急所攻撃

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急所攻撃

※  業界では友引の日が定休日になる。いや、例外はあるのかもしれないがこの仕事に就いてから自分はその例外には当たっていない。  休暇が遊びや息抜きというよりは買い出しと用事を済ませる為のものになったのはもう随分と長いこと前。働くことにはもう不満を抱くこともなくなった。そういうものなんだろうと、皆そうしてよくやっている。それでも休暇に日用品を買い出しに出るのはなかなかに面倒で、これさえなければ他の家事に面倒さが感染することもないと思えた。トイレットペーパーやらをぶら下げて歩いていると途端に虚しくなるあの現象はなんなのだろうか。  だからなるべく、日用品の買い出しの日にはどんなに近場な場所であろうと車を出すようになった。虚しくなる前に買った物を車内に放れる、暑い日も寒い日も、それにうんざりする隙もなく終えられる。――はずが、今日はそれのどれよりもうんざりする日になった。  ドラックストアでの買い物を終えて店を出てすぐに派手な頭が数人たむろしているのを見つけた。店と駐車場の狭間の通路、赤い自販機が更に強い色味を放つ有様だった。  その内の一人とはっきりと目が合った。そしてお互いに定型とも成った反応をした。 「やっぱり!」  この日は「なにが」と聞いてしまうと負けだと思った。きっと、前回見たのであろう車がそうかどうかという所なのだろうとは察した。こちらが車に近づく前に見た目の良い獣が車に向かった所を見ると、正解であったらしい。  本日も見た目の良い獣は変わらず良い毛並みで、高額そうな色に反した中身で立ちふさがった。一度目は大きな障害物になって、二度目はまざまざとした記憶として、三度目はまるで退路を断つかのようだった。  本日もか細い体にサイズの大きいパーカーで、それは獣らしく一種の威嚇なのかもしれないと思った。 「ねえ、待ってたよ俺、連絡来るの」 「するつもりはねえよ」 「なんで。なんでそんな嫌なの。理由も教えられないんじゃこっちだってはいそうですかなんて言えないよ」 「だから、あんな場所で声かけてくる相手がまともなんて思えねえだろ。こんだけ断ってんのに引きもしねえじゃねえか」 「場所? なんだよそれ」  見た目に反してハスキーな声が翳り、同時にその表情も曇った。途端に体の体重を右足に乗せ、不機嫌に腕を組んだ。 「人なんてすぐ死ぬだろ。明日死ぬかもしれないのになんでそんなとこ気にして生きなきゃならないんだよ。あそこで俺が仲良くもない奴の葬式だからって声かけないで次の日死んだら、後悔すんのも俺なのに、なんであんたがそんなこと言えるんだよ」 「じゃあせめて、それこそ会館の外とかにはならなかったのか」 「出会いと関係が常に綺麗なものなわけねえだろ」  まるで鈍器で殴られたようだった。けれど相手は見た目は良くても獣の一種で、急所を咬まれたという方が正しい表現だったのかもしれない。 「夢見てんのかよ」  見た目の良い獣は吐き捨てるように言って車から離れて他の派手な頭と並んで消えた。  咬み痕は随分と深い。本気で仕留めにかかった一撃のような深手になった。  最初の二日間は本当に膿んだ痛みに唸るような夜を過ごした。更に三日間は解熱で見る悪夢に魘されるようだった。血が固まらずじくじくとした傷跡にいっそと思えるような瞬間が増えては縛られてもいないはずの呪縛と戦った。そんなものは初めからなかった。単に、自分の中のけじめがつかないだけなのも、あの日、その瞬間に思い知ったはずだった。  何故こうもあの日に縛られたままなのだろう。そういうことだったと見限れるはずではないのか。それの答えが見た目の良い獣の吐き捨てた言葉そのものだった。きっと夢を見ている。そんなものではなかったものを、傷ついた事実を美化して、良い思い出にして浸っている。  現実には始まってすらもいなかった。これからという所に浸ったまま、終わった。抜け出せないでいる、ただ、それだけだった。  見た目の良い獣が咬んだ痛みで現実が見えたとは言い切れない。だが、自覚があった。あの日既に部外者であった自分を、自分が受け入れられていないというだけのことも。  せめてはっきりと断られて、はっきりと別れの言葉が欲しかった。それがない分、未だに美化した記憶に縋りついている。  見た目の良い獣に急所を咬まれてから六日目、仕事終わりに数分睨み合いをした結果これにも負けて、けれどまだ残った意地の部分でメッセージを送った。『葬儀屋です。この間は悪かった。』この一文だけで何度打ち直したかもわからない。けれど反応は若者らしく早かった。ものの数十秒後には返信が来て『本物?』と返って来た。 『本物、待ち伏せされた本物。』 『言い方悪』 『仕事が終わった。会えるか?』  この一文は最初のものとは比べにもならない程すんなりと打てた時点、随分前からその決意もついていたのかもしれない。
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