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かみさまの前で
※
冬も中盤、クリスマスも過ぎ、それでもこの仕事に休まりはなかった。仕方のないことではあるがイブもクリスマスも仕事が入り、星には少し悪いことをした。当の本人もその時期に休みということにもならず、まして研修期間の一週間が過ぎた職場のシフトは容赦がなくなり疲れが出始めた頃だった。気持ちはあっても、恐らくその余裕はなかったことだろう。
年末から年始の三日間はこの仕事でも流石の休暇となる。その間火葬場が動かないこともあるが、そのお陰で四日目から多忙になることが多い。なにせ年明け、様々な要因も重なって、恐らくこの仕事の滅入る部分の一つにも入る。
この歳にもなると、年末年始に実家へ帰るという選択もなくなった。半日飲んでたったの一泊の為に長距離移動するのにも疲れるが、自分に至っては二児の母でもある妹が帰るだけで十分に思えた。そこに未だ独り身でいる兄が帰っては、あらゆるものが煩いのもあった。
テレビは観なくなって数年が経ち、いよいよこの正月にはプロジェクターを買ってテレビは手放そうか。そんなことを考えてあちこちに検索をかけている内に年も明けた。特にめでたいこともなく、三日後には気が滅入る現実も戻って来る。
まだ実家に間借り中である星は、この街の家の一つで家族と年末を、年明けを迎えたことだろう。
今後はどうするのか。そのまま実家で暮らすわけにもいかないだろうが、新しく始めたばかりの仕事も後数か月は過ぎなければ動きようもないだろう。いっそ嫁いでもらってこの家に居れば良いと思える程には、知らずに酒を空けていたらしい。クリスマスに同僚からもらったワインと忘年会で余った日本酒の瓶も、一本飲み切っていた。
なんとなく過ごした年末も夜中の二時にはお開きにしてベッドに入った。明日は、と考えずに居られるこの瞬間が、休暇のなによりの醍醐味かもしれない。
ほんの、数時間後。インターホンの鳴る音で目が覚めたが、そんなわけがないだろうと目を閉じるとまた鳴った。年賀状の配達でどうかしたのか、それ以外にこんな日にインターホンが鳴るはずもない。
スマートフォンを確認すると八時半、それにしても早すぎるように思えた。
久々になにも気にせず飲んだ酒はしっかりと翌日にも残り、立ち上がるのにも都度ひと息をつかねば体が辛い。その間にもインターホンは鳴る。いい加減に騒々しい。
けれどモニターを確認して、それも許せた。
「なんで実家の正月ってこんなにつまらないんだろう。起きて一時間も耐えられなかった」
洗面所で顔を身支度をする水の音に紛れて愚痴をこぼす星の声が時折聞こえるが応えようもなく、全て済んでからリビングに戻ってつまらないことにだけは同感だと告げた。どどのつまりそれだけだったようで「聞いてなかったのか」という喧嘩に発展することもなかった。
「それで、これは」
「オスシとオセチ」
「なんで」
「ロクなモン食わない正月送ってんだろうと思って」
「いや、それは当たってるけどな」
「一人でサミシク暮らしてるトモダチの家に行きますって言ったら、持ってけが始まって」
「うん」
「母親ってなんでああいう所うざ強いんだろうね」
「寂しくと友達に引っ掛かるのはナシか?」
「違うの?」
「違わねえのか」
「一也君だって、誰かに俺のこと恋人とは言えてないでしょ」
「職場の同僚には言った」
「は?」
「マエカワさんに言った」
「なにいつの間に言ってんの……」
「なんでそんなドン引いてんだよ」
「なに考えてんの」とでも言い出しそうだ。正月早々には似つかわしくない表情で星はリビングの椅子で体育座りをしている。そのコンパクトに纏まった体を更に引いて全身で。
「可愛い名前ねって言ってたぞ」
「うわ、ほらやっぱかわいいが先に来んだよ……」
「まあ、彗星とかならまだかっこいいが先かな」
「え、なに、男だって知ってそう言ってんの?」
「知ってる」
「は??」
「しょうがねえよ、もう十六年一緒に働いてて、二十二の若くてどうしようもない時期から俺のこと知ってんだぞ? そら連れてるのも反応するのも男だけだってわかって、そら知るわ」
「……なんなのそのどうしようもない二十二の若さって……」
「意外にもどうしようもなかったんだよ、俺」
「いや別に意外でもないんだけどね」
「……なんでだよ」
「結局突っかかるんだ」
「いや」
「だって一也君めんどくさそうだもんね」
「面倒臭い?」
「バチバチに悩んですぐ落ち込みそうだしすぐに惚れてすぐにダメな人間に引っ掛かって飲んだくれそう」
「すげえ言うな」
「眼鏡の奥はフシアナ」
トドメの様に言って、満足そうにしている。
テーブルの上に置かれたおつかいものはタッパーに詰められているとは言え豪華で、一人身には縁のない程家庭の温かさも感じる。寿司は購入したものだとして、今時でお節を作ったのだろうか。既製品のような堅苦しさを感じない、柔らかな作りをしていた。
