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洋子はテニスサークルの部室に向かっていた。
祐介から「鮎川がいなくなったから皆にも一緒に探して欲しい」と招集がかかったのだ。
サークルの部室のドアを開けると、そこには祐介と慎、そして、つぐみの姿があった。
「つぐみ!見つかったの!?」
そう驚く洋子に、つぐみは言った。
「井戸に落とされたけど、杵淵先輩が気づいて助けてくれたの。井戸に私を落としたのは・・洋子、貴方だよね」
驚いて絶句する洋子に、つぐみは続けた。
「杵淵先輩が見てたの。洋子・・なんでそんな事したの?」
沈黙する洋子の瞳が、一瞬、禍々しい光を称えるのを、つぐみは見た。洋子は言った。
「あんたが悪いんでしょ、つぐみ・・。」
そう呟いて、つぐみを見た洋子の瞳は、暗い怒りを孕んでいた。
「私は一ノ瀬先輩を、遠くから眺めているだけで満足していたの・・。先輩に近づけるのは先輩に釣り合う美人だけ、そう思っていたのに。
なのに、どうして、あんたなのよ。あんたみたいな普通の女でもいいんだったら、私でもよかったはずじゃない!!
一体どうやって先輩に取り入ったのか知らないけど、あんたがもう少し謙虚になって自粛すべきなのよ。一ノ瀬先輩はあんたみたいな女が一緒にいていい人じゃないんだから!」
その余りに勝手な言い分に、慎は洋子を殴ってやりたい衝動を必死で抑えた。慎が同席するのを、最初つぐみも祐介も反対した。それを絶対に暴力を振るわない、という約束でついてきたのだ。
こんな女が、つぐみの何を知っていると言うのだ。
嫌がらせを受けても、諦めるなと自分の手を離さないでいてくれた。苛立ってばかりの自分に、嫌いにならないから大丈夫と叱ってくれた。そんなつぐみの一体何をわかって、一緒にいるべきじゃないなどと言っているのだろう。慎はどうしても悔しくて、ついに洋子を怒鳴りつけた。
「・・ふざけるな!お前がつぐみの何を知っている!お前のような女がつぐみの代わりになれる訳がない!自分が好かれない理由を容姿のせいにするな!」
そのまままだまだ罵詈雑言を吐き出しそうな慎を、つぐみが止めた。祐介も、それに習った。祐介は気づいていた。つぐみの瞳には冷静にみえて、慎に負けないほどの怒りの色が浮かんでいたのを。
「あなたは、一ノ瀬先輩の何が好きなの?」
それはかつて、悠がつぐみに問いかけた質問だった。つぐみはこの時、どうして悠が自分にこう聞いたのか、やっと分かった気がした。
洋子はそのまま黙っていたので、つぐみは続けた。
「この人は、見た目はどうであれ、中身は全然かっこよくないよ。すぐ怒って器が狭いし、デリカシーは欠如してるし、強そうに見えるけど繊細で傷つきやすくてとにかく面倒くさいし。そういうの、わかってて言ってるのかな?この人はあなたの思い通りにあなたを幸せにしてなんかくれないよ。むしろこっちが色々お世話してあげないと、この人は幸せになれないの。あなたは自分でもいいはずだって言うけど、一体どうやって先輩を幸せにしようと思ってる?教えてよ」
洋子は何も言わなかった。彼女がどういう心境なのかつぐみには分からなかった。でも洋子が慎の事を自分以上に分かっているとは、どうしても思えなかった。そうであればつぐみには、絶対に譲れないものがある。
「私以上に先輩を幸せにしようって、本気でそう思ってる人になら、喜んで先輩のこと渡すよ。でも自分の為に先輩を手に入れようとしてるなら、絶対に渡さない。そんな奴に口を出されたくない!それなら私といた方が先輩を幸せにできるもの!」
そうつぐみが啖呵をきるのを聞いて、祐介は笑った。
「これはこれは、なかなかの口上だなぁ。これでは俺も、本格的にあいつのお守りを卒業かな・・」
そう呟いた笑顔は、やはり何処か寂しげではあったが。
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