「ねえ」
「なに」
「俺のことまだ好き?」
「モモっつったろ」
「まだその話かよ。キリンっていったろ」
「ハナキリンな」
「どっちでもいいよ。桃尻のキリンがなんて?」
「お前家どうすんの?」
「家?」
「一人暮らしすんの?」
「金ないし、まだ考えてないけど」
「そうか」
「……」
「……」
「……いや、その先あるでしょ」
「考えてないんだろ」
「考えさせんのは一也君だろ」
「雪降って来た」
「まじ酔ってんのかこのおじさん……」
「荷物まとめたら家に来い」
「……言いだし方な」
「重い話はメンドクサイんだろ?」
「やっぱ酔ってんだろ……」
「星」
「なに」
「好きだからキスして」
「やっぱ酔ってんな……」
20201004
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