「星の母さんは料理が上手いんだな」
「なんで作ったってわかんの」
「俺は日々堅苦しい場の料理と仕事してんだよ」
「ふうん、見分けつくんだ」
「……」
「言っとくけど俺は目玉焼きでギリだからね」
目で訴えたのが見事に伝わったようだった。
だらけた一日にはまだ食事は早すぎて、特になにかをするわけでもなく二人で時間をつぶして二時間程、思い立って神社へ向かった。地元にも幾つかある中で特段大きなわけでも有名なわけでもないが、近所の住人でこの日ばかりは混雑もする。若い頃に遊び半分で初日の出を見に向かって後悔したこともあった。
早朝を過ぎたと言っても真冬には変わりなく、装備に怠りはなく外に出た。寝起きの体は温まり切っていて外に出た瞬間の冷えと言ったらとんでもない。ほんの一瞬で全身が冷え渡り、蓄えた熱全てを奪われたようだった。
首には冬仕様でネックウォーマーが付いたとは言え星は相変わらずサイズの大きなパーカーで、今や中に着込んでいるということを知っていても見た目が寒い。
耳や頬がキンとする。襟袖のほんの隙間から冷気が忍び込む。
「さっむ。何分歩くの?」
「十分かからないくらいじゃないか?」
「引き返すなら今だよ」
「出たばっかだぞ」
「だからでしょ」
「手でも繋いでやろうか」
「仕方ないから握らせてやろうか」
「断らねえのか」
「意味ないことはしないから早くして」
とは言っても、この寒さの中で素手を繋ぎ合わせたとしても寒さが凌げるわけでもなく、握ったその手はコートのポケットに入れさせてもらった。
「俺ほんとは左側歩きたいんだよね」
「それは俺もだから譲れねえな」
左手で握った星の右手が冷たくやはり薄着過ぎるのではないかと考えたが当の本人は気になっている様子もなく、いつかのように歩調が軽やかに聞こえた。
寒さで竦んだ身を寄せ合って、ほんの数分の距離を歩くだけのことが少しだけ特別なことのように思えた。
午後を前にした神社に人は多くなくまばらに数人が残る程度だった。けれど大半のお守りらは売り切れた後のようで極僅かだけがバイトの巫女の前に残されていた。それも間もなく、まばらな客の手に入ってなくなるであろう。
おみくじを結びつける木々は重そうに枝を垂れ、早朝にどれだけの人で混雑したのか予想出来た。
参拝中、流石に作法を知らなかった星は全てを真似て、二礼二拍手一礼が一拍ずれて続く様が面白かった。
「なに願掛けしたんだ」
「金が欲しいです」
昨夜勝手に考えさせてもらった通り、今はなによりそれが先決で必要なことだろう。いっそ聞いてみるのが早いのかもしれないが、一応は大人でもある身に誘導の言葉をかけるのを躊躇った。
来た道を少し戻って、いざおみくじをと向かった所既に用意していた分がなくなってしまったようだった。成程、それでこうも人がまばらだったのかと納得がいった。
「もう殆ど来た意味ないじゃん」
「仕方ねえし、コンビニでも寄って帰るか。初売りとか興味ないだろ」
「車で行くならって思うけど、もみくちゃにされるくらいならネットで十分なんで」
「ほんと、そうだと思う」
歩いて来た時間よりも滞在時間は短かった。これでもなにか意味があれば良いが、そう簡単に手に入るような神頼みならそもそも来る必要もないのかもしれない。眺めていくようなものもなく、ただ来た道を引き返した。
「ねえ、帰ったらエッチしよう。新年初エッチ」
「神社の前で言うかそれ」
「悪いことじゃないし」
「まあ、それはそうだけど」
「俺から一也君へのお年玉はそれだから、一也君も俺にお年玉」
「お前からのお年玉がそれなんだったら俺もそうだろ」
「違うから」
「お前だけ選択式なのか」
「キスして」
境内を出て大通りに出ても正月ならではで車の往来も少ない。とはいえ人がいないわけでもなかった。参拝を終えた人、少ない車の中、道路を挟んで少し離れた場所にある向かい側のコンビニ、まして背後にはなにかしらの神。
「本気か?」
「ここでキスして」
さあ、と構えて、星が顎を上げる。
何故、急に星がそうしたがったのかはわからない。けれどそれは他人に見せることで自分の立場が確かであることを認識したかったからなのかもしれない。家を出る前に話した、こちらは第三者に星の存在を明かしていても、きっと星はそれをしていない。その所為かとも思った。
いっそ、同僚には会ってもらおうか。こうするだけ星の中に不安定な部分があるのなら。
それ程大きくもない星に合わせて背中を丸めて唇に触れた。一度、二度、啄むと満足したように星が笑って、左腕だけを首に回した。触れると伝わる、大きすぎるパーカーの中の細い腕がしっかりと首に絡み、引き寄せられるようにもう一度唇を重ねた。
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